第29話 さらば美しき機械よ

「連絡通路へ最短距離で行くなら、ロビーを突っ切るしかないみたい」


 エレベーターの箱が一階に到着した途端、姑娘が言った。


「仕方ないな。エレベーターの外に『お出迎え』がいたとしても強行突破するしかない」


 俺は開き始めた扉の内側で身構えながら言った。扉が半分ほど開いてロビーの一部が露わになると、行き来する職員や椅子に座っている患者の姿がちらと見えた。


「……まずい!」


 突然そう叫んで開閉ボタンを押したのは、『チップマン』だった。


「いったいどうしたんだ。武装した連中でも見たのか」


 俺が問い質すと『チップマン』は無言で頭を振り、四階のボタンを押した。箱が再び上昇し始めると『チップマン』は血の気のない顔で俺の方を見た。


「ロビーにいたのは『アートマン』たちだ。連中はただのAPと違って容赦がない」


「アートマン?」


「私のように端末を埋めこまれただけの人間と違い、APそのものを埋めこまれたいわば『人格が二つある』怪物だ」


「人格が二つ……」


「悪いことは言わない。ルートを変えた方が身のためだ」


 唐突な作戦変更に俺が異を唱えようとした時、到着を知らせる音と共に箱が止まった。


「こんな中途半端な階で降りてどうする気だ。この階に連絡通路でもあるのか?」


 俺が問いを放つと『チップマン』は首を振り「ここから隣の屋上に降りる」と言った。


「なんだって?窓から飛び降りるとでも言うのか?キャサリンはどうすればいいんだ」


「そのヒューマノイドボディは中身と入れ物が合っていない。中身だけを取り出して持っていくのが妥当だ。入れ物はここに置いていこう」


「本気で言ってるのか?」


 ストレッチャーを外に出し終えると、俺は『チップマン』を睨みつけた。


「本気だ。中身さえあればボディは同じ物が入手できる。このボディにはたぶんバックアップ回路が搭載されているから、簡単なコマンドだけでも造り主のところに戻るはずだ」


「だがキャサリンの姿をした女を置いてゆくわけにはいかない」


「それしか脱出の手段はない。中身を外してしまえばAPですらない。初期状態の機械だ」


 俺は閉口した。たぶん彼の言う通りなのだろうが、キャサリンの本体を取りだして車でも人でもない状態で持ち歩くのは恐ろしかった。


「バックアップ回路に『玩具箱に戻れ』と命令すれば勝手にAP未搭載のボディを集めた収納庫に帰るはずだ。これは共通のコマンドで、いわば機械たちにとっての帰巣本能だ」


 俺は不気味なことをさも当たり前のように口にする『チップマン』に眉をひそめつつ、ストレッチャーの上のキャサリンに手を伸ばした。首のあたりにあるハッチを開け、三年ぶりにキャサリンの本体を見た瞬間、俺は不覚にも熱い物がこみ上げてくるのを覚えた。


 ――キャサリン。少しの間、君を生まれた状態に戻さなくちゃならないが辛抱してくれ。


 俺はキャサリンの本体を取り外すと、首の内側にある再起動スイッチを入れた。キャサリンだった女性の目がうっすらと開くと、俺は主を失った女の耳に命令を吹きこんだ。


「命令だ。『玩具箱に戻れ』」


 俺がコマンドを囁くと、あれほど起き上がるのに難儀していたキャサリンがあっさりとストレッチャーから降り、俺たちの方を見もせずに廊下を歩き始めた。俺は手の中の本体を鞄に忍ばせると、後ろ姿を振り切るように頭を振った。


「さあ、どうすりゃいいんだい『チップマン』。言っておくがボディから切り離された本体のバッテリーは一時間程度しか持たない。その間に車にたどり着けなければキャサリンは死ぬ。……もしそんなことになってみろ。お前さんの首をAPたちに献上してやるからな」


 俺の脅しに『チップマン』は顔をしかめ、やれやれというように肩をすくめてみせた。


「お好きなように。さて、うまく身軽になったことだし、出口に急ぐとしよう」


 俺は迷いのない足取りで廊下を進む『チップマン』の後を、訝りながら追っていった。


「さっき隣の屋上に降りると言ったが、窓から飛び降りるのか?いくら一階程度の高低差でも飛び降りたらさすがに足がどうかなっちまうぞ」


「そんなことはしない。仲間に協力してもらう」


「仲間だって?」


「そう、ここにいた時に知りあった機械だ。たぶん協力してくれると思う」


 さも当然のように言い切ると、『チップマン』は赤い箱のついた扉の前で足を止めた。


「ここが非常用の脱出口だ。火災などが起きるとドアに埋めこまれたAPが斜め下のビルに向けて梯子を伸ばしてくれるのだ。……論より証拠、まずはやってお目にかけよう」


『チップマン』は赤い箱を開けると中のボタンをためらうことなく押した。するとあたりにけたたましいサイレンが響き渡り、ドアが「災害発生、災害発生」と繰り返し叫んだ。


「隣の屋上に脱出する。梯子を起動してくれ」


「了解。脱出用の非常梯子を起動します」


 応答したドアが自分から外に向かって開いたかと思うと、足元の突起部分から金属の梯子が斜め下の屋上に向かって伸び始めた。同時に屋上の柵が開き、向こうからも金属の梯子がこちらにむかって伸び始めた。


「真ん中で連結したら降りてくれ。見た目より頑丈なので怯える必要はない」


 そういうと『チップマン』は、俺に外に出るよう促した。俺は身体の向きを変えると、ゆっくりと梯子に足をかけた。下り坂になっているため、後ろ向きで降りざるをえない。


「たかが四階だが、下は見ない方が早く下りられるはずだ」


 俺は後に続く『チップマン』の助言には答えず、徐々に降りる速度を早めていった。


 ものの十秒ほどで梯子の真ん中に到達し、俺がほっと安堵しかけた、その時だった。銃声が響いたかと思うと、肩にかけていたストラップの抵抗がふっと失われた。


 ――しまった!


 顔をねじ曲げて下を見ると、鞄が梯子の上を転がってゆくのが見えた。鞄は屋上に停められた車の屋根に当たって弾むと、そのまま裏側の死角に落ちて見えなくなった。


「くそっ、飛び降りるしかないか!」


 俺が意を決して梯子の上に立ちあがった瞬間、轟音とともに梯子自体が付け根からぼきりと折れるのが見えた。


「うわああっ」


 俺は受け身を取る間もなく、建物の周囲に設けられた植え込みに落下した。いくらか痛みを感じたものの、ほどよく伸びた枝に衝撃が吸収され、俺はほぼ無傷で地上に転がった。


「……畜生、早く屋上に上がらないと」


 立ちあがって上を向いた俺の目に、折れた梯子にぶら下がっている『チップマン』の姿が飛び込んできた。面倒だが、あいつだけ助けないというわけにもいかない。


 俺が建物の入り口を探すべく、歩き始めたその時だった。前方から複数の人影がこちらにやって来るのが見えた。表情のないパジャマ姿の集団――この施設の患者たちだった。


 ――あんたたちに恨みはないが、邪魔するつもりなら荒っぽい手を使わせてもらうぞ。


 戦いたくはないんだがと付け加えつつ、俺はミハイルから貰った電磁鞭を取り出した。


              〈第三十回に続く〉

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