レポート40:『ケセラセラ』

 ――翌日。



 制服に着替え、スマホを見れば氷室からのLINEが送られてきていた。


『今日朝練あるから先行くな』


 それは特に何の変哲もないメッセージだった。


 逆に運動部でありながら、登下校を共にしているというのがおかしな話。

 普通であれば、週1で休みがある程度のものだろう。


 氷室たちは真面目にインターハイ出場を狙っている。


 去年は1年生で初心者ということで、氷室の公式戦の出場は少なかった。


 けれどセンスは抜群で、練習試合を繰り返すことで、勝負勘を磨きながら、仲間との連携を図り、冬を越して体力を身に着けた。


 今年こそは関東大会で5強を目指し、インハイの県代表枠を獲得せんと奮起している。


 だから寧ろ、一緒に学校へ行こうというのが間違っている。


 一緒に帰るのも、生徒会により部活がない月曜日だけ。


 いくら楽しいことでも、休みが土日試合後の週1しかなく、そんな日でも生徒会に顔を出さなければならないというのだから、ブラックすぎるスケジューリングである。


 故に運動部に興味はあっても、何かしらのかせが働く活動は嫌いなため、氷室とは違い文化系に止まっているのが自分なのであった。


「……まぁいいか」


 登校中にでも氷室に『いじめ案件』に対する真意を確かめたかったのだが、聞く機会はいくらでもある。


 最悪、今日の放課後までに聞ければ問題ないだろうと、そう思い家を出る。

 いつも通り、自転車で駅に向かい、駐輪場に止めて、改札を抜ける。


 階段を2段飛ばしで軽々と昇り、2段飛ばしで駆け下りる。


 1段ずつ刻んでしまうと、膝が辛く異様に疲労感があるが、リズミカルに蹴り飛ばしていくと疲れないというのが、1年生の頃に編み出した省エネ術。


 のちにそれが、重心移動というバランス感覚を養っていた。


 さらに人混みの中では、3つのスキルを磨いていた。


 1つは、全体の流れを見ることで視野の拡大を図り。


 2つ目は、人混みに捕まってしまっては時間を食うからと、隙間を見つけては俊敏に闊歩する敏捷性を伸ばし。


 3つ目は、猫背で前方に体重を乗せることで、クラウチングスタートの要領で初速を上げ、猫背を直すことで停止するというチェンジオブペースを身に着けていた。


 どれだけ楽に帰宅後まで、体力と精神力を残しておけるか。


 そこに重点を置き、活動していたら、いつしか日常の最中から自身の体の扱い方を理解していた。


 ただそれだけの感覚的な話であり、思い込みであり、偶然の産物である。


 これぞ、エネルギー保存の法則。


 違うか? 違うな。


「よっと」


 玖日駅の上り線ホームに足を踏み入れ、鉄骨の傍へ向かう。

 朝のホームは少ない方ではあるのだろうが、田舎と比べれば十分多い方である。


 いくら空気に溶け込むのが上手い自分でも、フードを被った陰気な男が公共の面前で目立たないはずがない。


 学校では無関心な連中に紛れ、鳴りを潜めているに過ぎない。

 だが世間からは、物珍しい存在故に多少なりとも注目を浴びてしまう。

 被害妄想ではなく、確かな視線がチラホラと集中してしまう。


 けれどそれも、ひと月も経てば見慣れた光景と言った、日常の中にある普通へと変わる。


 人の認識も、時間が経てば慣れられて、自然と勝手に凡庸に成り変わっていくものである。


 ただそれでも、それを知らない、もしくは初めて目撃する者からは視線を集める。


 それを防ぐためにいつも鉄骨の横に立つことで、片方の視界を覆う。

 さらに背中で後ろからの視線は目に入らない。


 これで四方中二方が塞がり、電車が来るまで向かいのホームや空を眺めていれば、周りからの視線に意識を向けることなく過ごせる。


 人はこれを自意識過剰と評するのだろうが、事実であるのだから仕方がないこと。


 人に気を使ってばかりいるというより、人間の意識の向き方・働き方について見ていればわかってしまう。


 根拠のない感覚的な話。


 自分さえも、他人のように客観視する傍観者の片割れがいるために誰よりも考えてしまう。


 生と死、人の思考について、心とは何か、愛とは何か、世界の広さとは、大人とは、社会の歪みの原因とは、神の思し召しとは。


 そういった哲学的なことを日常のふとした瞬間に考えることが多いから。


 おそらく自分は、普通の高校生とは少し違った考え方をしている。


 異様に受け入れるのが早く、理解も早い。

 察しはいいし、何もかもに無関心で、無頓着で、誰よりも過去に執着している。


 オタクだからか、夢見がちで、そのほとんどを現実に壊されてきたから。

 画面越しに傍観者として過ごした日々が、客観的思考・判断を促している。


 作品を見る時、面白いとか、可愛いとか、このキャラが好きとか、作画がいいとか、声優が良いとか、そういった漠然とした感想を並べるオタクは多い。


 対し自分は、作品の構成に重きを置いて、キャラの性格、話の流れ、台詞のセンスなど、リアリティに関して、裏側のクリエイターの目線で物を見てしまう。


 そして作品が非難された時、製作側の事情を考えては『訳があったんだ』と勝手に想像を膨らましては同情してしまう。


 テレビで事件が起きた時でさえ、それが冤罪なのではないかと、犯人の感情や現場の状況を考え、非難する者に対し、真相は当事者にしかわからないと思考を停止する。


 そういう思考が、同年代から後輩の者からすれば大人に見えて、大人からしたら子供に見える自分を作り出している。


 自分が特別であると自負しているけれど、面倒臭がって言葉にしようとしないから、誰も気づけないし、わからない。


 自ら埋もれていく存在として、中途半端な立ち位置を司っている。


 こんな話を身近な者や世間に大ぴらに話したところで、自惚れだなんだとほざくだろう。


 そんな面倒な相手を生む前に隠れて忍び耐える方が、余程賢い生き方だと言える。


 故に今日も、人目をはばかり影に徹した生き方をするのが『真道鏡夜』の日常なのである。



「―――」



 足元を見て歩いていると、如何にも陰気なヤツだと舐められる。

 だから人前では、前を向いて歩くことを心掛けている。


 知らない者に対し、目で見た情報しか信用しない者、見聞きした情報だけを簡単に鵜呑みする者は、現実のしもべであり、大抵それが全てだと決めつける。


 ネットは見た目ではなく中身で語るから、二次元同様に画面越しでも楽しめる。


 どちらにも偏見と憶測で物を語る者は多い。


 そのどちらとも人となりとして当然の如く、上手くやり過ごす術を自分は持っている。


 相手が嫌がることをせず、当たり前のことを当たり前のようにこなし、口だけでは済まさないこと。


 要するに『良い子であれ』ということ。


 下手に口を動かすより、聞かれたことに答えるだけの素直さと、他人に自ら干渉しないことこそが災いから身を遠ざける。


 嘘をつく時は、真実の一部だけを抜粋した事実を言葉数少なくすることで誤魔化せる。


 時に嘘は、信用を失う行為でもあるため、追及されそうなときは正直な解答を示すが吉。


 恥やプライドも、持っているだけ邪魔でしかない。


 男が持つのは信念と野望だけで十分。


 ただそれだけの、少年漫画のような男が一番かっこいい。

 ヘタレで何もできない凡人は、つまらない。


 どうせなら面白おかしく、かっこよく生きて死にたい。


 その名で生まれ、その者として一生を終えるならば、最も幸福であれる道を行く。

 後にも先にも後悔はないと、胸を張って言えるような人生を送りたい。


 そのためであるならば、どんな醜態を晒そうとも、他人が愚行であると称することでも、未知ではなくして糧とする。


 自分にとって何が一番大切であるかを見定めておきながら、そういう思考を常に添えておくことで、最も効率的に経験値を蓄えられる。


 成長とは、経験を積み、あらゆる視点から物事を測れる教養を得るということ。


 知識や経験が疎かな現代っ子にはわからない戯言だろう。

 しかし大人も、結局は口だけ達者な嘘つきでだらしのない生き物の集まりである。


 今目の前を横切る学生や社会人も、いずれは先人を真似て、同じゴミ溜めの敗残者となる。


 自分を貫くことのできる人間が、この世にどれだけ存在しているだろうか。


 誰かに共感してもらいたいからと、良い子ぶって正論や詭弁を振り撒く連中は、正当化されたいだけの承認欲求に塗れた偽善者が多い。


 周知となることで自らが正義であると主張し、仲間がいることで安らぎを得ようとする。


 スマホが普及し始め、SNSが日常と化し、ネットもどんどん社会に侵され、厳しく息苦しい世界へと変わっていく。


 やはり、どう考えてみても、現実はつまらないと。


 身近な社会を目に地を踏みしめる度に実感する今日この頃である。


「……ん?」


 いつも通り、胸の内でくだらない妄言を垂れ零しながら社会に溶け込んでいると、一人の少女に目が留まる。


 道端に凜と咲いた一輪の花のように可憐で、儚げな面持ち。


 そこにいつもなら知らないふりをして、気づかれぬよう通り過ぎたことだろう。


 けれど今は、その姿がどこか悲しげで、寂しげで、迷った末にその隣へと足を運んでいた。



「―――」



 少女の名前は『長重美香ながえみか』。


 我が五市波いつしば高校における生徒会の会長にして、過去15年間の記憶がない幼馴染である。



 ――と、



『ナレーションを当てるならこんな感じであろうか』と彼女の横に並び立つ。


「鏡夜……」


 何食わぬ顔で長重の傍に歩み寄り、名を呼んでくれることに朝から少々胸が躍る。


 副会長という肩書きを背負っているから、それが口実となって彼女と接触することを助けてくれている。


 副会長とは、生徒会長の補佐であり、右腕であり、代理人。


 生徒会長の代わりであれば副会長であり、副会長は常に生徒会長を支える立場にある。


 ただそんな肩書きがあろうとなかろうと、どのみち自分は、彼女の暗い面持ちをどうにかしようと、手を打ったように思う。


 『真道鏡夜』の目的は、長重美香の記憶を取り戻すこと。

 その責務として、影から彼女を支える立場にある。


 あんな表情をされていたら、嫌でも放って置けはしない。


 何より、好きな女の笑顔に惚れて、始まった片想いなのだから。

 こんな都会に追いやってしまったのは、紛れもない自分に非があるから。

 彼女にはせめて、笑顔でいてもらいたいと、そう思うから。


 彼女のためになることなら、迷惑にならない程度に尽力したいと思う。


「おはよう」


 俯いていた表情から、途端に笑顔で挨拶をくれる。


 記憶を失っても、やはりこれだけは変わらない。


 誰にでも愛想よく、平等で、常に優しい。

 おまけに素直で、頭がよく、笑顔を振り撒くものだから。


 男女問わず人気のある理由としては十分の性格だろう。


 中学の頃、幼馴染である同級生男子の大半が秘かに好意を寄せていた女子であるのだから、それはお墨付きと言っていいのかもしれない。


 これが『長重美香』の本質なのかと、何度だって思わされる。


 さすが、彼女にしたいランキング1位の称号は伊達じゃないと、魔性の女っぷりに内心、敬服する。


「ああ……おはよう」


 暗かった表情が、一気に明るい笑顔へと変わる。

 ただそれだけのことに嬉しく思う。


 これからもずっと、この関係が続いていたらいいのにと、そんなことを考えてしまう。


 電車を待つ数分間。


 長重の左手を一瞥し、自分の右手と触れ合いそうな距離にあることに気づき、小学校の頃を思い出す。


 あれは確か小学校高学年の運動会の時。

 組体操の最後に皆でグラウンドで輪になって手を繋ぎ、両手を掲げる。


 その時、左手にいたのは長重の手。

 柔らかくて暖かい感触。


 今でも忘れられない、長重との最初で最後の手を繋いだ瞬間。

 ふと知れず脳裏を過ぎった光景に思わず、苦笑する。


 もうあの頃には戻れないのだと、寂しくなる。

 淡く、消え入りそうになりながら、外に漏れないように天を仰ぐ。


 澄んだ空は余計に気持ちを切なくする。


「……っ!」


 忽然と、けれど微かに長重の左手が右手に掠り、その感触にドキリとする。


 長重の表情を伺えば、当たったことに気づいた様子はない。

 そこに安堵しながらも、少し残念に思えて複雑になる。


 こんなところで手を繋いでしまえば、それはもう恋人以外の何ものでもない。

 長重と自分はそういう関係ではない。

 そう頭では理解している。


 それでも頭の中で、長重と手を繋いだ光景を思い浮かべてしまう。

 どれだけ彼女にぞっこんなのだと、呆れながらに笑みが零れる。

 

 『好き』が『大好き』に変わって、今では『愛している』にまで発展している。


 世界中で一番、彼女を思っている。



「―――」



 とても身勝手な偽善者が、気持ち悪すぎて吐き気がする。


 『お前の恋は実らない』と、紛れもない自分自身が責め立てる。


 それを『わかっているさ』と、恋に現を抜かそうとする自分を自分で自分がセーブする。


 こうして浮ついた気持ちはいつも、自らが鎮静剤となって平静を保たせる。


 まるで、自分の心臓をもう一人の自分がナイフで刺し殺すように溢れ出た感情を一瞬で無に帰す。


 『ここにお前は必要ない』と、そう言うように。


「ねぇ、鏡夜」


「んー?」


 一緒にいながら電車を待つだけの沈黙に耐え兼ねてか、長重は声を掛けてくる。


「あれ、どうしよっか……」


 『あれ』という抽象的で漠然とした言葉に不思議と察しがついてしまう。

 申し訳なさそうに言う素振りから、きっと昨日のことであろうと思う。


 確認すべく横を一瞥してみれば、困り気味にも無理に笑みを取り繕った表情をする長重がおり、嘆息する。


 これはどう考えても『いじめ案件』のことでしかないと、顔に書いてある。 


「さぁな」


 あらかたの予想はついている。

 けれどそれが正しいのかはわからない。


 だから、やって来た電車を前にさらりと告げる。


「……までも、たぶん明日には解決してると思うぞ」


「ぇ……」


 開く扉の先へ逃げるように足を踏み入れる。


 優しいが故に長重は自分の事のように苦悩する。


 人が最もおざなりにしてきた『人のことを自分のことのように考える』という共感の手本を見せてくれる。


 そんな彼女の曇りを晴らしてやりたいところなのだが、あまり期待に応えられるような確かな答えを自分はまだ持ち合わせていない。


 そのためにも、今は黙ってこの場をやり過ごす。



「―――」



 答えが知りたそうに疑問符を浮かべて、捨てられた子犬のようにつぶらな瞳を向けてくる長重に対し。


 今はただ、その可愛さに視線を窓に逸らして秘かに悶え、必死に耐え忍ぶのみである。


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