レポート 2:『その男、氷室輝迅という男につき』
「――よぅ」
「ああ」
校長室を後にして、扉を出た矢先。
壁に背を預けるようにして佇む、インコのように刺々しい茶髪と黄緑色のチェーン付きリストバンドをした長身の男――『
この学校に来て唯一、友に近しい存在。
伝えていたわけでもないのに氷室が何故ここにいるのかと思うも、足は平然と廊下を進んでいた。
「そんで? 今日は何本飛んできた?」
「1本」
「おお~、だからそんな中二チックな傷ができてんのか」
「……+《プラス》サバイバルナイフを突きつけられた」
「Oh……
興味津々と事後報告に食らいつき、ケラケラと面白そうに氷室は笑う。
いつ見ても、何が面白いのかわからない。
ただこんなことを言えるのは、氷室が校長の本性を知っているからに他ならない。
『春乃瑠璃』の素性を口外することは本人から口留めされている。
それを知るのは去年まで、自分一人だった。
ひょんなことから氷室と絡むことが増え、話すようにはなっても口外はしなかった。
けれど氷室は独自で、『春乃瑠璃』の正体に勘付き、仮面の下を見破った。
以降、校長の表と裏と素の変貌ぶりがくせになり、ハマっていた。
ようするに『氷室輝迅』という男は、面白いことが好きで、面白いことに目がない退屈を嫌う陽気な
そんな彼が知っているのは、それだけではない。
「……なぁ」
「なんだ?」
「お前、生徒会に興味あるか?」
「急にどうした?」
「いや……」
言い淀み、目を逸らす。
いかにも訳ありという素振りを見せることで氷室の気を引く。
決して疚しいことがあるわけではなく、単純に彼も巻き込んでやろうというだけの算段。
氷室であれば付き合ってくれるであろうという画策があったがための言動を取っている。
そこに氷室は見かねて口を開く。
「あー、まぁ、あるかないかで言えば、なくもないが……またなんか厄介ごとか?」
「まぁ、そんなところだ」
『また』という言葉には『失敬だな』と思うも、今回は流すことにする。
別にいつも好き好んで、災難に巡り遭っているわけではない。
誰かの気まぐれで生かされ、誰かの気まぐれで殺される。
神様は自分が嫌いなのだと、そう思わせられるほど、見えない何かが働いている。
そんな試練を乗り越えた先に何が待っているのかと思えば、何もない。
本当に割に合わない人生である。
「は~、それで俺を誘ってんのか」
「そういうことだ」
勘の鋭い氷室は、漠然とした説明にも察しよく答えてくれる。
言わなくてもわかってくれるあたり、氷室は正直、楽で助かる。
声に発するというのは消化を促進し、空腹になりやすく、疲労感を覚えさせる。
だから『ありがとう』や『ごめんね』さえ胸の内に留めてしまう。
運動は好きで体力がないわけじゃない。
聞かれれば大体のことは答えるし、馬が合う者であれば饒舌にもなる。
けれど長すぎる物事は、端的にまとめてしまう。
これはきっと、面倒臭がり屋で主語のない話を長々と語る母の影響ではないかと、なんとなくそう思う。
「それで? なぜに生徒会?」
「
さらりと二つ目の近況報告をしてみれば、氷室の足がぴたりと止まる。
衝撃のあまり、顔が強張り、口が空いている。
イケメンはアホ面になってもイケメンなのだと、呑気にも思う。
「マジか……」
驚きを隠せないのか、氷室は口を押え、自分よりも深刻そうな反応を見せる。
そして秘かに口角を上げるあたり、笑っているなと悟った。
状況を理解する気になったのか、再び足を動かし会話を再開する。
「それで?」
「生徒会に誘われた」
「ほえ~」
食いつくネタではあるであろうと思っていたが、氷室は考え深そうに浸る。
「良かったじゃねぇか」
「良くねぇよ……」
その様は十中八九、面白がっているだけにすぎないのだが、そんな彼を嫌いにはなれない自分がいる。
氷室は笑うことはあっても、それ相応の答えをきちんと提示してくれる。
『氷室輝迅』ほど真摯な者はおらず、相談相手において、彼ほど打ってつけの逸材はいない。
『きっと思想が似ているからなのだ』と、『類は友を呼ぶとはよく言ったものだ』と、そう思う。
「好きな女子に話しかけられ、同じ空間を共にできる。最高じゃねぇか」
「そう単純なものでもねぇんだよ。というか、それ聞くとほんとただの勧誘だな……」
話しかけられないよう、距離を置いていた。
それでも、話しかけられたことが嬉しくないと言えば、嘘になる。
ただその動機が、学力と
「まぁ、お前の事情的にわからなくもないが……お前は少し頑なになりすぎなんだよ」
自分の事情を一部ではあるが、氷室には話してしまっている。
『長重美香』との関係性、この学校に入った理由、その目的。
関わるまいと決めた意地を張り通してきた1年。
それを解放するのは、3年になってからだと決めていた。
卒業すると同時に関係は終わり、思い出も少なく、長重との繋がりを絶てる。
けれどそれでは、今まで通り逃げて終わるだけの未来もあった。
多少傷口は広がっても、繋がるための起点ができたのだから良いのではないかと、正直ホッとしているのも確かな話。
「逆にお前は楽観的過ぎる」
「ははー、それ言われると何も言えねぇな」
問題の深刻さ故か、ただ自分が逃げているだけなのか、笑い話で済まそうとする。
笑い事じゃないというのに、能天気な自分がいる。
そりゃ、逃げたくもなるさ。
もう痛いくらいに現実は知っている。
世界なんて、とうに見限った。
でも、こればっかりは諦めきれなかった。
『長重美香』を見捨てるなんて、そんな無責任なこと、できるはずもなかった。
「結局のところ、お前がどうしたいかによるよな」
「そうなんだけどな……」
否定しようもない正論。
本気で長重の記憶を取り戻すことを考えているなら、捨て身覚悟で挑んでいる。
自分のことを優先してしまっている時点で、偽善者でしかない。
人一倍臆病で、弱虫で、泣き虫で。
だから、傷つけない、傷つかないように立ち振る舞って、
本当にどうしようもない道化師だ。
「ま、俺はお前が何をしようと手伝ってやるよ。生徒会だっけー? 遠慮なく扱き使え。お前には返しきれない恩があるからな」
「んな大袈裟な……」
氷室に呆れながら、その言葉に励まされる。
たかだか、幾度か貸しをつくった程度のことで恩だというのは誇張しすぎている。
だがその申し出はありがたく、フッと笑みが零れてしまう。
すると氷室は肩に手を乗せて「それに」と言葉を紡ぐ。
「そんな
そう言い放った氷室の言葉に対し、再びフッと微笑して、その脛に蹴りをかましてやったのは言うまでもない。
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