第46話 裁かるる飛び込み客
「どのあたりから顔を出しますかね」
川べりの遊歩道で、並んで立っている男たちの一人が言った。バスでも待つように列をなしているこの人々が、街を代表するエグゼクティブだと一目でわかる者は皆無だろう。
頬に当たる風の温度がわずかに下がったか、そう感じた瞬間、目の前の水面が波立ち、巨大な物体が俺たちの前に姿を現した。
「おお、これが今宵の『美趣仁庵』か」
どよめきと共に迎えられたのは、黒い外壁の建物――水中ビルだった。俺は周囲から浮いてしまわぬよう驚きを露わにしつつ、料理長、よろしく頼むぜと心の中で呟いた。
「お待たせいたしました。ドアが開いたらどうぞ、中へお入りください」
波多野の声が響き、照明で照らされた壁の一角が扉となって開くのが見えた。
「ほほう、これは楽しみですな」
俺の前に立っていた恰幅のいい中年男性が、子供のように声を弾ませて言った。
「ドアが閉まったら速やかに広間に移動して下さい。潜水を開始します」
俺を含む十数名が建物に収まった途端、波多野の警告が響き渡った。すぐ傍の初老男性が「順調だな」というのを聞き、俺は「この人がエイブラムス氏か?」と横顔を盗み見た。
マイクを持った波多野が姿を現し、建物が運河に沈んだことを告げたのは俺たちがテーブルについた直後のことだった。
「みなさん、ようこそお越しくださいました。それでは定例の食事会を開催いたします」
波多野によってごく簡素なあいさつがなされ、ほどなく会場全体が料理の香ばしい匂いに包みこまれた。個別に挨拶を求められるのではないかと内心冷や冷やしていた俺は、ほっと胸をなでおろした。
最初の一品は、魚料理だった。日本のウニを裏ごししたというバターソースが絶品で、決して味がわかるとは言えない俺ですら極上とわかる味だった。
「こりゃすげえ。王が知りたがるのも無理ないぜ」
俺がぼそりと呟いたところへ、二品目が運ばれてきた。中華だ。唐辛子と山椒の赤いソースを絡めた、見た目は何て事のない豚肉料理だった。これなら王の料理とさして変わらないな、そう思って口に運んだ俺は次の瞬間、想像とまるで違う豊かな風味に絶句した。
「なんだこれは……いったいどんな隠し味を使っているんだ」
俺は料理人の腕に唸ると同時に、王が教えを乞いたがったのも無理はないと思った。
「こんな料理ばかり食っていたんじゃ、人間がだめになるな。とんでもない連中だぜ」
俺は平静を装いながら、自分もこの化け物社会の一員なのだと改めて言い聞かせた。
「……さて、みなさん。会食を楽しまれている最中に恐縮ですが、ここでひとつ、穏やかならぬニュースをお伝えせねばなりません」
そう言ってやおら立ちあがったのは、玄関前で俺の隣に立っていた初老男性だった。
「なんですかな、エイブラムスさん」
隣のテーブルで海老の料理を口にしていた男性が、ナプキンで口元を拭いながら言った。
「本来、選ばれた人間しか入ることのできないこの席に、どうやら招かれざる客が一人、まぎれこんでいるようなのです」
「なんですって」
エイブラムス氏がよく通る声でそう告げると、フロアの空気が一変して緊張をはらんだ物に変わった。俺は内心「ばれたのか?」と狼狽えながらも、努めて平静を装いつづけた。
「招かざる客とは、どういうことですかな」
別のテーブルにいた太った男性が、食事の邪魔は許さんとばかりに語気を荒げた。
「今からご紹介しましょう。……お連れしろ」
エイブラムス氏が出入口の方を見て指を鳴らすと、扉が開いて両腕を羽交い締めにされた男性が姿を現した。その顔を見て俺は思わず息を呑んだ。
――あれは、ハンコックじゃないか!
小太りで狡猾そうな目をした男――ハンコックは以前、キャサリンを人質にして俺を脅した時とは真逆の青ざめた顔で、広間の客たちを眺め回した。
「ハンコックさん、あなたがこの街のAPと『猿回し』を操って悪事を働き、私腹を肥やしていたことは誰もが知っています。そのくせ『サンクチュアリ』に気に入られようとあれこれ画策していましたね?いわば街の内と外、両方を手玉に取ろうとしていたわけです」
「……違う、私は無実だ。誰かが私を陥れようとして根拠のない作り話を広めているんだ」
今にも泡を噴きそうな顔で弁明するハンコックを、両脇の男たちは無言でステージの方に引きずっていった。いつの間にしつらえられたのか、ステージ上には蓋がたくさんついた金属の椅子が置かれていた。
男たちはハンコックを椅子に座らせ、動きを封じるかのように左右から押さえつけた。……と、椅子のあちこちから細い多関節のアームが現れ、瞬く間にハンコックの自由を奪った。やがて背後から注射器のついたアームが蛇が鎌首をもたげるような動きで現れると、ハンコックの首に針を突き立てた。ハンコックは二、三度強く痙攣すると、がくりと項垂れて動かなくなった。
「……蘇生班、急いで心肺と脳波を確認しろ」
エイブラムス氏が叫ぶと白衣の男たちが現れ、ハンコックの身体をあらため始めた。
「心肺の機能はほぼ停止しています。脳波の方は微弱ながら、かろうじて出ています」
「よし、脳が死なないうちに組織を機械と融合させるんだ。……外の出張ラボに運べ」
エイブラムス氏が非情な声で命じ、ぐったりとなったハンコックは椅子ごと外に運び出されていった。俺は秘かに「こんなことが許されていいのか」と歯噛みしたが、ガフとジーナを無事に救出するまで、怪しまれるような行動を取るわけにはいかない。
「……みなさん、お騒がせしました。我々はあのような小悪党を一掃し、安全で清潔な街を維持せねばなりません。なにとぞ、ご理解のほどを」
エイブラムス氏がそう言って一礼すると、期せずして会場から拍手が巻き起こった。
「あの……連れていかれた方はどうなるんですか」
あまりの非情さに耐えかねた俺が思わず声を上げると、エイブラムス氏は「そんなことか」とでも言うように眉を上下させた。
「脳が生きているうちに機械を埋めこむのです。新たな『種』に生まれ変わるためにね」
俺は絶句した。なんてこった、この『美趣仁庵』は料理長以外の全員が『サンクチュアリ』に支配されていたのだ。これでは自分から罠のど真ん中に飛びこんだようなものだ。
「新たな『種』……」
俺の脳裏に『付喪』のマネキンを思わせる顔が浮かんだ、その時だった。突然、けたたましい警報がフロア中に響き渡ったかと思うと、会場の客たちが一斉にざわつき始めた。
「なっ……なんだ?」
エイブラムス氏が苛立ったように叫ぶと、波多野料理長が青ざめた顔で姿を現した。
「みなさん、落ちついて下さい。どうやら火災が発生したようです。私が建物の状況を見てきますので、戻るまでの間、単独行動は慎んでください」
波多野はそう言うと、エイブラムス氏に歩み寄った。
「エイブラムスさん、すみませんが『万能キー』を預からせてください」
料理長からの要請に気圧されたのか、エイブラムス氏はあっさりとキーを取りだした。
「それでは、火の元を確かめてきます。みなさん、極力、お席から動かないでください」
波多野が姿を消すと、緊張をはらんだ沈黙が広間を支配した。俺は頭の中で一分ほど数えると「すみません」と言って立ちあがった。
「気分が悪くなったのでトイレに行きたいのですが……構わないでしょうか」
俺が申し出ると、困惑した客たちが一斉に「どうしたものか」と顔を見合わせた。
「実は持病がありまして、薬を飲めば落ちつくと思うのですが……うっ、急に吐き気が」
俺は客の反応を待たず、ふらつくように席を立つとそのまま出口の方に移動を始めた。
「待ってください、もう少し我慢すれば料理長が……」
俺は背後から追いかけてくる声を無視してフロアの外に出ると、後ろ手でドアを閉めた。
――待ってろよ、ガフ、ジーナ。……今助けだしてやるからな。
俺は食糧庫の方向を見据えると、人気のない廊下を病人とは思えぬ速さで駆け出した。
〈第四十七回に続く〉
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