エピローグ 2


 アーノルドは渇いた笑い声をあげる。

 ワレスの心も渇いていた。


(なぜ気になったのか、わかった。こいつは、おれの同類だからだ)


 幼くして世間の敵意にさらされ、自分に足らないものを力で奪いとるすべを身につけた。

 そうしなければ、生きていけなかったから。


(こんなところ、まともな親がいたら来るものか。おれだって、とっくにだ)


 この手で父を殺した。

 この手に死んだ妹を抱いた。

 もう古い昔のことだ。


 ワレスが沈黙していると、アーノルドは笑いやんだ。

 立ち去りかけて、止まる。


「教えてやるよ。これで貸し借りなしだ。あんたをハメたのは、メイヒル小隊長だ。ドジって、やつに盗みを見つかってね。その場で処罰されるかと思ったが、あいつのほうから話を持ちかけてきた。

『黙っていてやるかわりに、言うとおりにしろ。うまくいけば、次の小隊長におまえを推薦する』

 そう言われて、おれも、かたぎになろうと思ってたとこだったから……あんたに格別、恨みはなかったが」


「メイヒル、か」


 ちょうど、そのとき、背後で足音がした。

 ふりかえると、メイヒルが立っていた。走ってきたらしい。呼吸が乱れている。


 アーノルドは荷物をつかむと、森のなかへ走っていった。次の砦までなら、徒歩でも行けるだろう。


「あの男をつれだしたと聞いて追ってきたが……まにあわなかったようだな」


 息をととのえ、メイヒルは、いつものすまし顔になる。

 ワレスはメイヒルをにらんだ。

 メイヒルもまっすぐ、ワレスを見返してくる。


 あの目だ。

 試合で、ワレスを傷つけようとしたときの目。

 深い憎悪を押し殺した、ぶきみに静かな目。


「アーノルドに言われなくても気づいていた。おれの部屋から換金券が見つかったとき、立ち聞きしていた者はいなかった。だから、あのとき、あの場にいた誰かがウワサを流したんだ。おれでなく、ハシェドでなく、中隊長でなければ、残るは、おまえ一人しかいない」

「論理的だな」

「論理だけじゃない。なによりも、あんたがおれを憎んでるからだ」

「私はおまえを憎んではいない。気に入らないだけだ」


 ワレスは嘲笑あざわらった。

「だろうな。あんたは中隊長の女だから」


 すると、ふいにメイヒルが激昂げっこうした。

 ワレスがビックリするぐらい、とつぜんの怒りだ。

 メイヒルは全身をふるわせ、両手をにぎりしめた。


「違う! 私は女なんかじゃない! 私は——一人前の男だ! 自分を女々しいと思ったことなど一度もない。なのに、なぜ、あの人に逆らえない? 砦に来てまもないころに、むりやり……いやだった。吐き気がした。あいつを殺してやると思った! でも、私はあの人の『今夜、また来い』という言葉にしたがっていた。あれ以来、あの人に逆らえない。言われれば、何度でも足をひらいて……」


 つかのま、メイヒルは自分を抑えようとしていた。が、抑えようがなかったようだ。

 ふたたび、ワレスを見たとき、その目にはドス黒い憎悪がギラついていた。


「そうとも。私はおまえが憎い。あの人に逆らえる、おまえが憎い! おまえもあの人の言いなりになればいい。ならなければならない。私がそうしたように、おまえも」


 そんなことで悩んできたのか。

 ワレスは急激に、メイヒルを恨むのがバカらしくなった。哀れみさえおぼえる。


「おれに逆らえて、なぜ、おまえに逆らえないのか。そんなこともわからないのか?」


 あれほどハッキリした証を、やつを見る目に宿しているくせに。それを自分で気づいていないとは。


「おまえはな。愛してるんだよ。ギデオン中隊長を、愛してる」


 愕然がくぜんとして、メイヒルは目をみはる。


「私が……愛して、いる? あの人を、私が……」


 よほどショックだったのか、メイヒルはフラフラしながら砦へ帰っていった。


 その姿を見ながら、ハシェドがつぶやく。

「なんだか、かわいそうですね。自分の気持ちに気づいてなかったなんて」

「ああ……」


 おれは、それほど愚かではない。自分の気持ちには気づいているさ。


(気づいてはいる。が、明かさないだけだ)


 どっちが幸せなんだろう?

 メイヒルと。自分と。

 どっちも報われないという点で、引き分けか。


「ハシェド」


 思いきって、問いかける。

 あたりには誰もいない。

 ワレスとハシェドの二人きり。

 これからずっと、あのことに言及しないではいられないだろうから。


「おれを軽蔑しているか?」

「軽蔑……?」

「おれが、自分の父を殺したことだ」


 ワレスは足元の枯れ葉をながめた。ハシェドの目を見ていられない。


(おまえにだけは知られたくなかった。せめて、おまえのなかでは輝いていたかった。恵まれて育った幸福な子どものように)


 長い、沈黙。

 やがて、ハシェドがささやく。


「おれは、軽蔑なんてしませんよ」

「でも、ゆるせないだろう? だから、あんなに泣いたんだ」


 ハシェドは首をふる。

「それは、隊長の孤独が、あまりにも深かったからです。あのとき、波のように押しよせてきた感情。あんな小さな子どもが、あれほど深い孤独を……」


 ハシェドは歯をくいしばる。泣くまいと、つとめているようだ。


(おまえは、おれを許す。おれのすべてを知って、涙をながす)


 ハシェドのおもてを見つめるうち、ワレスは耐えられなくなった。そっと抱きしめ、唇をあわせる。ほんの一瞬の、あわいキス。


「隊長——」


「おれは孤独だった。長い旅のはてに、この砦へ来た。おまえにはわからないだろうな。おれにとって、おまえがどれほど大切なのか。おれは誰とでも寝れるが、ほんとに心をゆるせる友人は、ほかに一人もいない。だから……くだらない愛欲なんかで、おまえを失いたくない。むりを承知でワガママを言うが、これまでどおり、おまえとは友人でいたい」


 ハシェドは笑った。

 とても、つらそうではあったが。


「……あなたが、そう望むなら」

「おまえの気持ちは嬉しいぞ」

「なるたけ自制します」


 それは、おあいこ。おれだって。ほんとは、この大地の上で、おまえと抱きあいたい。


 すべての木々が、黄金色に燃える紅葉の森。

 枯れ葉をふみしめて、砦へ向かった。

 こうして、いつまでも、二人で歩き続けたいと願いながら。




『過去を見る瞳』完

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