墜落のシリウス〜第四話 大地のゆりかご 他一話〜

涼森巳王(東堂薫)

大地のゆりかご

一章

一章 1



 夜の砦。

 仕事が終わり、ワレスは同室の部下とくつろいでいた。


 少し高かったが、ワレスが気に入って購入した、ガラスのシェードの美しいランプが、あたたかく室内をてらす。


 ゆれる光がワレスのブロンドに深い陰影をつける。

 きめの細かい絹のような白い肌を金色に染める。

 青い瞳は光を反射して、夜空の星のようにきらめいた。


 室内は静かだ。


 ハシェド、クルウ、アブセス。

 同室の三人は物静かなタイプを選んだので、ほかの傭兵ようへいの部屋のように、カードやサイコロに興じて、バカさわぎするような者はいない。


 一年のうち三番めの月、星の月に入り、夜気にも春の息吹が感じられる。

 その心地よい夜に、とつぜん叫び声がひびく。


「わッ。隊長! なんで、そんなことするんですか!」


 ハシェドだ。

 やすりで爪をけずる手をとめて、急にワレスを非難しだした。

 ハシェドもおどろいた顔をしているが、それ以上におどろいたのは、ワレスだ。辞書のページをやぶるのを、あわててやめる。


「な、なんだ?」

「なんだじゃありませんよ。それ、字引でしょう?」


 ワレスはホッとした。


「なんだ。そんなことか」

「そんなことじゃありません。なんだって字引をやぶったりするんです。わっ。ヒドイなぁ。アーのページは全部、ありませんね」


 革で装丁されたワレスの辞書を手にとって、ハシェドは落胆の声を出す。それを見て、ワレスはクスリと笑った。


(おどろかせるな。おまえを盗み見ていたことが、バレたのかと思った)


 褐色の肌の、ワレスのひそかな想い人。

 ハシェドもワレスに恋心を持っていることが、つい最近わかったのだが、この想いを告げることはできない。


 ワレスには、ある呪われた運命があった。

 愛する人が必ず死んでしまうという運命だ。


 ぐうぜんではない。

 ワレスが幼かったころから、青年に成長する二十年のあいだに、何人も死んだ。


 それも、ワレスがその人のことを心から愛して、幸福になりかけると、決まって、その人たちは死んでいく。

 まるで、その幸福をつきくずそうとするかのように。


 ワレスがこの国境のボイクド城へ来たのも、それが原因だ。

 魔物の跳梁ちょうりょうする危険きわまりない砦なら、誰も愛さずにすむと思っていた。

 もう誰も自分の運命にまきこまないために、美しい皇都から、辺境の砦に逃げてきた。


 だが、ここにも人間がいて、人がいるかぎり、感情が育まれてしまう。

 誰も愛するつもりはなかったのに、けっきょく、ワレスはハシェドを愛していた。

 ワレスがツライとき、いつもかたわらにいて励ましてくれたハシェドが、今ではなくてはならない存在になっている。


 その想いを悟られないように、ワレスは平静をよそおった。


「ひさしぶりに紙巻きタバコを吸おうと思ったんだ。辞書に使うレバソン紙は薄くて丈夫だから、タバコを巻くのにちょうどいい。皇都ではみんな、そうしていた」


「とんでもない! 隊長はキレイな銀のキセルを持ってるじゃありませんか。辞書みたいな高価なものをやぶくだなんて、信じられませんよ」


 憤慨ふんがいしているハシェドに、ワレスは笑みをさそわれた。


「おまえは健全な精神をしているな。本など、ただの紙だと思えば、紙代以上の価値はなくなる」


 まったく、ハシェドは、よほどの与太者でも来たがらない、この魔境にはもったいない。


 ハシェドの母がユイラ皇帝国と敵対するブラゴールの女でなければ、きっと、砦の傭兵になどならなかっただろう。そう思うと、見たこともないハシェドの母に感謝したくなる。


 ハシェドは、ワレスの言葉を真に受けて怒っている。

「それは隊長が文字を読めるからです。おれなんて、読みたくても読めないから……」


 しょげているので、かわいそうになった。


「そういえば、手紙の上書きも代筆してもらっていたな。しかし、家族宛ての手紙は自分で書いてるじゃないか?」


「ブラゴール語の読み書きはできますよ。母に教わったので。父は忙しい人で、家をあけていることが多かったですから、ユイラ語は勉強できませんでした」


 砦の傭兵なんて、一日一枚の金貨で命を売る者たちの集まりだ。それぞれに事情がある。ふだんはよほど親しい間柄でも、立ち入った話はしないし、聞きたがらない。


 ワレスも、母がブラゴール人であること以外、ほとんどハシェドのことを知らない。

 その日はたまたま、そういう話の流れになった。


「おまえの父は何をしていたんだ?」


「父はブラゴールの品物をユイラに持ち帰り、売りさばく、貿易商の家に生まれました。だから、ユイラとブラゴールを行ったり来たりしていたんです。母と知りあったのも、そんな関係からです。結婚してからも、父はずっと仕事を続けていました」


「大恋愛だったんだな。おまえの両親は」


 ハシェドはむずがゆいように笑う。


 その裏に、なんとなく素直に笑えない感情があるように見えて、ワレスはおどろく。

 ハシェドにそんなかげりを感じたのは初めてだ。

 いつも、真夏の陽光のようなまぶしさが、ワレスの暗い心を救ってくれていた。


 すると、ワレスたちの会話を聞いていたクルウが、口をはさんだ。


「分隊長の母上は、上流階級の姫君ですね。それも、ひじょうに高い身分の。私は以前、船に乗っていたので、ブラゴールにも何度か行ったことがあります。あの国は女性の権利がひどく限定されていて、ふつうの家庭では、文字を読みたいなどと言えば、女のくせにと罵られますよ。ブラゴールで文字を読む特権を持っているのは、男でも貴族か王族。それに仕える一部の者だけです」

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