レポート 0:『それはふとした出来事だった』
それはふとした出来事だった。
放課後という、いつも通り誰もいない廊下に広がった静寂。
窓ガラスから差し込む夕日が眩しく、まるで青春の一ページを彩らせる。
今となっては、どうしてそんな時間帯に学校にいたのかあまり覚えてはいない。
おそらくは、どうでもいいことなのだろう。
覚えていないとはそういうことだ。
けれど、この後起きる出来事は、想定などできるものでもなかった。
忘れることさえも、できないほどに。
「――ねぇ、どうしていつもフードを被っているの?」
誰もいないと思ったはずの曲がり角で、ふと声を掛けられる。
窓ガラスから吹き抜ける風が、その艶やかな黒髪をふわりと靡かせ、日差しは彼女を照らし出す。
容姿端麗、成績優秀。
誰に対しても分け隔てなく、平等な優しさと笑顔を振り撒く。
その性格に誰もが魅了され、男は惹かれ、女は憧れの目を向ける。
そんな生徒会長――『
「―――」
そこに内心、酷く動揺していた。
コンマ数秒の間に逃れる方法を模索するも、何一つとして良い案は思い浮かばず。
ただ平然と通り過ぎようとしたのだが、足は反射的に立ち止まり、口は自然と動いていた。
「吸血鬼、ドラキュラ、ヴァンパイア。そいつらは陽を浴びると死んじまうだろ? それと似たようなもんさ。周りは輝きに満ちている。それが俺には眩しすぎる……全く、俺には厳しい世界だよ」
された質問は何気ないもので、誰でもおかしいと思うであろうこと。
それは自分の服装についてで、よくされる質問。
ブレザーの下に赤いパーカーを着用し、夏であろうとフードを被る。
夏物冬物とでちゃんと分けてはいるが、理由は今説明した通り。
――俺には、この世界が眩しすぎるからだ。
「ふーん……あなたって痛い人なの?」
「まぁ、そうかもなー」
聞き慣れ、言われ慣れ、聞き飽きた。
そんな言葉を吐く長重を適当にあしらう。
そんなことはどうだっていいし、わかりきっていること。
何故ならそこが、自分の長所であり、短所でもあるから。
憶測や偏見でモノを語る者の言葉に傾ける耳はない。
オープンなオタクで、寡黙な性格で、頼られれば断れないような優しいヤツで、内心人を見下すようなタチで、彼女いない歴=年齢。
そんな事実に踊らされ、陰口を叩くような連中の言葉に興味など持てるはずもない。
それが本当であるかどうかなど、真実は当人にしかわからない。
ただ間違っているとも言い難いため、否定しようもない。
なぜなら全ては取り繕った自分であり、平穏な学園生活を送るために築いた自分だから。
だが、そういった経緯や事情など、彼女も周りも知る由はない。
何も知らない者が自分勝手な見解を述べることほど、滑稽な様はない。
だから長重の言葉も、どうでもいいと思えるくらい、この腐り切った心には響かなかった。
「自分のことなのに無関心なのね」
途端、長重の見せる寂しそうな表情に眉を顰める。
『そんなことは、どうだっていいだろうに』と、心底思う。
「だって、あんたには関係ない事だろう?」
「関係……ない……?」
「ああ」
ふと舞い降りた不穏な空気に違和感を覚える。
長重の反応が少し、歪なものだったから。
「関係ないわけないじゃない! あなたのせいで私は毎回学年3位なのよ!」
突如として響く、怒鳴り声がひと気のない廊下を駆け抜ける。
「―――」
訪れる静寂の中、長重の幼気な膨れっ面を眺め、その言葉の意味を理解したとき、自然と頬が緩んだ。
「へー、お前生徒会長のくせに学年1位逃してんのプププ。しかも3位とか他のやつにも負けてんじゃねぇかプププ」
「あ~、ムカつく!」
不服そうにそっぽを向いて拗ねる姿は昔と変わらない。
何に不満を垂れているのかと思えば、成績表に書かれる学年順位のこと。
そこに小馬鹿な態度を取ってしまうのは、彼女と触れ合ったあの頃の自分が、奇しくも反射的に出てしまったからに他ならない。
「まぁそんな怒んなよ。可愛い顔が台無しだぜ?」
だから、自分らしくない、ふざけた態度を取ることで逃れようとする。
「可愛い……?」
すると長重は、戸惑うように恥じらう素振りを見せる。
頬を赤らめながらも嬉しさが滲み出ている。
それ故に、長重に対する変なスイッチが入り、からかわずにはいられなくなる。
「ぷっ、簡単に顔が赤くなって、お前チョロインかっての」
「なっ……!? この~~っ!」
「まぁ待てよ。好きなヤツにはからかいたくなるって、よく言うだろ?」
「へ……す、好き……?」
「ぷっ、また引っかかってやがる」
「~~っ!」
顔を何度も、これでもかというほど上気させ、歯ぎしりする。
まるで、彼女にされてきたことを返すように口走っている。
心にもない言葉を無情にも告げている。
本当に久しぶりのやり取りにフードの下で何度も笑みが零れる。
彼此、彼女と話すのは2年ぶりだったから。
ただ目の前にいる彼女とは、初めての対話だったけれど、見れば見るほど大した違いはないのだと、それを身を持って知った瞬間だった。
「……もう怒りました。そんな態度をとるなら私、あなたを副会長に任命します!」
それを止めるように彼女は唐突にも告げる。
「……は?」
どこをどう繋げたら、そんな話題に転換できるのか。
本当に唐突な申し出に思考が停止する。
「今年から生徒会長は私。そのメンバーは生徒会長の指名によって決まる。その席は今現在、全く埋まってないの」
理解が追いつく間もなく、長重は淡々とそのわけを説明していく。
しかし、その内容だけは、早々に理解することができた。
役員を指名昇級して、関係を継続したり、排除することも可能とした生徒会長の特権。
役員不足の場合、一般生徒からの指名も可能。
逆に生徒が入りたいと言えば、生徒会長の承諾を得ることで役員になれる。
昨年、名乗り出た生徒、1年生6名、2年生4名のうち、残ったのは『長重美香』ただ一人。
その原因は、前生徒会長が同学年である2年生3人だけを残し、長重以外の生徒を皆、容赦なく排除してしまったからに他ならない。
だから現状、今年の生徒会は『長重美香』以外、存在してはいない。
「へー、だから?」
その内容を聞かされただけで、嫌でも察しがついてしまう。
「あなた、私より成績が優秀なんでしょう?」
一瞬、長重の疑いの眼差しにドキリとする。
顔を見られていなくても、見つめられれば嫌でも視線を逸らす。
怖いや恥ずかしいなどとは違う、
「さあ? どうだろうな」
何を言っているのやら。
五市波高校の学年順位は公表されず、本人伝手に聞くしか手段がない。
ましてや自分の成績など、テストの点において、誰に聞かれようと、いつも平均だと言ってあしらっている。
結果が悪いと卑下してしまえば、自分より下の人間には嫌味になる。
逆に自分にとって、良い結果ではあっても、上の者からすれば志が低いと見なされ、引かれてしまう。
それを優秀と称えるのかは、人それぞれで価値観が違う。
競うことを嫌ってはいないが、揉め事を率いてくる。
だからお茶は、濁すにかぎる。
「誤魔化したって無駄」
「……?」
ブレザーの内ポケットから、長重はスマホを取り出し操作する。
見せつけられた画面には録音という文字があり、長重はそれを再生する。
本来であれば、校則により、学校への携帯の持ち込みは禁止なのだが、そんな細かいことなど、軽く吹き飛ぶほどに目の前では驚きを隠せない事態が発生していた。
『――なぁ、鏡夜。今回の成績、どうだった?』
『オール満点学年1位』
『マジか……お前やっぱすげぇのな』
『お前はどうなんだよ』
『俺か? 俺は、学年2位だった』
『お前も十分凄いじゃないか』
『まぁな……までも、お前のわかりやすいテスト対策ノートのおかげだしな』
『そうだな。それぐらい取ってもらわないと、俺の付き合ってやった時間が無駄になるしな』
『お前ノート見せるだけで何もしてないだろ!?』
流れ出たのは男子生徒二人の何気ない日常の会話。
聞き覚えのある声どころか、その一人は紛れもなく自分で、もう一人はこの学校に来てよく絡んでくる彼のものだった。
動揺による一瞬のたじろぎで、身に覚えのあることだと判断し、長重は録音を止める。
キリリとした表情から一変、可愛いドヤ顔を見せられ、そんな長重に眉を顰める。
この状況で言い逃れできるはずもなく。
3秒ほど考えるも、この状況を打破できるほどの名案が急に思い浮かぶはずもなく。
そうやって観念して諦めたのち、ため息交じりに確認する。
「……それで? 俺が隠れ優等生で、あんたより成績が上だったから、なんだって?」
まだ、尻尾を見せるわけにもいかない。
長重が何を持って接触してきたのか。
その理由を完璧に把握するまでは、手は打てない。
それ故に
「なら、生徒会のメンバーとして不足じゃないってだけの話……っ」
「へー」
他に理由があるのではないかと詮索してみたものの、長重は純粋に勧誘してきただけのようで憮然とする。
話の流れから、そんな気はしていた。
煽ることで苛立ちは増し、思考は単調になり扱いやすくなる。
そうすることで長重が何を考えているのか容易に聞き出せる。
けれどやはり、彼女は『彼女』のようで、何も変わらない。
もの凄く単純で、子供のように純粋。
それが『長重美香』の本質であると、改めて思い知らされる。
彼女はどこまで行っても『彼女』なのだと。
「ふふ……」
「……?」
ふと彼女の顔を見れば、虚ろな瞳で意味深な笑みを浮かべていた。
「調べたところによると、あなたはどうやら家へ早く帰りたがるタチのようだし……」
「あ、ああ……」
光のない目がこちらを覗くように捉え、冷や汗が垂れる。
黒く濁った瞳が、全てを見透かし飲み込んでくる。
そんな錯覚に陥りそうになる。
「いっぱい扱き使ってあげますからね……」
「なん、だと……」
「ふふふ……」
どこから手に入れた情報なのか。
ほとんど脅しのような言い回しに感情が渦を巻く。
唾を飲み込み、驚愕したように見せかけながら、胸を撫で下ろす。
「どう? 恐怖で声も出ないとか――」
「あー、まぁ好きなヤツと一緒にいられるんなら、別にいいか……」
さして、そこに問題などなかった。
それもそのはず。
自信満々に掴んでいたはずの弱みは、それほど大したものではなかったのだから。
「なっ……!? ふ、ふん! どうせまたからかっているんでしょう? 同じ手に何度も引っかかるわけ――」
「そんじゃよろしく、会長さん」
「え? ああ、うん。よろしく……」
驚きに溢れ、混乱している最中、さり気なく握手を交わす。
その手の感触が小学校の思い出を脳裏に過ぎらせ、秘かに決意を硬くする。
「じゃ、そういうことで」
「へ?」
まるで何事もなかったかのように微笑みかけ、会話を切り上げる。
「……ってさっきのは、からかっていただけよね!? そうよね!? どっちなの!?」
「ほほほ」
「ちょっと、訂正していきなさいよ~~っ!」
放課後の廊下を早足で過ぎ去り、叫ぶ長重の声を背に腹を括る。
離れて行く距離の中、踏み締める足音が耳元を掠めながら、頬は自然と緩んでいた。
ただ一瞬、そこに一瞬、脳には確かな記憶が蘇る。
だから必然と、険しい顔を浮かべてしまう。
外へと出て、仰ぎ見る快晴の空を目に眉を顰める。
夕暮れだというのに、目に映る景色は甘酸っぱい青春の一ページを彩らせる。
おかしな一日。
いつか来るかもしれないと思っていたハプニング。
想定外であっても、予想外ではない出来事。
それ故に思う。
「どうしたもんかねぇ……」
頭を搔いて天を仰ぐ。
関わるまいと避けていたはずの彼女と、再び関係を持ってしまった。
誰かが
もう待てないと、逃げるのは終わりだと、これ以上は許さないと、そう言われている気がしてならない。
『長重美香』と関係を持つとき。
それは過去の記憶を取り戻し、今の自分を消し去るということ。
即ち、今を引き換えに昔の彼女を取り戻すということ。
これから築く関係は、のちに夢か幻の類であるかのように『長重美香』からは消え去ってしまう。
失うとわかっていながら歩む覚悟を決めなければならない。
それが自分に科した罪であり、せめてもの償いであるから。
そのために彼女と同じ
されど、わかっていても、迷いは生じる。
途方に暮れながら嘆いてしまう。
好きな人と欺瞞に満ちた関係を築かなければならない。
何故なら、自分と彼女が幼馴染であるから。
何故なら、彼女の記憶を奪ってしまったから。
『彼』は死に、また彼として『彼女』の記憶のない彼女と関係を築く。
それは『真道鏡夜』が五市波高校に訪れた目的の一つ。
『
『彼』が捨てきれなかった10年分の片想いと、その過去に決着をつける。
奪ってしまったものを返す。
その罰を己に科し、償うために彼女を追いかけてきた。
『彼女』の記憶を失った、彼女の記憶を取り戻す。
『長重美香』の記憶を取り戻したとき、それは『真道鏡夜』がいなくなるとき。
そんな複雑さ故の嘆きだった。
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