レポート17:『憂き目』

 ――翌日。


 目安箱の件について召集され、呼び出した当人が現れず、自席について待つこと数分。


 勢いよく、生徒会室の戸が開かれる。


「入ってたー!」


 そこには、目安箱を抱え、満面の笑みを零す長重ながえがいた。


「入ってた?」


「うん!」


 そのことに氷室は小首を傾げ、長重からは元気のいい一声が返ってくる。


「あっそ」


 喜んでいることは何よりなのだが、人が悩んでいることに対して喜ぶのは如何なものかと反応に困る。


 故に松尾の淹れてくれたコーヒーを啜って、変わらず読書に励む。


美味うまっ」


 目安箱の件よりも、松尾の淹れてくれたコーヒーの方に驚きを覚える。


 渋みが感じられず、まろやかな苦味で飲みやすい。

 これほど芳醇という言葉が似合う飲み物を他に知らない。


 口に含み、食道を通って胃に到達したあと訪れる、ホッとしたひと時。


 一瞬、松尾がシックな純喫茶で一人切り盛りする姿が目に浮かび、松尾が喫茶店をやれば一儲けできるのではないかと、呑気にも思う。


「……?」


 そんな情景に思いを馳せながら、小首を傾げる松尾を眺めコーヒーを飲む。


 もしかしたらここは喫茶店ではないのかと、そうであってほしいなと、くだらないことを考えながら、やはり喫茶店に負けないほどの味わいであると確信する。


 喫茶店、行ったことないけど。


「ふふ♪」


 だがそんな素っ気ない態度にも反応することなく、ドンッと目安箱を置く長重は、ニコニコとご機嫌な様子だった。


 相当反響があったように思えるが、それが不吉でならない。


「何票入ってた?」


「ふっふっふっ……なんと~!」


 謎のドラムロールと流れる緊張感。

 長重はゆっくりと口を開き、安定の焦らしに氷室と松尾は唾を飲み込む。


「1票でしたー!」


 静まり返った空気に誰もが『だと思った……』と肩を落としてずっこける。


「「「はぁ……」」」


「ええ!?」


 こういう時の長重は大抵、期待を裏切ってくれる。

 そこに呆れてため息を零すのは当然の理だった。

 それがまさか、三人揃って嘆息するとは思いもしなかったが。


「う~……入ってたんだよ?」


『いや、だから何だよ』と告げようとするも、長重の潤んだ瞳に口を噤む。


「う、うん! そうだね!」


「お、おお! 入ってて良かったな!」


「……いや、良くはないだろ」


 途端、ギロリとした二人の視線が飛んでくる。


「うっせ……っ! 鏡夜もフォローしろ……っ!」


「そうだよ……っ!」


 そう氷室と松尾に小声で訴えかけられ、押し黙る。


「う~……」


 唸る長重は机に突っ伏して、涙目になっている。


 生徒会最初の活動。


 それが学校のためになるというのなら、長重が張り切るのも当然なのかもしれない。


 人のためとなると、無償の優しさを放つ善良性。

 今も昔も変わらない、長重の本質。


 そんな彼女を見ていると、放っておけなくなる。


「はぁ……」


 二度目のため息を零して、フードを取る。

 素顔をさらし、驚く二人を置いて、長重に近づく。


 伏せた頭に手を添えて、軽く撫でる。

 顔を上げた長重にそっと微笑み掛ける。


「泣かないで?」


 すると長重は頬を染め、素直にコクリと頷く。

 涙を拭って元気を取り戻す間にフードを被り直す。


「それで、内容は?」


「えっとね……」


 長重が投票用紙に目を通す中、二人の視線に気づく。

 呆然と立ち尽くす氷室と松尾に首を傾げる。


「お前、新手の詐欺師か……」


 そう驚嘆する氷室に対し、松尾は少し違う反応を見せていた。



「―――」



 その小さく笑みを零す様に違和感を覚えれば、ふと松尾に顔を見せるのは初めてだったことに気づいた。


「どうかしたか?」


「……ううん、何でもない」


 何かあったのか、胸を押さえて苦笑している。


 『何もないはずがないだろうに……』と思うも、その理由を追求することはできなかった。


「……そうか」


 素顔をさらしてからの違和感。

 悲しげで、寂しげで、そしてどこか嬉しそうに見える。

 目を細め、瞳は潤んでいるようで、泣き出しそうで我慢している。


「……っ!」


 そんな松尾を眺めた瞬間、頭に急な痛みが走る。

 視界がぼやけ、脳裏に砂嵐が吹き荒れる。


 その感覚はまるで、あの日、記憶を失った時と似ていた。

 違うのは、何かを思い出そうとしているということ。


 そこに現れたのは、10年前に別れた『あの子』の影だった。

 松尾が見せた表情が『あの子』が最後に見せた表情と重なっていた。


 目尻に涙を添えて微笑む、とても儚げな少女の姿。


 『あの子』の面影が、今の松尾からは感じられていた。

 だから呼び起こされたのだと、和らいでいく頭痛の中、理解した。



「―――」



 痛みも一瞬であったため、誰にも気づかれてはいない。


 ただ彼女らと関係を持つ限り、これは避けられないことだと肝に銘じて、気を取り直す。


「……?」


 ふと読み終わったのか長重が動き、そっと投票用紙を手渡してくる。

 真剣な顔つきに中身は深刻なものなのだと察する。

 黙然と目を落とせば、そこには案の定の内容が記載されていた。


「いじめ、か……」


「うん……」


 長重が暗い表情を見せ、場の空気が静まり返る。


 どこにでもある悪質ないやがらせ。

 当事者はからかっていただけと言い、被害者は心に大きな傷を負う。


 傷が癒えることなどなく、ずっと心に残り続ける。

 記憶に刻み込まれ、絶対に忘れることのできない痛みとなる。


 痛みを軽減することはできても、それ相応の時間を有する。

 家から出られなくなり、最悪の場合、自ら命を絶つ。


 周りからは『たかがそれだけのこと』『当人の心が弱かった』などと片づけられる。


 身の回り全てが敵に見える恐怖。


 それが『いじめ』という害悪。


「どうしたら……」


 解決したいという気持ちが、苦悩する長重から痛いほど伝わってくる。


 ただ『いじめ』というのは、簡単にどうにかできる問題でもない。

 下手をすれば、状況は悪化し、被害者の傷口を広げることになる。


 そもそも、投票用紙には名前の明記がない。

 差出人自体が被害者なのか、被害者の関係者が書いたものなのか。


 これが悪戯だという可能性も無きにしも非ず。


 どうしにかしてあげたい気持ちは買うが、どうにもできないのが現状の問題だった。


「ん? この字……」


 ふと投票用紙を目に氷室は呟く。


「うちの後輩じゃね?」


「後輩?」



「ああ……バスケ部の1年――『富澤幸彦とみざわゆきひこ』。いつも居残り練してる、真面目なやつだよ。ただ……」



「ただ?」


「3年にいつも絡まれてる」


 差出人はバスケ部の後輩。

 だとすれば、投票用紙の内容から鑑みて、加害者は先輩と見て間違いないだろう。


「元凶は先輩、か」


 関係図がわかっただけでも、ありがたい。

 これで対策の立てようはいくらでもある。


 ただ先輩というのがネックで、解決を図ろうにも、情報が足りない。

 今はまだ、対策の立てようがないことに変わりはない。


「俺も見掛けたら止めてはいるんだけど、やっぱ知らないとこでもやられてるっぽいな……」


 自分のことのように後輩を気遣う氷室は献身的で、良いやつだなと呑気にも思う。

 昔は元ヤンで喧嘩っ早かったらしく、氷室の情の熱さはそれ譲りなのだろう。


「これは富澤くん……で、いいんだよね?」


「ああ、たぶんな」


「どうする? 放送かける?」


「匿名を呼び出しちゃダメだろ」


 氷室のダメ出しに長重は気を落とす。


 大事にしてはいけないという忠告を忘れているが、方向性としては間違っていない。


 匿名希望で差し出しながら、解決を望んでいる。

 今まで悩んでいたことを明かすというのは、心が悲鳴を上げているということ。


 おそらく彼の場合、気づいてほしいというよりも、気づいてもらえるという確信もあったのではないかと思う。


 同じバスケ部員である氷室であれば、気づいてくれると信じていた。


 さらに『長重美香』という善心の塊のような会長がいる生徒会であれば、解決してくれるのではないかと、少なからず期待を抱いている。


 助けを求める人を見捨てるのが、現実のさが


 助けを請おうにも、誰にも言えず、大半が気づかれることなく闇に埋もれていく。


 だからこそ、気づいた者がいたのなら、手を差し伸べるべきだというのに誰もが素通りして、見て見ぬフリをしてやり過ごす。


 救われない者の気持ちは、痛いほど知っている。

 同情と見捨てるような醜い大人にはなりたくないという偽善が働きかけてくる。


 現状を変えるために何が必要なのか、思考を巡らせる。


 何とかしてあげたいと、使命感がそうさせる。


「まずは、探りを入れてみよう」


「探り?」


「それが本人かどうか、確かめる必要がある。そうだった場合のことも含め、情報収集が妥当だ」


 何も知らずして、何も理解できはしない。


 人を知り、状況を知り、現場を抑える。


 逆襲はそれからでもできると、そう心の中で見定めていれば、氷室は肩を竦めていた。


「(本人に)直接聞けと?」


「さり気なく、な」


「了解」


 呑み込みが早いことに氷室は難なく承諾してくれる。


 ほんと、話が早くて助かる。


「なんか、息ぴったりだね。二人とも」


 その光景を目に松尾は頬を綻ばす。

 そこに二人揃って、口元を緩ませる。


 阿吽の呼吸とでも言うのか、氷室との付き合いは1年という、幼馴染と比べたら遥かに短い期間でありながら、言わずとも察してくれる関係にある。


 それが不思議と悪くはなくて、楽だった。


 ただ氷室は、友に近しいけれど、友ではない。


 ここに本物は何一つとして、存在してはいないから。


「んじゃ、明日聞いてみるとすっか」


 その氷室の声を耳にしながら、複雑な心境を胸に笑みを零す。


 作り慣れた自然体の笑顔。


 それに彼ら彼女らは気づくこともなく、時が過ぎていく。


 こうして、生徒会初の活動が始動した。


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