第57話 さらば鋼鉄の美神


 『彼岸市場』の建物に入るには、市場のある通りの隣の道から行く必要があった。


 市場の一本南を走っている細い通りに入ると、左手に市場の搬入口に続く横道が現れた。


 住宅に挟まれた私道に近い道を進んでいくと、ほどなく白い壁とシャッターが現れた。


「ここだ。この向こうがもう『彼岸市場』だ」


 俺は端末を取り出すと、蛇島に到着を伝えた。「お待ちしていました」という言葉と共にシャッターが開くと、俺は建物の中にゆっくりと侵入した。俺たちが入った場所はどうやら積み下ろしスペースを兼ねた倉庫らしく、コンクリートで囲まれた何もない空間だった。


「運河の方向が西側だとすると……あった、あれが環状通りに面した出口だ」


 俺がそう言って右手奥にある別のシャッターに目をやった、その時だった。ふいにどこからか銃で撃ち合うような乾いた音が響いてきた。


「まさか、売り場で銃撃戦が始まったのか?……くそっ、気になるぜ」


 俺は車を運河に出るシャッターの前に停めると、助手席のキャサリンを見た。


「キャサリン、悪いが一度降りて市場の中を見てくる。義を重んじるボスの手助けでここまで来られたんだ、ここで仁義を欠いたら胸を張って町に戻ってこられない」


 俺はキャサリンにそう言い置くと、十メートルほど離れた従業員用の扉へ足を向けた。


 車を降りてからも銃撃の音は聞こえ続け、俺は意を決すると売り場に通じる扉を開けた。


 中へ足を踏みいれた俺が目にしたのは、まさしく戦場と化した市場だった。入り口近くに木箱やクーラーボックスを積みあげたバリケードがあり、さらにフロアの後方には冷蔵庫やショーケースで囲まれた陣地があった。


 俺が入った場所は陣地の内部で、すぐ目の前で市場の人たちと入り口側から押し寄せるマネキンたちとの死闘が繰り広げられていた。


「すみません、ルシファーって人、ここにいませんか」


 俺は這うようにして進むと、木箱の陰でマシンピストルの弾倉を入れ替えている女性に声をかけた。


「ルシファーさんなら、うちの会長とあっちで戦ってるよ」


 エプロン姿の女性は陣地の先端を目で示すと、俺に背を向けて撃ち合いを始めた。俺は女性に礼を述べると、その場を離れた。教えられた方向に進んで行くと、ショーケースとテーブルを組み合わせた防壁の陰で言葉を交わしている男たちの姿が見えた。


「ルシファー。無事だったか」


 俺が声をかけると、美貌のボスは俺に気づいて口元を緩めた。


「ピートさん、ご無事でしたか。わざわざこんな危険な場所まで来ずとも、そのまま倉庫を抜けて外に出ればよかったのに」


 ルシファーはこころなしか疲れたような表情を浮かべると、厳しい口調で言った。


「ここはあなたのような平和主義の方が来るところじゃありません。車に戻って下さい」


 荒い息を吐きながらそう言ったのは、蛇島だった。良く見ると蛇島のベルトには手りゅう弾がくくりつけられていた。


「これだけ手助けしてもらって礼儀を欠いたら、うまく行く仕事もしくじっちまう。短い時間だが、俺にも手伝わせてくれ」


「相変わらずですね。でもゲートが開く前にちゃんと車に戻ってくださいよ」


「ああ、わかってる。何か俺にも使えそうな武器があったら貸してくれ」


「武器ならそこら辺の床にいくらでも転がっとる。好きなのを使いな」


 しわがれ声でいきなりそう話かけてきたのは、グレーのキャップを後ろ向きに被った白髪交じりの男性だった。俺は落ちていたライフルを拾いあげると、撃つ仕草をしてみせた。


「うまく樹脂カバーの隙間を狙えば、そいつでもマネキン共にダメージを与えられるぜ」


 男性はそう言うと。手にしたグレネードランチャーを構えてみせた。


「その人は商店街の会長で、私の命の恩人でもある原御田はらみたさんです。」


 マシンガンを両手に携えたルシファーが、肩越しに振り返って言った。


「恩人?」


「私がまだ幼かったころ、『サンクチュアリ』でAPの暴動がありました。父は私と母を連れて脱出を試みましたが、その際に人間側がAPに放った流れ弾で、私は瀕死の重傷を負ったのです」 


 俺ははっとした。数時間前、玄鬼から聞いた昔話と合致する内容だった。


「一家が運河を渡ってこの商店街にたどり着いた時、坊やはもう息も絶え絶えでね。たまたま俺に医学の心得があったんで、応急処置をして病院に運んだってわけさ」


「原御田さんと市場の方たちがいなければ私は今ごろ、ここにはいません。ここは私にとって、いわば故郷も同然なのです」


 ルシファーはそう言うと、両手に携えたマシンガンを押し寄せる上級APに向かって乱射した。だが同時に上級APの撃った弾が防壁の間を抜け、ルシファーの左肩に命中した。


「……うっ」


「大丈夫か、ルシファー!」


 俺が駆け寄ると、肩を押さえてうずくまったルシファーが「大丈夫です」と言った。


「銃弾が二、三発当たった程度なら、かすり傷です。心配はいりません」


「かすり傷……?しかし今、肩を直撃したはずだが」


 俺が疑問を口にすると、ルシファーは自嘲めいた笑みを浮かべ「これを見てください」と言ってぼろぼろになったワイシャツを一気に脱ぎ棄てた。


「あっ……」


 ワイシャツの下から現れたルシファーの上半身を見て、俺は絶句した。右の脇腹、そして左の胸から二の腕にかけてが金属で覆われていた。


「あんた、それは……」


「今さら兄弟に隠す必要もありませんからね。ご覧の通り私の身体は一部が機械なのです」


「ひょっとすると瀕死の重傷を負った時に……」


「そうです。身体のあちこちを銃で撃ちぬかれ、機械と取り換えざるを得なかったのです」


「幸い、俺の知り会いにサイバー技術に長けた奴がいてね、ぐずぐずしてたら坊やは助からないと判断して、すぐに処置を行ったんだ」


 原御田がグレネードを構えたまま、横顔で言った。


「もちろん、この身体になったことを私は感謝こそすれ、恨んだことは一度もありません」


 ルシファーは金属の部分に手をやりながら、きっぱりと言った。


「ですが子供の頃は少なからず好奇の目で見られました。十代の終わりに父の組織を継いだのも、闇の社会の人間になった方が生きやすいとの判断からです」


「そんなことがあったとは……」


「あなたが『寺』においでになるはるか昔のことです。知らないのも無理はありません」


「俺は今まであんたのことを、顔が綺麗で肚が据わってるだけの男だと思っていた。だが今は違う。俺にはあんたのような覚悟はない。尊敬するよ」


「ピートさん。私はあなたの生き方が好きです。私はずっとあなたに憧れていたのですよ」


 ルシファーは表情を崩すと、ゆっくりと周囲を見回した。


「私は生きる喜びを与えてくれたこの街の人たちに感謝しています。私は、私の命であるこの街と運命を共にします。……ピートさん、あなたにはあなたの為すべき仕事があるはずです。ここは私たちに任せて早くお行きなさい」


 俺は「わかった」と言うと、ライフルを床の上に置いた。


「――死ぬなよ、兄弟」


「あなたこそ」


 俺が三人の傍を離れるとルシファーはやおら立ちあがり、雄叫びを上げながら両手のマシンガンを敵に向けて乱射した。


 俺が車のところに戻ると「今、出口を開けます」という蛇島の声がして、シャッターが動き始めた。運転席に乗りこみ、エンジンをかけると外光と共にゲートが目の前に現れた。


「行くぞ、キャサリン。すべての『答え』が待つ場所へ」


 俺は運河とその向こうにある『サンクチュアリ』を見据えると、アクセルを踏みこんだ。


             〈第五十八回に続く〉

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