第28話 めぐりあう荷物たち
「あ……」
キャサリンは台の上で短い呻きを漏らすと、わずかに身じろぎした。意識はあるようだ。
「動けるか?キャサリン」
「う……うう」
なんだか様子がおかしい、と俺はキャサリンを見て気付いた。手足を動かしているにもかかわらず、キャサリンは上体を起こすことすらできずにいた。
「どうしたキャサリン、具合が悪いのか?」
こちらを向いたキャサリンと目があった瞬間、俺ははっとした。いつものキャサリンじゃない。声も顔も確かにキャサリンだが、俺の存在を理解していないようだった。
「君は本当にキャサリンなのか?それとも……」
疑念にかられた俺が思わず問いを投げかけようとした、その時だった。
「ボス、レディオマンの切り離しに成功したよ。装置の下の方から助けだせるって」
ふいに姑娘の声が飛んできた。俺は「わかった」と応じると、キャサリンの傍らを離れた。姑娘はすでにコネクタから尻尾を外し、床の上に降りていた。
俺は装置の前に屈みこむと、姑娘が尻尾で示したハッチをドライバーで外した。蓋を取ると絡み合った配線に埋もれるようにして見慣れたカーオーディオが姿を覗かせた。
「――レディオマン!」
「おお、何て眩しいんだい!初めて車に積まれた日を思いだすねえ」
レディオマンの声がイヤホンと目の前の本体から同時に聞こえ、俺は胸をなでおろした。
「レディオマン、悪いが車のところまで連れていく間、君の声は受信機の方で聞かせてもらう。家に戻ったらまた、勢いのつく曲を頼む」
「オーケー、そういうことならおとなしく待ってるとしよう。ただし長旅はごめんだぜ」
俺はレディオマンの身体を装置から外すと、鞄の中にしまいこんだ。立ちあがって振り返ると、キャサリンが虚ろなまなざしのまま、起き上がろうともがいているのが見えた。
「いったいどうしたって言うんだ、キャサリン。君に見えても君じゃないのか?」
俺は目の前にいる相棒にまるで反応しないキャサリンを途方に暮れながら眺めた。ウェーブのかかった髪、長い睫毛、きめ細かな肌、どれをとってもホログラムで見慣れたキャサリンそのものだ。
「ボス、キャサリンはここには半分しかいないわ」
「どういうことだ?」
突然、姑娘が奇妙な言葉を口にした。半分しかいないだって?
「この身体に移された時、キャサリンはヒューマノイド型になじんだら元の自分じゃなくなるって思ったのよ。たぶんキャサリンの半分はまだ、車の中でボスを待ってるはずよ」
「なんてこった。このままじゃ車のところまで自力で歩いて行く事さえできないのか」
俺は台の上で身じろぎを続けているキャサリンの耳に顔を近づけ、問いかけを試みた。
「キャサリン、もし少しでも俺がわかっているなら、車のある場所を教えてくれないか」
「お……屋上駐車場」
「屋上駐車場?そいつはどこだ?」
俺がさらに畳みかけるとキャサリンは顔をそむけ、ぐったりとなった。
「ボス、さっきレディオマンを助けた時、ここの見取り図のファイルも手にいれたわ。屋上駐車場は隣の三階建てビルの上よ。一階に降りれば隣に繋がってる連絡通路があるわ」
「どうやらそこを通る以外に選択肢はなさそうだな。……こうなったらいちかばちかだ」
俺は部屋の奥まった場所に置かれていたストレッチャーを運んでくると、台の上に力なく横たわっているキャサリンの身体を抱きあげ、ストレッチャーに移して毛布をかけた。
「うまく騙せるかわからないが、患者を搬送する振りをしてエレベーターで一階に行こう」
俺は姑娘とレディオマンが入った鞄を手にすると、思い切って部屋を出た。だがストレッチャーを押し始めて間もなく、俺はF2フロアの真ん中で止まらざるを得なくなった。
「……通せんぼってわけか。どうあっても彼女を退院させないつもりだな」
俺たちの行く手を塞いでいたのは、最寄りの処置室から出てきたと思われるパジャマ姿の患者たちと、数名の職員だった。俺は身構えると共に突破口を開く方法を思案した。
――人間か?APなら『消去弾』が有効だが……
様子をうかがっていると、前方でバリケードを築いている集団の一角が崩れて左右に散開した。どうやら逃げ道を失くそうという肚らしい。俺は一歩前に進み出ると、集団の中心に向かって『ジュピター・ショット』を投げつけた。
次の瞬間、バチンという破裂音と短い悲鳴がこだまし、あたりにオゾン臭が漂った。
「すまない、少々乱暴だが行かせてもらうぞ」
俺は誰にともなくそう告げると、倒れている患者たちを踏みつけるようにしてフロアを横切った。放電ならAPにも人間にも効果がある、その選択はどうやら正しかったようだ。
処置室の間を抜けてなんとか別のブロックに出ると、イヤホンから指示が聞こえてきた。
「ふふん、なかなかワイルドだねえジェントルマン。ちなみにエレベーターはそこの角を右に曲がったらすぐだ。無事に辿りつけることを祈ってるよ。ラブ・アンドピース」
「サンキュー、グッドナビゲーションだレディオマン。もう少しだけ音量を絞ってくれ」
俺は鞄の中の相棒に礼を述べると角のところで一旦、立ち止まった。ストレッチャーを隠して角から顔を覗かせると、突き当りにエレベーターの扉が見えた。
「よし、一気に行くぞ」
俺はストレッチャーを押しながら角を曲がると、既に正体がばれているにもかかわらず、慎重な足取りでエレベーターの前に移動した。一階のボタンを押して箱が来るのを待っていると、背後から複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。
「まずい、早く乗らないと」
俺が二つ目の『ジュピター・ショット』を握り締めて廊下の角を見据えた、その時だった。痩せたパジャマ姿の人物が現れたかと思うと、こちらに向かって突っ込んでくるのが見えた。
――あの男は!
見覚えのある顔に俺が唖然としていると、人物を追ってきたらしい職員が角から姿を覗かせた。俺は「頭を下げろ!」と叫ぶと『ジュピター・ショット』を勢いよく放った。
「……ううっ」
放電の音と共に職員が倒れ、頭を押さえて蹲っていた人物がおそるおそる顔を上げた。
「……すごいな、旦那。あんなものを用意してくるなんて」
目を丸くして近寄ってきた人物に、俺は「こんな形で再会するとはな」と声をかけた。
「ふふん、こうなったら『サンクチュアリ』の外まで一緒に逃げてもらうよ、運び屋さん」
そういうと人物――『チップマン』は、到着したエレベーターにそそくさと乗り込んだ。
「やれやれ、この仕事はキャンセルしたんだがな。妙な場所で依頼人を見たと思ったら、今度は落っことしたはずの荷物が向こうから戻って来た。一体、どうなってやがるんだ」
俺はキャサリンと共にエレベーターに乗り込むと、わずかばかりの安堵を噛みしめた。
まずは計画通りだな。……奇妙な『荷物』が一つ増えたことを別にすれば、の話だが。
〈第二十九回に続く〉
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