善人なをもて往生とぐ、況んや悪人をや ――親鸞 (6)

 教師を辞めると言った瞬間、母親は泣き崩れて猛反対した。「いつになったらお母さんを安心させてくれるの?」と、癇癪を起こす子供みたいに、泣いた。

 正月休み、実家に帰省した折のことだった。

「やめろよ、みっともない」

 父親は母親を諫めたが、そんなの耳に入っていないようだった。

「そもそも教師なんて将来性がない職、お母さんは最初から反対だったのよ」「なんのために高いお金をかけて塾に行かせて、大学に通わせたと思ってるの? あんな私立なんかに」

 母親の鋭い剣幕の隙間で、つけっぱなしだったテレビから、場違いな笑い声が聞こえた。

 日野は他人事のような気分だった。今までに何度、この丸い背中が蹲るのを見ただろうか。心のどこかが麻痺しているような感じがした。

「……次の仕事の当てはあるのか」

 母親の嗚咽を傍目に、雑煮をすすりながら父親が尋ねた。この人も随分白髪が増えている。日野は控えめに「いや」と答え、これから自分がどうするつもりかを話した。ひとまず、三月まで教師の仕事は続ける。その間に次の職を見つける。説明している間にも、母親はずっと潤んだ目をしていた。

 正月番組特有の喧騒。冷めてしまった雑煮は、すでに餅が固くなりつつある。手を付ける気にはなれなかった。沈黙が気まずくて、目は無意識にテレビを見ていた。流行りのコメディアンの芸はちっとも面白いと思えなかった。

 その時、間が悪くCMが流れ、父親が小さく舌打ちをした。音楽監理局は、明るく健全な音楽を目指します。著作権料はアーティストの皆さんの活動に大いに役立てられています。子供たちのために、安全で安心な社会を。感動的なドラマ仕立ての、もっともらしい美辞麗句。

 それを聞いた母親が、はっと顔をあげた。まさか、と頭を掠めた嫌な予感は、単なる予感に留まらなかった。

「そうよ。音楽監理局なんかいいんじゃない? 響哉は昔から正義感が強かったものね、きっと向いてるわよ」

 日野の失態は、その言葉にあからさまに表情を凍らせたことだ。日野も父親も、思わず呆気にとられてしまった。

 母親と目があった瞬間、あぁまただ、と日野は思った。しかし母親が泣くことはなく、むしろ目尻に皺を寄せながら、穏やかに微笑をたたえた。

「……お母さんが、知らなかったと思う? あなたがどんな音楽を聞いていたか。あなたをそそのかした立川くんがどんな子だったか。音楽はやめてって言って、わかったって頷いてくれたあなたが、どんなサークルに入ったか」

 息を呑んだ。

 ――聖域など存在していなかったのだ。

 驚いたのは一瞬のことで、あとは地の底に落ちていくような絶望感だけが残った。

 俺はいつになったら、どうやったら、自分の人生を自分で歩めるのだろう。何もかも自由だと思えた、あのステージの上みたいに。

「母さん」

 制すような声は届かなかった。

「お願い、お母さんを安心させて」

 母親は縋るように手を握った。かさかさと乾いた小さな手だ。振り払うことは簡単なはずなのに、その手を拒絶できない自分の弱さが、憎かった。


 どうにか不採用であってくれないか。転職活動の狭間で何度も祈ったが、徒労に終わった。人員が足りないとの噂のあった音楽監理局には、拍子抜けするほどあっさりと内定がおりた。

 教職を辞しても、業務が過酷なのには変わりなかった。業務の内容や、クレームをぶつけられる相手が少し変わった位だ。通勤時間が長くなったぶん体力を消耗したし、教員時代に感じていたような、ほんのひととき報われるようなやりがいすらなかった。

 精神力のストックを削りながら、慣れない仕事に叱責を受けながら、日野はオフィスに通った。初任給は説明されたほど多くはなく、残業代はいっこうに払われる気配がなかった。奨学金の返済と社会保険料と年金と所得税と、少ない給料から容赦なく差し引かれた残りは、ほとんど家賃と食費と光熱費に消えた。

「中抜きすることしかできないくせにっ、この、泥棒っ!」

 窓口に問い合わせに来た女性から、お茶をかけられたこともある。著作権料を払っていないお客様の方が泥棒なのでは、なんて言葉が喉までこみあげた。毒されているな、と思う。

 過激な表現を控えてほしいというやり取りの中で、「文句しか言えねえのか」と電話口で怒鳴られたことも、一度や二度ではない。公共の場に発信する以上は基準を満たしたものでないとお子様などへの悪影響が懸念されますので。詭弁だとわかっていながら繰り返した。「どうしてこのくらいのことが過激だと言われるのか」「自由に曲を作れないくらいなら辞める」と、筆を折ったり、海外に拠点を移した音楽家も数知れない。その結果、海外で成功を収めたアーティストもいるのだから皮肉なものだ。

 朝が来るたびに、満員電車の吊革にもたれながら、一日が始まることを呪った。

 ただでさえ斜陽な業界だ。電車で音楽を聞いている人は、自分が子供の時よりずっと少なくなった気がする。

 音楽監理局。音楽文化の発展のため、なんて笑わせる。音楽教室から飲食店から映画館からアーティストから、容赦なく金を巻き上げて、肥え太ったのは監理局がらみの利権だけだ。辺りの草木が枯れるほど養分を吸い取って、後には何が残った? これが「明るく正しく健全な社会」なのか?

 そんな違和感を吐き出す場所さえなかった。

 黒く、粘ついたコールタールみたいなものが、身体の奥底に溜まっている気がした。休日は布団から起き上がることができなかった。食事も簡素な出来合いを食べるだけで精いっぱいで、親から変わらず来ていた仕送りの米だけが、未開封のまま溜まっていった。

 乗り換えのホームで人身事故のニュースを聞いた。迷惑そうに顔をしかめる大人たちを、子どもの頃は人でなしだと思っていた。それでも、出社時間に間に合わない可能性がある時には、タイミングの悪さを嘆かわしく思った。

 黄色い線の外側を見ながら、ぼうっと意識が吸い寄せられたこともあった。

 電車に轢かれてばらばらになった自分の姿を想像した。眼鏡はどこかに飛んでいってひしゃげて割れる。安いスーツは簡単に引き裂かれて、肉片になった自分を搔き集めながら、駅員が遅延を詫びる。誰かが舌打ちをしたり、顔をしかめたりする。

 我に返った時、自分の病み具合に思わず失笑した。午前休のある休日出勤の日に心療内科に行ったら、流れ作業の一環みたいに、軽いうつの判を押された。焦りの奥には「やっぱりな」と納得するような気持ちと、なぜだか少しの安堵感があった。

「日野さんは、少し休む時間が必要でしょうね」

 医者にはそう言われたが、休む時間を捻出する気力もなかった。

 向精神薬で騙し騙し仕事を続けた。思考を阻害するためのものなのか、薬を飲んでいる間だけは、どす黒い気持ちが和らいだ。それでも、些細な言葉尻に赤を入れるたびに、未申請の脱法ライブを摘発するたびに、自分が赤子の首をしめているような、奇妙な感覚に襲われた。

 ピンク色の赤子みたいな、生まれたばかりの音楽は、自分が少し力を込めるだけで、簡単に殺せてしまう。その時、自分の心のどこかも、同じように死んでいく気がした。

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