第59話 アイアム・オプション


 『サンクチュアリ』に入ると、ビルに挟まれた広い通りが目の前に現れた。遥か向こうに目的地である『スメール・ビル』が幻のようにかすんで見え、俺は往来が全くない通りを不安を押さえつけながら進んでいった。


「人間もいない、APもいない……かえって気味が悪いぜ」


 俺は横目で隣のキャサリンをうかがった。まっすぐ前を見据えるキャサリンの瞳には、恐怖や悲壮さの色はなかった。通りをひたすら突き進むと、やがて付喪に指定された『スメール・ビル』の全容が露わになり始めた。


 百階建てといわれる『スメール・ビル』には治安当局が入っており、そこに付喪がいるということは治安当局が『上級AP』の支配下にある可能性を示唆していた。


「キャサリン、レディオマン、このまま付喪の懐に飛び込むぜ。覚悟はいいか?」


 前方に駐車スペースのゲートが見えた瞬間、俺は『車』でもある二人に言い放った。


「オーケー、ラジオは友達だ。どこへでも行くよ」


 まだどこかよそよそしいレディオマンのDJに支えられつつ、俺はビルの内部へと突入していった。車が侵入した途端、背後でゲートが閉まり、あたりが薄暗くなった。しまった、罠か?そう訝った直後、車が何かに操られるように動き始めた。


 まずは様子をみてからだ――そう思っていると奥のスポットライトのような光で照らされた一角が目の前に近づき、車はそのまま光の中にすっぽりと収まる形で動きを止めた。


「なんだ?ここは――」


 俺がヘッドライトを灯して周囲の様子をうかがおうとした、その時だった。車体がふわりと浮き上がったかと思うと、そのままゆっくりと上昇を始めた。思わず窓から身を乗り出すと、天井に穿たれた巨大な縦穴に向かって車が吸いこまれてゆくのが見えた。


「まさかこのエレベーターで、車ごと付喪のいる五十階まで運ぼうっていう気か?」


 俺が訝っていると、車はそんな懸念を嘲笑うかのように何もない穴の中を上昇し続けた。


 やがて、身体全体がふわりと柔らかな制動を感じ、重力を取り戻し車体がどすんと何かの上に着地する感覚があった。


「ここは……」


 はっとして前に視線を戻すと、ガラス窓で囲まれたフロアの奥に複数の人影が見えた。


「ようこそ『運び屋』さん」


 複数の人影はよく見ると全員がマネキンだった。男女のマネキンを傅かせるように立っているのは、紛れもなく付喪だった。


「お招きに預かり光栄……といいたいところだが、仲間の『心』を人質にとられた俺の気持ちがわかるか?」


 俺は車を降りると、正面で薄笑いを浮かべている人形の顔を持った人物に言い放った。


「そうですね、あなたが『心』を大事にしていることは理解できます。だからこそ取引の材料に選んだのです。それが間違いでなかった証拠に、あなたは私の依頼を受けて今ここに入る。違いますか?」


「ふざけるな……そう言うのを人間の世界じゃ『人でなし』というんだ。わかるか?低級APさんよ」


「何をおっしゃられようと自由ですが、どちらにしても私に『荷物』を渡さなければ『心』は戻りません。憎まれ口は仕事を終えてからでも良いのでは?」


 俺は付喪の頭を吹き飛ばしたい衝動を押し殺すと、ポケットから『荷物』を取り出した。


「これがあんたが所望した『ソーマ』だ。途中で失敬したりはしていない。――そらよ」


 俺は液体金属の入った小瓶を数メートル先の付喪に向けて放った。付喪は黙って片手で小瓶を掴み取ると、目の高さに掲げた。


「……ふむ、たしかに。これで『荷物』の半分は確認しました」


「半分だと?」


「そうです。『ソーマ』と、『ソーマ』に封じ込められた感情の持ち主を、セットで受け取るというのが今回の依頼内容なのです」


「感情の持ち主だと……?そんな事は波多野さんは言っていなかったぞ」


「言う必要がなかったからです。『ソーマ』を持ってここに来るということは、すなわちあなた自身を運んでくるということでもあるからです」


「俺自身を……?」


「では、『残り半分』を受け取るとしましょうか」


 付喪がそう言った瞬間、俺の足元からにじみ出るように二体のAPが出現し、左右から俺を拘束した。


「くそっ、貴様、初めから俺を拉致するつもりで……」


「ようやくご理解いただけましたか。『ソーマ』はいわば付属品で、あなたこそが『荷物』だったのですよ」


 俺が両側のAPを振りほどこうとがむしゃらに抵抗を始めた、その時だった。


「ピート、逃げて!」


 ふいに車から飛びだしてきた影が何かを俺の足元に転がした。消去弾だ、そう気づいた俺は足元の物体が光った瞬間、両側のAPを振り払って前に飛びだした。


「キャサリン!」


 俺の目に映ったのは、王たちの本体が入った鞄を手に、付喪たちにも消去弾を投げつけようとしているキャサリンの姿だった。二発目の消去弾が光った瞬間、俺はキャサリンの手を取って唯一見えているドアの方に駆けだした。


「愚かな!」


 付喪がそう叫んだ瞬間、ドアの手前の床に四角い穴が出現し、俺とキャサリンは止まり切れず穴の中へと落下した。次の瞬間、身体が柔らかいものに受け止められる感覚があり、俺は顔を上げてキャサリンを探した。


「キャサリン、無事か?」


「ピー……ト……」


 少し先でキャサリンがゴミの山から顔を突き出すのが見えた。俺が近づこうと反射的に周囲のゴミを手で掻き分けた、その時だった。巨大な爪のような物がゴミの中から現れたかと思うとキャサリンを掬い上げ、あっと言う間にゴミの中へと姿を消していった。


「キャサリン!」


 俺は両脚を必死で動かし、ゴミの中を漕ぎ始めた。だが、進み始めてほどなく俺の周囲のゴミが突然、動き始めた。ゴミは水が排水口に流れ落ちるように一点に向かって渦巻き、俺は抗うことすらできぬまま、ゴミと共に渦の中心へと吸い込まれていった。


             〈第六十回に続く〉

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