第一章1  『夢現の死』

 眩しい日差し。靡くカーテン。

 ジリリと音を鳴らすアラームを止め、雀が囀る中、身体を起き上がらせる。



「――またあの夢か……」



 眠気交じりの気怠さ。



 そのことに嫌気がさし、ぐったりとしながら今日も――『魅剣羽亮みつるぎうりゅう』のいつも通りの一日が始まる。



 リビングへと降り、朝食を作る。


 今日は何となく洋食の気分なので、軽く焼いたトーストを薄く二枚にし、間に昨日の夕飯の残り物であるポテトサラダを挟む。


 朝はガッツリ食べる派なので、他に目玉焼きやソーセージを二本ほど追加し、緑が足りないため、プチトマトやレタス、余ったゆで卵なんかを活用してサラダにする。


 これでコーヒーを淹れれば今日の朝食は完成だ。


「いただきます」


 物静かな部屋。


 4人用の小さなダイニングテーブルへと席に着き、サクリとポテサラサンドを一齧りする。


 租借し、飲み込むと、この空間の不吉さゆえに眉を寄せてしまう。


 暗がりなのは電気を付ければいいだけなのだが、今日はつける気にはなれず、誰もいないこの静けさはテレビをつけることで解消することにする。


 別に見る気もなかったのだが、聞いておく分に関して損はないためニュースにする。



 そして流れる、この世界の遺物――。



『続いて、次のニュースです。昨晩、フェザーの惨劇により都市のひとつが半壊され、一部ではフェザーに対する組織が検討される模様です。なお、それまでの間、政府はフェザーに関する目撃情報を募るとのこと。市民の皆様は、十分にお気を付けください』


 物騒なニュース。

 それを気にすることなく、食べ終わった食器を片付ける。


 蛇口を捻り、流れ出て行く水を眺めながら遠い記憶が蘇る。

 そのことに少し嫌悪するも、あの遠き日の思い出に浸り込んでしまう。



 この世界の遺物に、呪いの念を抱きながら――。



 二階へと戻り、身支度を済ませる。


 今日は萎える月曜日。昨日の休日が天国のように感じる一日であり、今日から次の休日にかけて五日間は休みがないという地獄の開門。



 ――ただ、



 この世界の成り立ち上、魅剣羽亮という男にとっては、必要不可欠な日常だった。



 ――何故なら、



「……」


 ふと、朝流れたニュースが頭の中に浮かび上がる。

 それと同時に、蘇ったあの日の記憶、朝見た夢の光景が鮮明にも思い出される。


 そこに映るは、懐かしき幼少期の思い出。


 生まれてすぐの頃、物心つく前に両親を失い、ずっと教会が隣接された孤児院で育てられてきた。


 孤児院と言っても、自分以外にはもう一人、同い年の少年しかおらず、本当の家族のように親愛してくれる4歳離れた姉のようなシスターと、三人暮らしをしているようなものだった。


 血の繋がりのない兄弟。優しいシスター。


 時にヤンチャして、シスターに迷惑をかけるようなこともあったけど、思い出すたび、たくさんの思い出で胸の奥が暖かくなる。


 それほどまでに、あの日々は本当に幸せだった。



 ――けれど、



 14歳のある日、突如としてその幸せは崩れ去った。



 この世界の遺物――『フェザー』による襲撃で、いとも容易く――。



 教会は火の海と化し、シスターは兄弟二人を逃がすべく、身を挺して守ってくれて――、



 それで、シスターは――。



「行ってきます」


 玄関へと向かい、靴を履き終える。

 ドアノブにそっと手をかけ、ゆっくりと開放する。



 ――あれから2年。



 フェザーの襲撃により、シスターを失い、唯一の兄弟とも離ればなれになってしまった。


 それでもこうして生きていられるのは、運が良かったに他ならない。

 行き場を失くした自分に残されたものは、何もない。



 この世界を生き抜くには、自分は何よりも非力で、無力で――。



「―――」



 孤独に押し潰されそうになる日々。


 ただ今はそれに慣れてしまっていて、独りも案外悪くないなと薄情にも思ってしまう自分がいる。

 まぁ、自分一人で生きて行く術を身に着けることができたのだから、良いのかもしれない。


 曖昧な感情。薄情な自分。

 こんなにも酷い人間が生きていて、どんな価値があるというのだろう。


 生きていても、生きているという実感がしない。

 生きているというより、シスターにより生かされ、死に損なったと言った方が近い。


 生きる意味なんて何もない。

 何かしたいわけでもない。生きていたいわけでもない。


 それでも『生』にしがみつくのは、シスターの教えだから。


『命は軽々しく見てはいけない。命は皆尊い……どれも重いもの。それはみんな同じなの。だから皆、命は大切にしなければいけない。無暗に誰かを傷つけるのはダメ。どんなに絶体絶命の死に際でも諦めちゃダメ。命は尊い。命は大切。命を軽々しく見てると、〝命〟に嫌われてしまう』


 この言葉を思い出すたび、何度も思う。


 自分に生きている意味はあるのか。どうして生かされているのか。

 シスターがいなくなった今でも、シスターの教えが頭の中から離れない。



 シスターはもう、いないというのに――。



 死ぬことに恐れはない。自分から死のうとは思わない。

 けれど死がくれば、平然と受け入れようとするだろう。


 でも、シスターはきっと、それを許してはくれない。

 何もかもに無頓着になってしまった自分に、頬を膨らませて優しく叱るだろう。



『そんな簡単に諦めてしまってはダメ』と――。



「―――」



 本当におかしな人だった。

 花のように凛として、太陽のような抱擁感。

 何でもできるように見えて、少し間が抜けている。



 よく笑う、優しい人だった――。



 母のような姉。大好きだった人。



 本当に、大好きな人だった――。



 ――だから、



「……」


 冷たくも伝わってくるドアノブの感触。ゆっくりと開く玄関の戸。

 眩しい日差しが差し込んでくる。



 ――『フェザー』。



 それは、人がどれだけ望んでも手に入れることのできない翼をもった人型生命体。


 謎多きフェザーの実態。

 確かなのは、百年以上も昔から存在しているということ。



 ――そして、



 揺るがざる己の敵。憎きこの世界の害虫。

 今生きる理由があるとすれば、この世からフェザーを一匹残らず駆逐するため。


『憎しみは憎しみしか生みません。だから、誰も恨むことのない広くて優しい心を持って』


 ふと、シスターの教えがまた脳裏を過ぎる。


 それと同時に、一歩、また一歩と、玄関の外へと足を踏み入れる度、一枚の羽根が頬を横切る。

 それに視線は釣られ、追いかけるようにそちらへと振り返る。


「……っ」


 すると何やら、背中に勢いよく何かが当たったことに気づく。

 そしてじわじわと、腹の奥が熱くなっていくのを感じる。


 釣られていた視線をゆっくりと腹部へと移すと、あるはずのものがなく、ないものがそこにはあった。


 じんわりと何かが込み上げてくる。口の中が、鉄の味で広がる。


「げほ……っ」


 吐血し、視界が朦朧としてくる。

 再度腹部へと目をやれば、槍先のようなものが生えていることがわかる。


「ぐ……っ」


 背中から貫通していた槍。それが何者かによって引き抜かれる。

 定まらない視界の中、確認しようと背後の者へと首を動かす。

 だが、それすらも許さないというように、何かが背中を抉り込む。


 たった一瞬。されど一瞬。

 身体は地面へと吸い寄せられるように倒れて行く。


 音が聞こえず、身体は熱く。


 痛みすら感じなくなった身体には、ぽっかりと空いてしまった風穴と、そこから流れ出る大量の血潮。


 意識が朦朧とする死の間際、いろいろなものが頭の中をうねり、心を蝕む。

 生きることに執着する感情など無く、死が来れば平然と受け入れるような冷静沈着。


 彷徨い、魂と化してあの世へと飛び立とうとする瞬間。最後に見たもの。

 這いつくばり、絶えず血を吐き、貫かれた身体から血飛沫を上げ、朧気な視界に映ったもの。


 身体がふわりと微かに浮き、暖かい感触が身を包み込む。

 その瞬間、目に映る全てに目を疑った。


 白く綺麗な世界。


 見慣れた風景に映るのは、舞い散る白き羽と金色の髪を靡かせ、背中には神々しい 片翼を生やした少女。


『……綺麗だ』


「……っ」


 ふと零れた言葉。

 少女は驚きを浮かべ、そっと頬を緩ませる。

 慈愛に満ちた、優しい笑顔だった。


『天使みたいだ……』


 『生』の最後に思ったこと。


 『生』に執着心など無く、死を恐れない自分が初めて、この瞬間を生きたいと思っていた。

 白く美しい少女をずっと眺めていたいと、この瞬間が続けばいいと、そう思った。


 身体はボロボロで、口の中は血の味でいっぱい。息苦しくて、痛々しい。目の前にいる少女には見合わない姿。



 ――でも、



 最後の最後に、こんな綺麗な子に抱かれて死ねるのなら本望。



 そう思った、瞬間だった――。



「……っ」


 ふと目を覚まし、辺りを見回す。

 そこは先ほど倒れていた場所で、玄関前の路地だった。


「……ない」


 背中から貫通していたはずの腹に空いた風穴。それがどこにも見つからない。

 だが自分のすぐ傍には、自分の身体がぶち撒いた大量の血が辺り一面を覆っている。


「これは……」


 目にした瞬間にわかる。

 そこにあったのは、陽を浴びて輝きを放つ白い羽。



 ――『フェザー』。



「あれは、夢じゃなかったのか……」


 突然の死。有り得ない復活。白い天使。

 非現実味溢れる一日の朝。忙しく、何だったと思われる出来事。

 いつも通り、当たり前のように驚きは感じない。



 ――ただ、



「あれ……?」


 地面を覆いつくすほどに撒き散らした血は、心なしか増している気がした。

 背中を見て見れば、見覚えのある穴から血がドバドバと流れ出ていた。


「ぇ……」


 なのに、麻痺しているのか痛みを感じない。

 湧き水のように溢れ出ている血。

 傷は徐々に小さくなっている。流れている血も納まっていく。


「……」


 言葉を失った。


 腹にあったはずの穴はなく、同様に貫通していた背は脅威の修復速度を見せている。

 痛みを感じず、どれだけ血を吐こうが、どれだけの傷を負おうが、無造作に治癒されていくこの身体。

 人間だったはずの身体は、文字通り不死身のようになっていた。



 ――けれど、



「また、会えるかな……」


 そんな中で思うのは、もう一度会いたいと思う少女のことだけで、他には何も思わなかった。


 驚くべき事実。

 まったく……無頓着というか、呑気というか。



「―――」



 突然の死。有り得ない復活。白い天使。

 非現実味溢れる一日の朝。忙しく、何だったのかと思われる出来事。



 少年は天使に恋をした――。


「とりあえず、今日は遅刻だな」


 胡坐をかき、空を仰ぎ見ながら呑気にも思ったこと。



 それは、風穴の空いた血まみれの、もう使い物にならない制服を着替えて行こうということだけだった――。


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