人間は考える葦である ――パスカル (4)

 轟音と共に、正面の仰々しい扉が開いた。

 人影は六つ。立川は全員を見つめ返す。

 ――どうもきな臭いとは思っていたが、やはり罠だったか。

 中に、付き合いの長かった、赤い髪のベーシストの姿を目に留める。手にはベースではなく金属バット。他のメンツも各々がお気に入りの長物を持っている。どうやら臨戦態勢のようだ。

「何の用?」

「テメェをぶっ潰しに来たんだよ」

「……穏やかじゃねえなあ」

 ともかく奴らの狙いは俺のようだ。それだけだったらむしろありがたい。

 立川は思考を巡らせる。背後の瑠璃たちの存在は、悟られないようにしなければ。彼らが無事にここを離れたことを祈る。

 大ぶりな長物に隙が多いのは、自分も馴染みのある得物だからよく知っている。

 睨み合いと沈黙。雨音だけが響く。相手の一人が一瞬、目の緊張を強めた。

 同時に走り出す。

 長い得物はリーチに入ってしまえばこっちのものだ。力任せの振りを避ければ、簡単に懐に潜り込める。まず顎に一発。相手の視界が眩んだところで、袖に隠していたナイフで、手首の腱を切った。血飛沫。バットの落ちる音。うめき声。後ろから怒号混じりに風を切る音。振り返りざまに急所に蹴りを入れる。二人ダウン。あと四人。

 ふ、と短く息を吐く。汗が滴り落ちる。

 振りかぶった金属バットを手のひらで受ける。腕が痺れる感覚。構うものか。そのまま振り払う。ガラ空きになった胴に踵をぶちこむ。肉のぶつかる重い音。後ろの一人も巻き込んで倒れる。

 長椅子に飛び乗る。金属に殴打された背もたれがへこむ。起き上がりざまの鼻っ面めがけて飛び降りた。あと二人。

 振ったナイフが鼻先を切る。襟首をつかもうとしてくる手の平の真ん中を、今度は刃がまっすぐに裂いた。手を抱えながら蹲った頭を踏んだ。鼻先が床で押しつぶされる音。

 背後からの一振り。一瞬出遅れて、背中でもろにバットを受けた。蹴り上げたが、避けられる。

 一時後ろに退き、間合いを取る。残るは奇しくも赤髪のみ。

「聞いてやるよ。誰の差し金だ」

 足がかすかにふらつく。右手にしっかりとナイフを握る。あの時日野から拝借しておいて正解だった。

「誰だっていいだろ。あんたを憎んでるヤツなんかごまんといる」

「あっそう」

 答える気がないなら、気が変わるようにするまでだ。

 今度は一足あちらが出遅れた。さすがの反射で、バットを振りかぶってくる。転がって避ける。金属の床にぶつかる音。

「あらあら、野球部の一年生だってもう少しうまくやるよ」

「うるっせえんだよ」

 まんまと挑発に乗った。大ぶりになった動きの間に滑り込む。バットを避け、後ろ蹴りで叩き落した。相手はひるまない。そのまま向かってきた拳は、避けた顔のすぐ横を掠っていく。

 襟を掴まれた。ナイフを持ち替え、腕の外側に深く刺す。筋繊維を断つ感触。一瞬緩んだ手を振りほどきながら、鳩尾に靴底を叩き込む。相手の身体が床を転がっていく。

 赤髪はバットを拾い、杖のようにして立ち上る。タフなことだ。

「っは、容赦ねえよなあ。俺はベーシストだぜ?」

 腕が資本なのによ、と赤髪。暗がりでも腕に注射痕が見える。

「ラリってるヤツに舞台に立つ資格はねえよ」

 立川はせせら笑う。その実、肩で息をしながら。

「ったく、冗談きついぜ。あんたが来てからインディーズは窮屈でしょうがねえ。地下は本来もっと自由な楽園だったはずだろ?」

「残念ながら、人間ってのは、楽園を出たヤツらの末裔なのさ。知恵の実の味を知れば、そうせずにはいられなくなる」

 立川はゆっくりと歩みを進める。勝機は見えていたが、まだ油断はできない。赤髪の態度にまだ余裕がある。

 赤髪の腕から、ぼたり、と重たげに血が滴った。

「いちいちくだらねえ、んだよッ!」

 不意にバットを横に振られる。力任せの動きなのに、距離を詰めすぎた反動で、一瞬、遅れた。

「っぶね」

 転がるようにして距離をとった。息を整える。相手も手負いだが、体制を立て直しつつある。重たいものを振り回す体力が残っていなさそうなのが救いだ。

 ヤツは感情的になっている。捨て身で振ってきた拳を流す。掴みかかろうとした手の真ん中を、ナイフで貫いた。骨まで断ち切るような、硬く鮮明な感触。力任せに引き抜くと、肌がみるみる血で染まる。

 赤髪は声にならない悲鳴を上げて倒れ込む。靴底で手首を固定した。厚い手のひらにもう一度ナイフを刺し直す。骨の擦れる音。悲鳴にならない声。

 まるで磔刑だ。右手がこの有様ではしばらくベースは弾けまい。

 床までしっかり差し込まれたナイフのせいで、赤髪は動けない。見開いた目から涙を流したまま、「クソッたれ」と言う声だけが恨めしげだ。

 立川はつまらなそうに立ち上がり、ナイフの柄に足をかける。

「もう一度聞いてやるよ。差し金は誰だ」

「……ッ、さあな」

 押し込むように柄を踏んだ。ひときわ大きな悲鳴。稲光が男の脂汗をも浮かばせる。

 赤髪は胸を大きく上下させる。

「……これで終わりだと思ってんならおめでたいぜ、あんた」

 消え入りそうな、だがどこか馬鹿にするような声音。立川はハッと目を見開く。

 第二波か。

 通路と教会と、前後の入り口を張っていたか。勝手口から逃がした彼らは無事を祈る。

 入り口からぞろぞろ教会へと入ってくる人影を、立川はしっかり目に留める。人数は六人。さっきと同じか。だが一人、ひときわ体格が良いのがいる。

 正直なところ、立川はかなり消耗していた。もろに打撃を受けた肩と背中は、脈動に合わせてずきりと痛んだ。悟られないよう、ぐっと歯を食いしばる。

 後ろで人の動く気配がした。さっきノした連中の何人かが、よろよろと起き上がりつつあるところだった。まるでゾンビ映画だ。立川は心中でひとりごちる。

 挟撃か。しかもこの人数だ。まずいことになった。

 立川はナイフの代わりに、赤髪の落とした金属バットを拾い上げる。何度か握り直し、深く息を吐いた。やはりこちらの方が手に馴染む。

 ひとりの怒号を境に、向こうの手勢も走り出す。

 狙うは顎と歯。胴に隙があれば腹も狙う。長物は盾にもなる。拳やら足やらを受け流しながら、うまくいけば多段ヒットにもなる。長椅子の隙間を抜けながら、椅子の背を足場に飛び上がった。バットの芯が脳天を捉える。

 着地した拍子に視界が揺らぐ。腰を掴まれそうになって蹴り払ったのもつかの間、今度は二の腕を掴まれた。目視で確認できる人影を数える余裕もない。わかるのは多勢に無勢ということだけ。

 正面に一人。振りかぶられた一瞬の隙に、股間を蹴った。腕をどうにか振り払う。もんどりうって倒れたそいつの後ろから、視界が翳るほどの巨漢が顔を出す。熊みたいな大男。――俺はコイツを知っている。

 モタモタしている間に、取り囲まれた。荒い呼吸の中で、立川は舌打ちをする。

「よお立川。会うのは何年ぶりだろうな。お前がインディーズから尻尾巻いて逃げてから、もう随分だよな、え?」

 一瞬のフラッシュバック。不愉快な記憶と共に呼び覚まされた彼の顔が、愉悦に歪んだ。

 腕が怠い。金属を振り回すにも限界がある。

「それがまたノコノコ戻って来たって聞いた時は驚いたぜ。コイツはまた――」

 黙れ。

になりに来たのか、ってな」

「――ゲス野郎」

「おっと、いいのか、そんな口きいて」

 閃光に下卑た笑みが照らし出される。雷鳴が轟いた。先方が、ほんの一瞬、早かった。

 首に大きな手の感触。気道と頸動脈の塞がる感覚。苦しい。脚が宙を泳ぐ。短い呻き声が口から漏れる。からん、と金属が床に落ちた。首から手を引き剥がそうと、必死に爪を立てる。

「あのの無事はお前にかかってるんだぜ? どうするのが賢いかお前ならわかるはずだろ?」

 浮いた脚に力が入らない。視界が白む。

 いっそ気絶できれば楽なのに。オチるギリギリのところで、手が離れた。

 立川は床に放り捨てられた。激しく咳き込み、身体は酸素を求めて喘ぐ。身体中の表皮が痛痒い。首から手は離れているはずなのに、まだ首を絞める手の感触が残っている。

「抵抗するのは得策じゃねえよな? もっとも、お嬢ちゃんたちがシャブ漬けにされて売られてもいいなら、話は別だけどな」

 あんくらいの女ならポルノスターになれるぜ。その言葉を全て聞き届ける前に、立川は傍らのバットを投げ捨てた。

 こいつらが本当に手を出さないという保証は微塵もない。だけどこいつが執着しているのは俺だ。立川は知っている。

 背中に焼きついた怒りの痕が、今更熱く、痛んだ。

「ド畜生が」

 汚れた世界を背負うのは俺だけでいい。

「いつまでその生意気な口をきいてられっか楽しみだなあ?」

 爪先。まずは鼻っ面に一発。

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