七章 3

 *



 疲れはてて眠ったせいだろうか。

 おかしな夢を見た。


 東の内塔の廊下を、ハシェドとクルウが歩いている。鎧をつけている。任務中らしい。


 内塔は六階建て。

 一階の武器庫をのぞく二階から上が兵舎だ。

 兵舎部分の夜間の見まわりが、ワレスの第一分隊の任務だ。


「クルウ。小隊長のごようすは?」

「今は眠っておられましたよ」


 東の内塔を兵舎にしてるのは、ギデオン隊の五百人だ。

 傭兵は夜間の任務がおもなので、この時間帯は留守の部屋も多い。


 しかし、廊下はにぎやかだ。

 待ち時間の者が集まって、カードやサイコロに興じている。その声が廊下まで聞こえていた。


 廊下は暗い。

 窓を全部しめきっているからだ。

 ゆらめく松明たいまつの炎だけが、点々と闇を照らす。

 にぎやかな部屋のなかと廊下は別世界のようだ。


 室内からもれる笑い声に飲みこまれそうになりながら、ハシェドがつぶやく。


「クルウ。昼間、小隊長の剣を持ってなかったか?」


 ワレスが鍵をかけて追いだしてしまったので、その姿を見られたのだろう。

 砦の兵士が剣を自分の身から離すのは異常なことだ。ハシェドでなくても、おかしく思う。


 クルウは静かな口調で答える。


「中隊長のお部屋に忘れてこられたそうです。私がとりにいきました」


 ドキリとしたような、ハシェドの顔。

 ハシェドは急にソワソワしだす。


「中隊長の? なんで、中隊長の部屋に行かれたんだ?」

「わかりません。お一人でしたので」


 そんな。まさか。中隊長と?

 剣を忘れたってことは、帯をといたってことだ。

 でも、あんなに中隊長をきらってたのに。体が弱ってたから、抵抗できなかったんだろうか?


 いくつかの映像が、稲妻のようにひらめく。


 ギデオンに組みしかれるワレス。

 水浴びするワレス。

 ジョルジュの描いた裸のワレスの絵。

 形にならない、さまざまな断片。


「気になりますか?」


 クルウの声で、それらの映像は消えた。


「気にならないわけがないだろう。自分の隊の隊長なんだから……」


 ハシェドはわざと松明の明かりから顔をそむける。


「だいたい、なんで隊長をお一人にしたんだ? まだ体が完全じゃないんだから、ついてなけりゃダメじゃないか」

「食事に行っているあいだに出かけてしまわれました。私は分隊長ほど信頼されておりませんので」


 そんなことない。おれだって……。


 ぴしゃりと、ハシェドの手をはらいのける、ワレスの映像。


 あんなこと言わなけりゃよかった。

 あのとき、隊長は高熱で、おれの言うことなんて聞こえてないと思ってた。

 でも、きっと、聞こえてたんだな。おれが添い寝してたこと、おぼえてたくらいだから……。


 あのときには、言わずにいられなかったんだ。

 あのまま、隊長が死んでしまうんじゃないかと思って。


 あなたを好きだ。だけど、それが迷惑ならしかたない。

 おれはどこから見てもブラゴール人で、きっと、あなたの目からは醜い。嫌われるのは、当然……。


 それは違う——と言おうとしたが、ワレスの声は封じられていた。

 この夢は見ることはできるが、ワレスから働きかけることはできないようだ。


「とにかく、隊長をよく見ててくれ。あの人はあれで案外、もろいところがある」


 今度はクルウが黙りこみ、ハシェドをながめる。

 二人の無言のすきまに、室内の声が威勢よく聞こえてくる。


「よーし、あがりだ。今度こそ、おれの勝ちだぜ」


 その声が遠くなるまで歩いてから、クルウが言った。


「私は他人のものを奪うことに、さほどの罪悪を感じません。それでもよければ、小隊長を守ります」

「それはどういう意味だ? クルウ」

「言葉どおりの意味です。あなたもお気づきなんじゃないですか?」


 ハシェドが何か言いかけた。

 その顔が水ににじむように消えていく。


 黄金の光が視界にあふれた。目をあけていられないほどの、まぶしい輝き。

 光のなかに誰かが立っている。何か話しているようだ。


 光のきらめきのような何かが、ワレスの脳内に入ってくる。


(——何?)


 その刺激で、ワレスは目がさめた。

 室内は暗い。

 クルウはまだ帰っていない。


「今、なんて言った?」


 激しい動悸どうきがする。ワレスはベッドの上に身を起こした。


(おれの知ってる言葉だった)


 神の言葉——


 ワレスがある神殿に捕まっていた数年間に、おぼえこまされた聖典の言葉。ふつうの人間には発音することも不可能な、第一種神聖語だ。


 頭のなかにきらめいた信号のつづりを、ワレスは思いだそうとした。


 そこへ——


「ワレス小隊長!」


 クルウが室内にかけこんでくる。


「二階で死者が出ました。ただちにおいでください」

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