第56話 未来を知る恐怖
どちらとも何か言葉を口にするわけでもなく、ただ漠然とした時間だけが二人の間を静かに流れる。まるで、この場所だけ今も離れて行われている体力テストによって生まれた熱気とは無関係のように。いや、それが生み出す熱気とはまた違った熱がハンナの中に燃え上がっていた。
そのため、ハンナの突然ではあるが真顔での質問に思わず驚きからくる吹き出しを必死に堪える羽目になってしまった。代わりに咳払いを一つ挟むと、アンはハンナの顔を真正面から捉える。
視界に綺麗に収まった目の前の彼女に、茶化そうといった思惑はその片鱗すらもなさそうに見える。目から伝わってくる、本気で真面目に質問してきていているようだ。こんなどうでもいい質問を、と思わないこともないが何かが彼女をここまで駆り立てているのだろうと、不意に考えてしまう。だが、あまりの彼女の目線から伝わる熱意と圧力に、思わず、うっ、という声にもならない音が口元から溢れかける。
「そ、そんな訳ないでしょう。たった1日で彼との間にそんな深い仲が育まれるわけないし? それに今はっていうか、今も友達でもないから!」
語尾を強調し、はっきりとした物言いで断言して見せたのだがその答えではハンナは納得していない様で、どこか不服そうな顔をして考え事をするように下を向いてしまう。なんて言えば満足してもらえるのか、アンは咄嗟に頭を抱えてしまう。彼との間に深い関係はないが、それを否定するだけの証拠があるわけでもない。
一方で、アンと彼との間の深い関係性を示すものもないは——。いや、訂正。証拠はあるんだった。それも出来たてほやほやで。朝の一連の出来事を話に挙げられると、どこからどう見ても邪推な推測ができてしまうのも無理はない。というか、アンですら他の新入生があんなことをいきなり次の日にしようものならそういった目線で見てしまうだろう。
そんなことを考えながら、オロオロしているといきなり先ほどまで下を向いて考え事をしていたハンナの顔が真正面からアンの顔を捉える。そこにはある種覚悟の類の決断の表情が浮かんでいた。迷いはなく、それでも何かをこちら側に必死に伝えようとしてくる。
「ごめんなさい。今さっき聞いた質問に特に深い意味はないの。ただね、私の親が占い師をやっていてね。その技術を小さい頃に叩き込まされたせいか、相手の顔を見ると何となくその人の目下の運勢とかを無意識に占っちゃう癖があるの。それで、今朝彼を偶然見てしまって」
一度言葉を区切るハンナに不信感を覚える。いや、そもそも占いの類を信じていないアンからしてみると何を言われても動揺したりしないが。だが、少なくともそれを深く信じているハンナからしてみると口にすらしたくないことが見えたことは疑いようもなかった。モジモジと身体を動かし、それを口にするタイミングを探っている。
「いや、やっぱり言わないでおく。外していることも多いし、何より未来なんて分からない方がいいわよね。彼と仲良くこれからも歩んでいけることを願ってる。お似合いだと思うわよ、彼とあなた!」
一方的に会話を区切ってハンナはアンに背を向けて、次に試験に終わった新入生の方にまた大したことのない距離を大げさな走り方でゆっくりと駆けて行った。その背中はどこか未練を感じとられるが、それは見なかったことにする。その光景を見つめながら、アンはポツリと呟く。
「変な人。未来を知るのが怖いのね⋯⋯ 。そんなの、取り戻せないと知った絶望を覚えたことが無い人間が口にするただの綺麗事に過ぎないのに」
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