第20話 決める。

 天狗の里に降り立った静真は、その空気の悪さに驚いた。

 確かにこの数十日の静真は滞在する時間が短かったし、周囲に目を配る余裕もなかったが、それでも穢れがはびこり、空気がくすんでいすらするのは異常だ。

 里は常に清涼に保たれ、俗世とは隔絶していることを誇りとしているのだから。 

 これは一夜で蓄積される量ではない。気づかなかった己の目の曇り具合に呆然としたがこれが本来の姿であるのかもしれないとも薄々気づいていた。


 静真は足早に里を通り抜け、長のいる本殿へゆく。途中ですれ違った天狗がぎょっとした顔をしていたのは、静真が天狗面を外していたからだろう。

 あの面を紛失していたと言うのもあるが、なによりもう付けようと思わなかったのだ。

 渋郎は静真にいくつかの知恵をくれた。選ぶのは静真だとそう言って。


『本当は一刻も早く離れたほうがよいと思いやすがね、あにさんの心の整理も必要でしょう』


 何かあったら必ず知らせるように、と念押しされて静真は里に戻ってきていたのだ。

 渋郎には念のためにいくつかのものを託しておいた。複雑な表情を浮かべていたが、それでも承諾をしてくれていたため。

 正直己がどうしたいのか、静真はまだわかっていない。静真はここでしか生き方を知らなかったのだから。しかし、それでも静真は確かめたいことがあったために一度戻ることを選択した。


 すぐさま通されて、いつもの部屋で治道ちどうと対峙したとき、静真は違和を覚えた。

 治道、と言う天狗は静真が知る限り最も天狗らしい男だ。厳格に修行を積み、巧みに神通力を用い長として里を率いまとめ上げている。

 一部の隙もなく、里に住まう天狗は皆、畏怖と敬意を払っている。そういう存在で静真もまた天狗であるために規範としていた。顔を合わせることも毎回少し緊張していたほどだ。

 今日も身が固くなるのは変わらない。しかしなんとなく体に覚える圧が弱いような気がした。


「遅かったな。任務は完遂できたのか」


 開口一番そのように言われて、静真は思考から引き戻される。どことなく浮ついていた気持ちが冷えた。

 いや、これは落胆なのか、と静真は唐突に気がついた。

 期待していたのかと理解してぎしりと心がきしむのを覚える。


「穢れを落としていました」


 案じるような言葉をかけられるのではと考えていた己の浅はかさが嫌になりつつ、静真は常のように報告した。

 一度だけ、うなずいた治道はいつもならば辞するように手で示すが、静真は話がある。しかし口を再度開き直そうとした時、治道が先に話し出した。


「お前に縁談がある。別の里の者だが、純粋な天狗の娘だ」

「は」


 静真は本当に虚をつかれて目を見開いた。縁談という言葉も現実味がなかったし、その相手が天狗の娘というのも、まるでわからなかった。

 なぜならば、天狗は特に同族以外に心を許さない。許したとてそれは愛玩の心しか持たないのだから。夫婦になれというのはつまり。


「式は一月後、お前もよい年だ。天狗の一員として身を固めて、よりいっそうお役目に励むように」

「俺を、天狗だと言うのですか」


 いまさら。という言葉は幸か不幸か言葉にならなかった。

 しかし静真の問いを予想していなかったのか、治道はわずかに眉をひそめた。


「お前は役に立つからな」


 静真は昔は、この男に褒めてもらおうと、せめて気に入られようと血のにじむような努力を重ねていた。

 母が死んでから、わずかなりともよりどころとできるのは治道のみで、幼い静真は言われるがまま従っていた。何でもいい、言葉をかけてくれ。と。

 しかし一度も、褒められることはなく、天狗として受け入れられることもなかったのだ。

 だから治道からもたらされたそれは、ようやく手に入った言葉のはずだ。

 にもかかわらず、静真の胸には空虚が宿るばかりだった。

 喜びも、怒りも悲しみも感じない。求められればそれでいいと、理由を考えることもせずお役目を果たしていたはずなのに。


 心に思い浮かぶのはあの部屋だ。小さくて狭くて、だが暖かい部屋。

 そして、小うるさい人間と小鬼と、なにより朗らかに笑う娘だった。

 みたされていたのか、と静真は気づいた。心から渇望し、願いあきらめていたそれは、娘に知らぬうちに注がれていた。

 そうして知った今では、わかってしまうのだ。治道のそれが冷めたものであると。彼女たちから与えられたぬくもりとは雲泥の違いであることを。

 どれだけむなしいことをしていたのか思い知り、静真は惨めな気分に陥る。しかし今までなくしたと思っていた情動が引き出され始めているのだ。変わる、というのはそういうこと。


 痛いな、と静真は思った。心というものはこれほど痛むものだったか、と。

 しかし静真の心は定まった。

 もう、負い目も伺いも立てる必要はない。静真は凜と背筋を伸ばした。


「必要ありません」

「……なに」


 いぶかしげな表情を浮かべた治道が、虚を突かれたように瞬いた。

 そういえば、否を唱えるのは初めてだったかと静真は遅れて気がついた。


「必要ない、ではない。決定事項だ」

「いらない、と言っています。ここに戻ったのは、暇を告げにきただけですので」


 治道がいらだつのが手に取るようにわかったが、静真はもう揺らがなかった。


「お前が今まで生きてこれたのは、なぜだと思っている。天狗であることをやめて何が残る。混ざり物であるお前がここ以外で生きていけると考えているのか」

「俺を天狗でない、と言ったのはあなたたちだ」


 静真はずっとずっと天狗でありたいと願っていた。己を人間だとも思えなかった。どちらにもなれない混ざり物。誰にも受け入れられないと思っていた。

 だが、天狗でもなく人でもない、「静真」であると娘は言った。静真が人の顔をしていても、天狗の翼を持っていても受け入れてくれた。だから静真はもういい、と思えたのだ。


「ならば、俺は俺の好きにする」

「……許されるとでも?」

「それは、こちらの台詞だぞ」


 言葉を崩した静真は、わずかに口角を上げて見せた。

 ずっと表情を変えなかった静真の挑むような表情に、治道が驚く気配を感じた


「下界で頻繁に起きている人の娘の誘拐事件。お前たちが見下している妖たちが本格的に調査に乗り出しているぞ。天狗隠しとはいえ同郷の目までごまかせると思わないことだ」


 大きく表情は変わらなかったものの、治道からわずかに漏れた忌々しげな表情で正しかったことはしれた。

 静真は久次や渋郎の証言と、実際に被害者に残っていた術の痕跡で、犯行がこの里の者であると確信した。あの手は佐徳のものだ。ほかにも見知った術の気配を見つけた。


「あの男達が何を目的としているかなど興味はない。だが天狗とも思えぬ下劣な振る舞いであると、ほかの妖怪どもに明るみになることも、許せぬだろう?」


 里は……とくに治道は身内の恥を極端に嫌う。ならば黙ると言えば十分な交渉材料になるだろうと踏んでいた。

 治道はゆっくりと、静真と視線を合わせた。その顔は、怒りとなんともいえぬいらだちにまみれている。

 そうやって真正面から視線を合わせることは初めてのように思えた。


「貴様がそうまで思い上がるようになっていたとな。憎らしい静女の血を継いだだけはあるか」


 憎々しげに母の名を吐き捨てられた。かつてないほど感情をあらわにする治道は、どこに隠していたのかと思うほど生々しい憎悪をたたえていた。


「いつだってそうだった。俺がどんなに天狗らしくあれと言い聞かせてもどうしてと余計なことを考えたあげく人間などに血迷った。お前だけはそうならせまいと思っていたのだが。どうやらまだ足りなかったらしい」


 厳しくすがめられた視線に貫かれるが、静真はかまわなかった。里の者であれば震え上がっただろうが、何度も死線をくぐり抜けた静真は慣れていた。

 しかし治道から諦めの色が見えぬことに気がつき。


「お前が執心している娘、あれを贄に使う。次の人柱が必要だったのだよ」

「贄、だと」


 意味は全くわからない。が静真は贄という単語にざっと血の気が引いた。

 今まで見ぬふりをしていたことがすべてつながっていくような心地がした。

 この天狗の里は恐ろしく清浄だった。一歩外に出ればあれほどの怨嗟が向けられているにもかかわらず。静真が今までに返した呪詛は数えきれないし、それですべてを防いだとも思えない。だが今の今まで天狗の里に穢れがはびこっていることにすら気がつかなかった。

 それを防ぐ方法を静真はいくつも知っていた。一番簡単なものは身代わりを用意することだ。腹の底から焦燥があふれ出し、衝動のままに声を荒げた。


「身代わりにしたのか、今までの穢れをすべて人にっ……!」

「合理的だろう。下界にいけばいくらでも代わりがいる。だが、ただの人間であると一時も持たん。静女を狂わせた術師はよく保ったが、御するのが骨だ。数で保たせるのも現実的ではない。その点、お前が目をつけた娘はほどよく霊力を持ちほどよく弱い。その命が尽きるまで、穢れをためられるだろう」


 静真は手足が崩れ去っていくような心地に陥った。

 遠い記憶にあるおぼろげな父の顔が浮かぶ。知らなかった事実に静真は衝撃を受けていた。

 だが否応にも理解してしまうのだ。

 天狗にとっては一族の者のみがが対等の存在でありそれ以外は路傍の石だ。人間など下界にはびこるただの獣程度にか思っていない。利用価値があるのならためらうはずがなかった。


 だが、あの呪詛の山はすべて天狗達が外の者に強いてきた結果身から出た錆だ。

 静真は里の者が術の探求のために村をいくつも壊したことを知っている。

 命乞いをしてきた者をせせら笑ってなぶり殺したことを知っている。

 退屈だからとさらってきた人間を無理矢理戦わせて見世物にしていたことを知っている。

 それを罪とも思わずさらにほかの存在を巻き込んで解決しようとする傲慢さが理解できなかった。


 自業自得なのだ。にもかかわらず、このような存在になろうとしていた己が情けなく恥ずかしく思った静真だった。

 しかし、それよりも。あんな優しい笑顔をうかべる娘を、自業自得の天狗達の慰みものにされる。己が関わったせいで。


「あの娘はお前に情けをかけてもらったのだろう、ならば里に貢献できるのであれば喜びを得るはずだ。あれがいなくなればお前も頭が冷えるだろう。静女は自死など選んだが、お前はあれほど弱くはあるまい」


 治道が付け加えた言葉に、静真は頭が真っ白になった。


「母は、知ったの、か。父が柱にされたことを」

「あの女は天狗であることを捨てたのだよ。たかが人間のためにな」


 今になって知る母の死の事実に、腹の底から焦燥と怒りがわき上がってくる。

 

 静真が立て膝になったとたん、襖を開けて天狗達がなだれ込んできた。

 静真が暴れようとすれば、取り押さえるつもりで控えさせていたのだろう。

 やはり自分を信用していた訳ではなかったと静真が思っていれば、治道が嘆息した。


「お前にはしばらく謹慎を言い渡す。婚約までに頭を冷やしておけ。お前は役に立つのだから、静女と同じにはなるな」


 静真はようやく理解した。

 治道はずっと、静真を通して彼の妹である静女を見ていたのだ。外に飛び立っていった静女が許せずに執着している。

 だがそれが、嫉妬心に似たものであると気づかないのだろうか。

 静真は身を焦がすような焦燥を抱えながらもくつくつとこみ上げてくる笑いを抑え切れなかった。

 静真を囲む天狗が不気味そうにするのがわかった。


「何がおかしい」

「ああ、おかしい。俺がこの里に魅力を感じていると思っていることがな」


 ほんの少しだけ嘘だった。天狗でありたかった未練はある。だが己で居場所を選んで良いと知った今、ここを選ぶ理由はなかった。


「お前にはすでに天狗の矜持はないのだな。混ざり物のお前に期待する俺が愚かだったか」


 治道に軽蔑のまなざしを向けられたが、静真はもうとりあわなかった。

 傲然と、治道をかつて従った男をまっすぐにらみつけた。

  

「俺が同胞ではないと言ったのは貴様らのほうだ。そもそもこの程度の人数で俺を押さえられると考えられているのがおかしくてたまらないな」


 嘲笑してみせれば、背後の天狗達が気色ばむのを感じた。怒気をあらわにしながら一斉に刀を抜く。

 だが静真が指先で用意していた術を広げる方が早かった。

 影を縛られた天狗達が身動きを封じられている間に、静真は袖に隠していた短刀を引き抜いた。

 同時に、術をはじいていた治道が引き抜いた短刀とぶつかりあう。

 治道がわずかに目を見張ったのは、静真が武装を解ききっていなかったことか。術を発動したからか。それとも静真の力に競り負けていることに驚いたのか。

 わずかに焦りを帯びていることが刀から伝わってきた。


 ああ、己はこの男よりも強くなっていたのだな、と思ったが。

 だがどうでもいい、と静真は一度強くはじいて距離をとると、右側においていた愛刀をつかんで窓に走る。


「もう遅いぞっ。すでに佐徳が回収に向かっている」


 背中で聞いた治道の声に、ぶわりと感情があふれ振り返った。


「あの娘に一筋でも傷がついていれば、貴様らを俺のすべてをかけて呪う」


 この男が両親の敵だとわかった今、殺してやりたい想いは体中を荒れ狂っていた。

 しかし、娘はまだ生きているのだ。

 乱暴に障子を蹴倒した静真は窓から飛び立った。


 力強く羽ばたき、一気に最高速に乗る。


 この翼が折れても良い。引き替えになっても彼女が助けられるのならかまわない。

 一縷の望みをかけて術を編みながら静真はぎり、と奥歯をかみしめる。

 

 あの娘を失えば、今度こそ己の心は死に絶えるのだろうと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます