第14話 弟の懸念

 静真が翼を広げてベランダから出ていったあと、久次はどっと安堵の息をついた。

 結局着たままだったジャケットを脱ぐ。外ポケットから内ポケットまでありとあらゆる呪具と呪符が仕込まれた特製品だ。

 一枚使えばあれを普通の妖であれば封じて滅することができるほどの威力を持つものばかり。どうしてもやつの前では脱げなかった。

 姉の手前なにも言わなかったが、久次はずっと臨戦態勢だったのだ。

 正直勝てる気はしなかったが、それでも姉を守り一矢を報いる位はしたかった。

 天狗、と知った時はどうなるかと思ったが、普通の……と言うと語弊があるが、話の通じる青年で心底良かったと思う。


 久次は天狗を知っている。

 傲慢でされどその格の高さと歴史の古さ、そして強さゆえに妖の社会で幅をきかせる天狗の一族。あまりに同族至上主義が過ぎた結果、多くの恨みを買い多少衰えているきらいはあるが、それでも彼らに敵うものはそういない。

 しかも数年前から刃向かう存在を積極的に始末することで再び台頭し始めたため、妖界隈でも、人の術者界隈でも頻繁に話題に上るようになっていた。

 妖の世界では力がすべてだ。

 低迷していたはずの天狗が威勢を張れる理由の一つがあの青年、静真なのだ。


 久次は静真を一度だけ遠くから見たことがある。

 顔の半分を天狗面でおおい、一撃で仕留めることこそが慈悲だとでも言うように苛烈に敵を狩っていた。

 その美しい翼を力強く羽ばたき空を駆る姿は、悔しいが恐れと美しさを感じたものだ。

 まさかその面の下が、あれだけ見目麗しいとは思わなかったが。

 しかしそれでいくつか腑に落ちることもあった。


 天狗達は、あの青年に邪魔な存在を排除させ、さらには外部から請け負った一歩間違えれば死よりもおぞましい未来が訪れるような呪詛の解呪をさせているらしい。さらには暗殺をさせることで巨額の資金を得ているだけでなく有象無象の魍魎どもも従っているようだ。

 ただたった一人では処理できるはずのない恨みと呪詛をもらいながら、一族が断絶していないことが奇跡なため、外法に手を染めているのではという噂も流れているが。

 ともあれ人間を嫌っているにもかかわらず人間社会の貨幣を必要としているとは、久次は大いに嘲笑してやりたい気分になったが。もっとわからなかったのは、静真がそれほどの実力があってなぜそこまで里に尽くすのかだった。


 だが静真の容貌を見た今納得できる。

 久次は排他的で純血主義である天狗についても小耳にはさんでいた。

 あの青年の出身である久遠山の天狗たちは人間を蛇蝎のごとく嫌い、さげすんでいる。

 どのような扱いを受けてきたかまでは知らないが、天狗としての容貌を受け継がなかった静真が一族と「同じ者」として扱われて居なかったことは想像できてしまったのだ。


 そういうことに、久次の姉である陽毬はひどく敏感だ。

 悲しみや痛みの感情に恐ろしいほどの嗅覚を発揮する。小さなころから久次が落ち込んでいれば絶対に気づいてくれ、さらに傷ついた妖たちを懐に入れ癒やしてきた。

 もちろん何度も痛い目に合っているし、報われなかったこともある。だが陽毬はめげずに関わり続け、それを続け両親が亡くなってからはより献身的に人間、妖問わず心を傾けるようになった。


『だって、痛いのは嫌だし、悲しいのは嫌でしょう』と笑って。


 そして陽毬の温かさにふれた多くの妖たちが姉に感謝し慕った。その数はずっと側にいた久次にも把握できていない。

 時々久次でも驚くほどの大物とつながりがあって顔を引きつらせることもあるほどだ。

 そんな陽毬だから、静真を拾ったのだろう。しかしながら今回は極めつきだった。

 こういうときに姉を助けるために拝み屋の道を選んだのだが、陽毬はこちらの予想の数段上を言ってしまう。

 天狗につきまとう黒い噂を嫌と言うほど聞いている今はなおさらだ。


「久次、今日は泊まっていくよね」


 こっちの気も知らず、マイペースに片付けを終えた陽毬の問いに、久次は脱力する。


「泊まるけど……姉貴、なんてもんを拾ってきてるんだよ」

「え、静真さんのこと?」

「そいつ以外誰がいるよ……天狗だぞ、あいつらめちゃくちゃ人間嫌いで有名なんだぞ。よく出会い頭に殺されなかったよ」

「たしかにはじめは驚いていたけど、全然大丈夫よ。不器用だけど私のこととても気遣ってくれるもの」

「あのツンドラ高慢野郎がかぁ?」


 久次は長年の経験から「はじめは驚いていたけど」の部分が非常に気になったが、気遣ってくれると言う言葉に眉を上げた。

 天狗は借りを作ることを非常に嫌がる。プライドが高いがゆえに格下となる妖や人間に施しをされることが我慢ならないらしく必ず何かしらの義理を返すのである。

 その一環で静真は陽毬の元に通っていた風ではあるが。それだけにしては違和があるのも確かなのだ。

 首をひねって悩む久次だったが、はにかむ陽毬の視線につられるように向いたのは窓の……ベランダだった。


 このマンションは古くはあるが、その割には広々とした空間がある。陽毬はそこで良く食べられる植物を栽培していた。

 そういえば鉢のいくつかが見慣れぬものに変わっていることに気がついた。


「あのね、あの人が落ちてきたときにつぶれちゃってね、トマトとキュウリとハーブの鉢が枯れかけてたの。でもその次に来て帰ったあとには元気になってたのよ。たぶん、なにかしてくれたのね」

「あいつが直したって言ったのか?」

「ううん。何にも言わないわ。でもたぶんそうだろうなあって。時々お魚とか、栗とかも持ってきてくれて、この間は危なっかしいからって買い物にも付き合ってくれたの。律儀だよね。静真さん」


 とっておきのことを打ち明けるように陽毬に次々と静真と過ごした時の話を聞くにつれ、久次は恐ろしい胸騒ぎがする。

 確かに、もう晩秋にも関わらずトマトの苗は葉の緑もみずみずしく、キュウリもたわわに実っているのは妙だと思った。それは天狗が使う神通力によって生命力を補われたからと説明がつく。

 だが静真の行動は、明確な言葉こそないものの、どれもこれもただの義理というだけでは片付けられない想いがあるように思えて仕方がなかった。

 陽毬の足が治っているにもかかわらず変わらず通ってきているのもおかしい。


 今日話してみて、意外にも人間らしい情動があるとわかったからこそ、少しだけもしかしたらという思いが生まれていた。

 が、それを陽毬に言うつもりはないが、今回は見逃せないと久次は口を極めて忠告した。


「なあ姉貴、あんまり懐に入れるなよ。そもそもなあいつ男だからな。向こうにその気が無くたっていつでもオオカミになるもんなんだからな。そもそもいつも飯食わせたり手当したら終わりだろう? なんでこんなに長く付き合ってんだよ」


 こう言えば、陽毬は気の抜けた声音でのんびりと安心するようにとなだめてくるのだ。

 久次は心配ではあるもの、その言葉が揺らぐことはなかったからこのやりとりで安心できるのだが。陽毬はすぐには言葉を返さなかった。

 少し困ったようにほほえみ、言葉に選ぶように視線を彷徨わせる。


「だって、一人はいやだ、って言ってたの」


 いつも朗らかな姉の違う表情に久次は息を呑んだ。

 その瞳に強い意志を宿らせるが、少し苦しげななかにも甘やかな色がある気がしたのだ。


「私ね、あの人に関してはあんまりきれいじゃないんだよ。だって、あの人の居場所になれたらって思ったんだもん」

「姉貴……?」


 どこか遠くを思い出すように目を細める姉の顔は久次の知らないもので、ほのかに頬を染める姿は甘やかで。まるで……。

 こちらまで顔を赤らめてしまうようなそれに、久次がなにも言えないで居る間に、陽毬はいつものように明るい表情で笑った。


「先にお風呂入るね!」


 ぱたぱたと風呂場へと去っていく姉を久次は呆然と見送る。

 久次は怪異関連は玄人になったが、色恋の経験値は低い。それでもこれはわかる。わかってしまう。分け隔て無く接していたはずの姉がひいきをしている理由を。


「本気かよ、姉貴……」


 天狗は人間を極度に嫌っている。自分より劣った存在に対して心を傾けることをよしとしないからだ。できればあきらめて欲しかったが、姉は聞かないだろう。やつが妖だからではない。どちらに転ぼうと茨の道なものをどうして応援できようか。

 深々とため息をついた久次は、とりあえず部屋に張っている結界の点検をしようと立ち上がった。

 せめてこの部屋にさえ戻れば安全という状態にするために定期的に更新しているのだ。

 久次は結界の要としている札を覗いて、絶句する。


 見知らぬ術式で上書きされていたからだ。

 しかも久次が施したものよりも数段上手の術で。複雑なそれをなんとか読み取みとっていくにつれ久次の顔がどんどんこわばっていく。

 室内に居るものを徹底的に守るために執拗に隙なく組み上げられているそれは、術者の陽毬に対する執着を感じさせた。

 自分の今の技術では再現できないそれにじわじわと悔しさが湧き上がってくるが、それよりも静真に感じた違和の答えに気がついてしまった。


「あいつ興味ないって顔してたじゃねえか……」


 言葉よりも表情よりもずっと雄弁なそれに、久次は薄ら寒さを感じる。

 この感情に静真がどんな名を付けるのか。何より自覚した時の反応がまったく予測が付かなかった。だが、それでも久次は姉には幸せになって欲しいのだ。


「札、いつもより多めにおいていくか。姉貴を守るのは俺の役目だからな」


 これに比べれば気休め程度だが、それでもないよりはマシだ。

 少しはあった自信を無くしそうになりながらも、久次はここに通う頻度を増やして静真の邪魔をすることを心に誓った。

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