第8話 一騎当千の実力

「なっ!? 何を言ってんだよ、あんた! 一騎当千の実力を誇る彼らが死ぬわけないだろう! 彼らは俺たちの希望であり、憧れそのものなんだ。それをお前らみたいな汚い口から発せられる言葉でも、貶すなんて俺は許さない!!」


 声を荒げることで緊張を和らげようとするが、身体の硬直は先ほどよりも増していた。口周りの筋肉だけがピクピクと、まるで痙攣のように動いているだけに過ぎない。それ以外の筋肉は、動かし方を忘れたかのように固まってしまい、それを解すことができなくなっている。


額の汗が一線となり、そのまま地面にへと滴り落ちた。すでに地面には、何度かそのような流れで水滴が垂れており、円形状のシミを作っていた。


 心臓の激しい鼓動が嫌にうるさく高々と鳴っている。それは、まるで次の奴からの言葉を、無意識に聞こえないようにしているようだった。だが、現実はそう甘くない。彼の声は音をかき消そうとしている最中であっても、その僅かな隙間を縫うようにして鼓膜を震わせた。


「正しく、下等な人間の言葉通り。彼らはだったよ。我らが王は、彼ら一人に千人の闇の一族という、余りにも対価としての犠牲を出しながら、彼ら全員を抹殺したのだ。クッ、あの時の戦場は正に地獄絵図そのものだったよ!」


「そ・・そんな馬鹿な・・・! 適当を言ってるんじゃない!!」


 シルの叫びも、奴は気にするそぶりすら見せない。それどころか、より饒舌になってしまったくらいだ。


「雑魚な闇の一族の巨勢に手を焼き、味方を庇ったものから順に命を落とす。そして、命を惜しんだ者もまた。死ぬ順番が流れてくるのが早いか、遅いかの誤差の範囲による違い。すぐさま、命を庇ってくれた奴らと、同じ場所に導かれたものだったなぁ〜。まぁ、私にしてみればそれを見て笑いが込み上げてきたよ。ククク、今思い出すだけでもつい笑ってしまう」


 シルは既に叫ぶことすら忘れていた。いや、シルだけでない。この場にいて、今口を開き、汚い言葉を並べている奴以外全員。誰も話そうとしない。ただ・・、固唾を飲んで、奴の言葉に耳を貸すだけしか出来なかった。


「彼らは、人類という取るにたらん下等な種族からは神だ、なんだとチヤホヤされていたな。だが、結果としては、我ら副詞官出撃していないにも関わらず、彼らはその儚くも脆い命を燃やし尽くしたのだ! それに、おかしいとは思わんかったのかな」


「おかしい——だと?」


「あぁ。サキュバスのやつもこぼしたと思うが、ここは昔なら人間側の領地で、我ら闇と呼ばれる存在は、何人たりとも足を踏み入れることが出来なかった。それは、優れた魔術師と名乗る邪魔な奴らが、我らの侵入を感知した瞬間に攻撃が展開される結界を貼っていたからだ。でも、今はどうだ。自由自在だ。出るのも入るのもまさに我らの自由。それどころか、人類の方から居住区を縮小させていき、我らにここを無血で譲ったのだよ!!」


「結界は——なぜ今は消滅してしまったんだ?」


 尋ねるシルの言葉に力は宿っていない。ただ、無気力に尋ねるだけだ。


「彼らが亡くなり、そしてそれら叡智あふれる結界技術を継承できずに、結界が効力を持続できなくなり、失われた。単純に、人類の愚策だよ」


 副士官の言葉を聞いてるだけで、シルは自分の中に今まで抱いていた疑問が綺麗に解消されていく感じを覚えていた。それは、同時に奴の言葉が正しく事実であると、無意識に認めてしまっていること以外の何ものでもない。


守護者はもういない、という人類が絶対に認めてはいけない事を認めているということ。唇を強く噛み締めるが、鉄臭い味が口いっぱいに広がるだけで、一向にこの悔しさは晴れることはない。


「守護者は死に、長きに渡る戦争もいよいよ終戦を迎える舵を取り始めたということだ。もちろん、に傾いているがね!!」


 語尾を強くして、自分の言葉を強調しながら会話を切った奴は、終わると同時に腰に挿していた小さな木の棒を取り出して、先端をサキュバスの方に向ける。


「従って、王の命令で増えすぎた無能どもを消し去れと承っている。その候補に挙がったお前を消し去る。今までご苦労だった」


 そう一方的に締めくくると、有無を言わさず、人間には理解できない言葉の羅列を並べる。すると、不思議なことが目の前で起きた。なんと、サキュバスは急に自分の首を右手に持っていたはずの鞭で締め始めたのだ。自分の手であるはずなのに、自分の思い通りに動かすことができなくなっているのか?


サキュバスは困惑の表情と、苦しみから生まれる救済を求める顔を浮かべているが、何分呼吸することを封じられている。そのため、口をパクパクさせるだけで言葉が成立していない。届く前に掠れてしまい、常にこの場に吹く緩い春風が儚く吹き飛ばしていく。唇の両端には白い泡が溜まり、それが余計にサキュバスが体感している苦しさを表していた。


返答する時間もなく突如として苦しみだすサキュバスを前に、シルは自分が取るべき行動が分からなくなる。目の前で起きているのは反乱なのか、それとも絶対的力を誇る奴からの強固な命令系統から来るものなのか。状況を見定めるだけの手がかりが、この場に何一つも用意されていなかった。戦場で今正に、何が起きているのかを理解するのにタイムラグが生じる。


その間も途切れることなくサキュバスの悲鳴は続いていた。その悲鳴が耳孔に侵入するたびに、どんどん足がすくんで動かな動かなくなっていく。それどころか、歩を進めて近づくことすら、シルにはできなくなっていた。


目の前で展開されている攻撃術式は、自分の理解を遥かに凌駕するもので、その片鱗すら解読することができない。地元の村では神童と呼ばれ、対人戦闘能力が抜きん出ていると国から評価され、次世代の守護者に選抜されたシルをもってしてももだ。自分との圧倒的な能力、ひいては魔術と呼ばれる才能の差が、無慈悲にもそこには繰り広げられていた。


「おい!何してるんだ」


 震える身体に鞭を打ち、やっとの思いで口から放った言葉はそれだった。


「お前には関係のない事だ」


 副士官は今まさに同族を殺しているというのに、まるで家畜でも殺すかのように躊躇いの色が一切伺えない目をしながら、淡々と事の経緯を眺めている。断続する悲鳴がだんだんと縮んでいく。しばらく経つと、サキュバスはピクリとも動かなくなっていた。あれほどシル達に恐怖を与えていた存在がこうもあっさり死んでしまうと、少し拍子抜けしてしまいそうになってしまう。


 しかし、まだ何も解決していない、シルは、今一度ゆっくりと顔を副士官の方に向ける。油断しているように見えるが、いつでも反撃を撃てる体勢を保っていた。そこにスキらしい瞬間は一切見えない。迂闊に突っ込めば、瞬きのほんの数秒の間に、シルの頭は今ついてる首と離れることになるだろう。


「お前は私とやり合う気か」


唐突に奴からシルは尋ねられる。


「お前はその気だろう」


 短い言葉で相手に返す。だが、その中にしっかりと闘志をまとわせながら。そして、一気に鞘から愛剣を思いっきり抜き去る。美しいほどの漆黒を纏わせながら、この緊迫した戦場に初めて繰り出されたそれは、とても勇敢にシルの目には映った。戦場の緊張感にそぐわぬ春の朗らかな風が2人の間を吹き抜ける。だが、その風ですら殺意が目線で交差し、入り乱れるこの場の空気を変えることは叶わない。


「今のお前のその剣じゃ私の首には届かん。それに私には人間を殺せという命令はいま王から承ってない」


「というと、何だ。このまま見逃してくれるのか?」


「あぁ、その通りだ。その代わり周りのクリーチャーは置いていく。煮るなり焼くなり何とでもしてくれ。彼らも抹消対象でな、そうしてくれた方が私の手間も省ける。お前と、その後ろで狸寝入りをしている男を殺すよりも、そいつらの相手をする方が肩が凝るからな。実力も違えば、数も多いし」


 そう言い放つと、左手に握っていた木の棒を腰に差し戻し、乗ってきた生物に再びまたがり直し、もう一度天高く飛翔していった。奴がこの戦場にいたのはほんのわずかな時間だったが、しっかりとその力の差を、見せつけるだけ見せつけてから消え去って行った。奴が飛び去った後では、周りを囲んでいる先ほどまで対峙していた敵と比べると、明らかに可愛く見えるクリーチャーにぐるりと目をやる。


「仮想副士官とするには・・・お前らでは荷が重すぎるな」


「当たり前だろ。ちっ! あいつめ、全部見抜いた上でさっさと退散しやがって!!」


 いつの間にか隣に立ち、苛立ちを隠そうともせずに表に出しているマシュも、高らかと2本の短剣を繰り出した。シルはふっと笑みをこぼす。そして、まず一番近くにいた敵の元へ剣先を突き出しながら突進していった。

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 自分よりも強者の者にしか絶対に懐かないと言われるドラゴンにまたがりながら、少し前に通った上空を、全身鎧で覆われた副士官は飛翔していた。その足取りは行きよりも軽やかなもの。面倒な任務だったと兜の下で苦言を漏らし、身に纏っていた甲冑を全て脱ぎ捨て、下に着ていた身軽な平常時の衣装が露わになる。


括っていた黒髪はだらりと下に落ち、風を十二分に浴び地平と並行するように靡いている。見るものを恐怖に陥れるという顔立ちからは想像できないほどの、穏やかな表情がそこにはあった。闇の王からも自分の顔立ちだけは褒めていただけるので、毎日そのケアは欠かしたことがない。それなのに、他の奴らはすぐに私の顔を化け物扱いするが。

 

 ところで、あの場に降り立った時、すでに戦いは終わっているものだと思っていた。サキュバスがいくら下級戦士だといっても、相手は子供。戦術の基礎も、戦争がどんなものなのかも、味わったことのない貧弱な奴ら。生まれた時から競争と争いに身を投じる、我ら闇と比べるとその実力差は戦闘が熱を帯始めるほど、火をみるより明らかになるだろうと考えていた。


しかし、彼らは生き抜き、かつ自分に剣を向けてきた。加えて剣を向けてきたあの男、中々の実力を感じた。恐らくあのまま戦えば近接戦闘が苦手な自分はかなり手を焼いたことだろう。それに⋯⋯ 。


「くくく。つい先日最後の守護者を倒したことで、もう新たな守護者が生まれようとしているのか」


 思わぬ拾い物をしたと、こらえきれぬ笑いを誰も聞くものがいない上空で、木霊もしないのに高らかと声をあげながら、王の待つ城にへとドラゴンを操る手綱を握る力を強くした。

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