第一章 第八話 大頭佛(だいとうぶつ)

 猪が鼻息を荒げながら、前足を二回地面を蹴る。


 どうする? どうする? どうする?


 逃げるか? 無理だ、追いつかれる。一瞬で剣を引っこ抜くか? 無理だ。あの巨体だ。トラックに突っ込んでいくのと一緒だ。さっきのはたまたま避けれただけだ。避け続けるか? 無理だ。俺の体力が持たない。


 どうすればいいんだ?



 コツン……カラン



 猪が右側を見向く。どうしたんだ? なぜそっちを見る?


「こっちを向け! 豚野郎!!」


 その声に聞き覚えがある。右側を見ると、先程の茶髪の青年が猪に向かって、空き缶を投げている。


 なぜ戻ってきた?


「何やってるんですか? 逃げてください」


「あんたを見捨てて、逃げれっかよっ!」


 カランカラン


 空き缶の落ちる音が響く。


 猪が進行方向を変え始める。


「やめてください! これ以上興奮させないでください。でないとあなたが……」


「こえーよ! チクショウ!」


 カラン


 投げた空き缶が落ちると共に、猪が茶髪の青年に向かって突進する。


「早く逃げ……あっ」


 一瞬だった。彼は鼻に足を掛け、刺さった剣を左手で引き抜き、猪の眉間を走り、そのまま跳んだ。


 空中で時間が止まる。俺は彼を見上げながら、その時間を体感した。


 カラッカッカッカッカッカッカッカッ


 あーはっはっはっはっはっはっ


 太鼓の端を叩く音が聞こえる。それと共に大きな笑い声が聞こえる。


 ドロンドロンツァーン、ドンドロンドツァーン、カカカドツァーン


 太鼓? シンバル? ドラ? なんなんだこの騒がしい音は。


『ははは我は神! 汝の守護神なり! 汝、生きたいか。ならば戯(おど)けろ。さすれば無傷でいよう。さぁ、舞い踊れ大頭佛(どうけ)よ。汝の行きたい道を行け!あははは!』


 笑い声が離れていき、徐々に声が小さくなる。


 そして、時間が動き出す。


 猪は角にある建物に突っ込んだ。


 青年はアメコミヒーローのように片足を曲げ、着地したが、先程跳んだ時の容姿ではない。


 左手にはつるぎを持ち。左手首に瓢箪ひょうたんを掛け、右手に檳榔びんろう団扇うちわを持ち、黄色の長袍チョウパオに赤色のおびを身に纏い、中華街のお土産で売ってそうなお坊さんの仮面を被っていた。


 彼は大声でこう叫ぶ。


「膝いてぇぇぇよ! 何なんだよこれ! 」


 剣を地面に置き、自分の膝をさする。


 良かったー。姿は変わっているが、彼は生きている。心から安堵する。


 ガサゴソガサゴソ


 建物の方から物音が聞こえる。視線を姿の変わった青年からゆっくりと建物の方に向けると、興奮している猪が今にも青年を襲おうとしていた。


「危ない!」


「ん? うわっ来てる!」


 俺は彼を助けなければと思い、「その剣を僕に渡してください」と青年に向かって叫びながら走る。


 青年はアスファルトの上に置いた剣を見た後、剣の取手を蹴った。剣はくるくる回転しながら俺の方に来る。剣を踏みつけ動きを止め、俺が剣を持った瞬間、彼は猪に突進されていた。


 間に合わなかった。


 彼は吹っ飛びアスファルトの上で倒れている。


 一撃でやったのか?


 突進した猪が俺を見る。俺は手が震えながらも剣を構えた。


 その瞬間、猪の前から叫び声が聞こえた。


「いってぇぇぇぇぇぇ! 何これって……あれ? 痛くない? 生きてる? やった! 俺生きてる! ふぅぅぅ……ぅ……う?」


 猪が再度青年を見つめ、二回地面を蹴り、突進を仕掛ける。


 青年は慌てて自分の帯を解(ほど)き、端っこを持ったまま、残りの部分を放り投げた。


 猪が青年に向かっていく。


「いやぁぁぁ、来ないでぇぇぇ……なぁーんてね。オン・マニ・パドメー・フン!」


 その呪文を唱えた瞬間、帯は伸び、猪に向かっていく。帯は前脚、後脚と猪を拘束していく。


 ドォォォォォォン


 巨大な物体は倒れ、その場に立っていたのは、笑った仮面を被った青年だった。

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