ツツククモモモ、ククラララ。
シュンケイ
全1話 出会い
「着いたわよ、ほんとにあんたは、家でも車の中でも寝てばっかりね」
母・千恵子の小言で、隆章は到着を知らされた。
母の実家は、緑に囲まれ小川が側でさらさらと流れている。空気も澄んでいて、日本の田舎の夏を感じられる場所だ。長い夏休みを持て余してダラダラしていた隆章を、母が見兼ねて自分の実家へと連れて来たのだ。
「ただいまー、お父さん、お母さん、隆章連れて来たわよー」
と、言いながら母が勢い良く玄関の引き戸を開けた。家の奥から祖父・俊正と、祖母・知冴が顔を出し、笑顔で迎えてくれた。
「おお、いらっしゃい。隆章、正月ぶりだな。また少し大きくなったな」
「隆ちゃん、来てくれてありがとう」
「じいちゃん、ばあちゃん、こんにちは。夏休みだからってダラダラし過ぎだって、母さんに引っ張り出されちゃったよ」
「そうかそうか。じいちゃん達、今終活っていうのやっててな、まぁ、断捨離から始めていこうって事で、もう使わない物を処分していこうと思ってな。隆章が、手伝ってくれると助かるんだが、やってくれるか?」
「うん、もちろん。母さんから聞いたよ。話の途中で寝ちゃったけど」
隆章が笑いながら言うと、祖父は隆章の頭を軽く撫でた。
「来て早々で悪いんだけど、隆ちゃんあの棚をじいちゃんと外へ運んでくれる?ばあちゃん、か弱いから持ち上げられないんだよ」
祖母から指示が入った。
「了解。か弱いばあちゃんの為に働くよ」
祖母・知冴は、病気知らずの健康体であるが、か弱い女子扱いをすると喜ぶのを隆章は知っていた。
断捨離かぁ。隆章は、家の中を見渡した。不要になってしまった物を、自分達が動ける元気なうちに片付けて、残される子ども達が困らないようにしておきたいのだろう。隆章は、それを感じとってしっかり手伝おうと思った。終活と聞くと寂しい気がするが、祖父母は片付いていく家の中を見て清々しそうだ。
重たい棚等は、隆章と祖父で動かし、食器・服・本等は、母と祖母で選別して纏めていった。4人で黙々と作業を進めて、二時間程経過していた。
「めっちゃ汗出てきた」
隆章は縁側に座って、首にかけていたタオルで汗を拭いた。家の中に、心地良い風が通り抜けていく。
「よーし、休憩にするか。おーい、お茶持ってきてくれー」
「はーい!」
祖父の呼び掛けに祖母が応え、すぐに冷たい麦茶をグラスに淹れて、振る舞ってくれた。
「ありがとう、ばあちゃん。うまっ、麦茶めっちゃうまい」
冷たい麦茶で、体の熱が治まっていくのを感じなから、隆章は気になっていた事を聞いた。
「じいちゃん、あの倉の中も片付けるんだよね?」
皆の視線が倉の方へと走る。
「ああ、そうだな。あの中にもいろいろと置いてあるからなぁ」
「俺もあの中、入ってもいい?」
「もちろん、いいぞ。隆章が見た事無いような物がいっぱいあるぞ、きっと」
祖父から鍵を受け取り、隆章は倉の扉の前に立った。改めて見て、白漆喰の重厚感のある倉の佇まいに、隆章は高揚していた。錠に触れると、それは更に増した。幼い頃に、おもちゃ箱を開けた時の感覚に似ている。鍵を回して錠を外し、扉を開くと、中からひんやりとした空気が出てくるのを感じた。夏の暑さを、この空間だけが遮っているようだ。
隆章は、そーっと、足を踏み入れた。倉の中には、所狭しと物が置いてあった。レコードプレーヤーに黒い電話、記念品等が入っていそうな木箱が多数積んである。奥に進むと、素朴な木製の机が置いてあった。その机だけは、スッキリとしていた。机の上には何も積まれておらず、埃っぽさも感じない。なんとなく中を確認した方がいいような気がした隆章は、机の引き出しを開けてみた。一段目は空っぽだった。二段目を開けてみると、ペンケースな様な箱が出てきた。箱を開けると、一本のペンらしき物が入っていた。ペンのキャップを外すと、万年筆のペン先が現れた。ペン軸は、木で造られていて、軸の後ろの方が細くなっている。デスクペンの形だ。後で、じいちゃんにこの万年筆を見てもらおう、まだ使えるかもしれない。と、隆章は万年筆を机の上に置いた。下の段の引き出しも開けてみたが、空っぽだった。机から出てきたのは、万年筆のみだった。祖父にとって大切な物かもしれない。
隆章は、更に奥に進んだ。倉の中の冷たい空気を、より強く感じた。隆章が気になった物は、倉の一番奥の隅に立て掛けられている物だった。布と帯のようなもので、ぐるぐる巻かれている長い棒状のものだ。1メートルくらいの長さがありそうだ。隆章は、何故かそれに強く惹き付けられ、手を伸ばした。あと、ほんの数センチで手が触れそうになった時、
「待て!それに触れるな!!」
隆章の背後から少女の声がして、隆章は手を止めた。声のした方を振り返ると、先程机の上に置いた筈の万年筆が横向きに宙を浮かび、その上にちょこんと、少女の形を成したものが座っている。黒髪を二つに結わえ、頭の上には金の冠を乗せ、赤と紫と白の配色の着物を着て、大きな瞳はエメラルドグリーンの様な色をしている。可愛いらしい顔立ちをしているが、少女の大きさは20センチ程くらいだ。人形にしか見えない。その人形が喋ったとなって、隆章は驚き過ぎて声もあげられなかった。咄嗟に目を閉じ、心の中でゆっくり十数え、数え終わった後、目をゆっくり開けた。
「居るし、まだ居るし!!」
少女はまだ浮かんだまま隆章を見ている。状況が呑み込めないなりに、隆章は考えた。この人形は、倉の中で眠っていた呪いの人形なのか。実は、夢、幻覚、等々、普段あまり使わない頭をフル回転させて、なんとか答えを導き出そうとしたが、解る筈もなかった。隆章が頭を抱えていると、少女が万年筆で隆章の頭をつついた。
「何を考え込んでいる?ワタシは、あの刀は危険だから、触れるなと言っただけだ。アレは、若い男が触ってはいけないものだ」
「すげぇ、喋ってくるし。人形…」
隆章は、つつかれた頭を擦りながら少女を見た。
「人形?ワタシの事か?ワタシは、人形ではない」
「じゃあ何者なんだよ。俺、霊感とか無いんだけど。今まで幽霊とか見た事無いし!」
「見て分からんか?」
「分かるわけないだろ!なんだよ、はっきり言ってくれよ」
聞きたくないが、聞くしかない状況である。
「つくも神だ。ワタシは、この万年筆のつくも神。長い時を経て、この身を得た。百年というのは、長いものだ」
「つくも神?百年?霊関係無い?神様?」
「人間がつけた名だ。精霊や、霊魂と解釈される事もあるらしい」
「精霊、霊魂って。霊って付いてるし。やっぱりそっちの人かよ」
「霊的なものなのだろうな。お前は霊が怖いのか?霊に何かされたか?ワタシはお前に危害を加えたりしない。助けてやったのに、礼くらい言え」
「礼?何の?」
「あの刀に触れようとしていただろう?」
「ああ、そうだったな。あんたとの遭遇で忘れてたけど」
「アレこそ、お前の恐れの対象だと思うが。あの刀に触れていたら喰われていたぞ」
隆章は、刀を振り返り見た。
「アレが俺を喰う!?何で!?まだ死にたくないし!彼女できた事ないし、夢の国も行った事ないし、まだ読みたい漫画の続きもあるし!こんな地味にダラダラしてるだけの奴を喰っても美味くないけど!」
つくも神は、万年筆で軽く隆章を小突いた。
「落ち着け。触れていたら、と言っただろ。触れていないから問題ない。彼女とやらもできるし、夢の国という所にも行けるだろう」
「えっ、俺、彼女できるの?つくも神ってそんな事も分かるのか?」
「分からん!」
「分からんって!?」
「そんな事は、お前次第だから分からん。落ち着かせる為に言っただけだ。察しろ」
「なんだよ、分からないのかよ。まぁ、確かに落ち着いたけど。で、何で触れたら喰われるんだ?」
「あの刀は、二百年程前に造られたものだ。布と帯に封印の術が施されているようだが、年々術の効力が弱くなっている。若い男の生気を欲している念が、洩れてきている。アレに生気を喰い尽くされていたら死んでいたぞ」
「俺、死んでたかもなの?」
「おそらくな」
「じゃあ、あんた、俺の命の恩人じゃん!ありがとう!」
隆章が真っ直ぐな目で礼を言うと、つくも神は照れ隠しなのか、そっぽむいてしまった。
「それにしても、じいちゃん、そんな危険なもの無造作に置くなよなぁ。孫が死にかけたってつーの」
「孫、お前、俊正殿の孫か?」
「うん。そうだよ。そっか、あんたじいちゃんの万年筆だもんな。とりあえずじいちゃん呼んでくるわ。じいちゃんもあんたの事、視えるかな?」
隆章がそう言うと、つくも神の目の色が少し薄くなり、揺らいだ。
「視えるかは、分からない。この姿で話せた人間は、お前が初めてだ。それにワタシの、万年筆の事など忘れているかもしれない。長い間、箱の中で眠っていた。捨てられなかっただけ、ましかもしれないが…」
つくも神は、俯いてしまった。
隆章には、しっかりと視えているが、実体は万年筆で、会話しているのは霊魂だ。祖父は、会話はできないかもしれないが会う事はできる。隆章は、自分を助けようとしたり、今、寂しそうに瞳を伏せているつくも神を見て、心は人間と変わらないじゃないか、と強く思った。
「とにかく、じいちゃん呼んでくるっ」
隆章は、縁側で座っていた祖父の手を引っ張って、倉に戻った。祖父の前に、万年筆を差し出した。
「じいちゃん、この万年筆さ、もう使わないの?」
隆章の肩につくも神が立って、隆章の髪を掴んでいる。つくも神の小さな震えが、伝わってくる。祖父は、万年筆を掌に乗せた。
「この万年筆、渋くていいだろう。じいちゃんが、ひいじいちゃんに貰ったものなんだ。ひいじいちゃんの、そのまたじいちゃんが、ひいじいちゃんが産まれた時に買ったものらしい。じいちゃんも、自分の子どもに譲ろうと思ったんだが、今はボールペンやサインペンが主流だからな。お前の母さんも、万年筆には興味を示さなかった。またいつか、この万年筆を使う時が来るかもしれないと、洗って箱にしまっておいたんだ」
祖父は、忘れてはいなかった。良かったな、つくも神。と、隆章はつくも神と目を合わせた。つくも神は、頬を緩めて祖父の傍に近付いた。祖父に姿は視えないようだが、つくも神は、長年の空白を埋めるように、ふわふわと心地良さそうに浮かんでいる。
「隆章、この万年筆使ってみるか?」
「えっ、じいちゃん使わないの?」
「はははっ、じいちゃんがまた使い始めても、あと何年使ってやれるか分からんし、隆章が貰ってくれると嬉しいんだがなぁ」
でも、つくも神はじいちゃんに使ってほしいんじゃないか?と、祖父の傍にいるつくも神に、めくばせした。すると、つくも神は晴れやかな表情を見せた。
「いいぞ。使っても。お前となら、こうして話もできる」
意外な答えだったが、そう、万年筆を貰うということは、もれなく、つくも神も付いてくるという事だ。隆章は、一呼吸おいて答えた。
「も、貰うかな。ありがとう、じいちゃん」
「おお、貰ってくれるか。なんかさぁ、先祖代々受け継がれてる万年筆って、ロマン感じないか?じいちゃんも、やってみたかったんだよ。いいねぇ、ロマン」
祖父が、ロマンに酔いしれていると、つくも神が隆章に言った。
「この机、机も欲しいって、言ってくれ。桧で出来ていて、良品なんだ。寝床として一緒に引き取ってくれ!」
つくも神に、ぬかりは無い。
「じいちゃーん、この机も使ってないなら、貰ってもいい?」
隆章が棒読みで聞くと、祖父が満面の笑みを向けた。
「ああ、いいぞいいぞ。この机もいいものなんだよ。桧でできてて香りもいい」
祖父からの赦しを得て、つくも神は机の上に寝転んで隆章を見た。
「隆章、これからよろしく頼むぞ」
頼まれてしまった。と、不安な気持ちも拭えないが、先祖からの付き合いのつくも神に、親近感も湧いてきてしまっている。隆章は、祖父に気づかれないように、手の親指と人差し指で小さく丸をつくって、つくも神に見せた。
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