レポート10:『リバーシブルの意味』

 赤いパーカーを着て、紺色のブレザーを這おう。

 フードを深く被って視界を狭め、陰に溶け込む。


 それが弱い自分を覆い隠す。


「よし」


 静まり返ったリビングへと戻り、時計を見る。

 置かれた朝食を目にすぐさま平らげて、食器を片付ける。


 再び時計を見れば、6時40分を示しており、いつもより20分早いが、自分も家を出ることにする。


 最寄り駅まで自転車で10分と少し。

 そこから電車で20分揺られ、茫然と過ごす。


 電車の中、ヘッドフォンを付けて景色を眺める。


 視界で快晴の空と、青く光る海を捉えながら、耳元からは、バラード調の切ないラヴソング流れ出る。


 そこに彼女の存在が、頭の中をちらつく。

 歌詞に自分を当てはめて、ありもしない幻想を思い浮かべてしまう。


 もしかしたら、君とこんな未来もあったのではないかと、自己投影している。

 感情移入の果て、残ったのはいつも、孤独という実感だった。



「―――」



 ふと男女の声が耳に届く。


 自然とそこに目をやれば、仲睦まじく会話する二人の学生がいる。

 至近距離で笑みを零し合う姿からして、親密な関係だということが見て取れる。

 あまりじろじろ見てもよくないだろうと、視線を再び窓へと戻す。


 普通の男子高校生なら、羨ましいだとか嫉妬の炎を燃やすのだろうが、あいにく自分は幸せそうで何よりとしか思えない。


 それどころか、微笑ましいとさえ思えてしまう。

 赤の他人を気にする要素など、それくらいしかない。


 けれど、脳裏にはより一層『もしもの世界』が広がっていく。


 もしもここに長重がいたら、何を言って、どんな表情を見せてくれるのか。


 虚しい妄想を膨らませてしまう。


『次は~、五市波いつしば駅~、五市波駅~。お出口は左側です。開くドアにお気を付けください』


 電車を降り、駅前のコンビニへと出る。


 いつもならここで、待ち伏せしている氷室と合流し学校へ向かうのだが、家を早く出たため鉢合わせることもなく、待つのも面倒なため先へ行く。


 久しぶりに一人、ぽつぽつと進んでいく。


「……ん?」


 学校前まで来ると、校門付近にて登校中の生徒に挨拶運動を行う長重と、他委員のメンバーが立ち並んでいることに気づく。


 このまま行けば、生徒会メンバーということで自分も挨拶運動に強制参加させられるに違いないと瞬時に悟る。


 そのため、曲がり角に隠れ、紺色のブレザーを脱いでパーカーを裏返す。

 リバーシブルということで、パーカーの色は赤から青へと変化する。


 パーカーを着直し、フードは被らず、ポケットから黒縁眼鏡とマスクを取り出し装着する。



 ――これでよし。



 いつもならフードによって顔は陰に隠れて見えはしない。

 それを敢えてさらけ出すことにより、誰も知らない人物像ができあがる。


 その状態のまま校門へと足を運ぶ。


「「「おはようございま~す」」」


 覇気のない学生たちを前に軽く会釈する。

 平然と何事もなく通り過ぎ、誰にも気づかれなかったことに安堵する。


「ちょっと君」


 不意に声を掛けられ、反射的に立ち止まる。

 もしかしなくとも、その声には聞き覚えがある。


 少しの緊張感が漂う中、軽く振り返れば、声主である長重ながえが心配そうに佇んでいた。


「目、赤いよ? 大丈夫?」


 何事かと思えば、ただの心配。

 自然と目を触れて、どうするべきか迷う。


 口を開ければ声でばれてしまう。

 そのため黙秘権を行使する。


「酷いようなら保健室に行ってね」


 すると長重は、それ以上追及することもなく離れていった。


「ふぅ……」


 バレていないことに一安心し、気兼ねなく校舎へ移動する。

 2階のトイレへと足を運び、パーカーをもとの赤へと裏返す。

 眼鏡とマスクを外して、いつも通りフードを被る。


 こういう時のためのリバーシブルパーカー。

 変装という危機回避には打ってつけの衣服である。


「目、か……」


 手洗い場の鏡で確認してみれば、少しほど充血しているのがわかる。

 高高これだけのことで、長重は見ず知らずの人に声を掛ける。


 そうやって、無自覚にも誰もを魅了する。


 まさに魔性の女。


「全く……」


 長重は優しい。

 その分け隔て無さが、男を勘違いさせる。


 自分もまた、その一人なのだと思うと、ため息が零れる。

 そして苦笑して、教室へと歩き出す。


 誰もいない教室を目に窓から挨拶運動する連中を眺める。

 時計へと視線を移せば、7時25分を示している。



「―――」



 挨拶運動に参加すべきか否か。

 今更になって、迷いが生じている。


 けれど結局、あの空間に混ざる勇気などなく、自席で眺めるだけとなっていた。


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