第6話 冷たい視線

不意を突かれた? いや、それより! 


 鞭がシル達に到達する時間が常人のそれよりも遥かに早い——!二人は回避行動を取るも間に合わず、真正面から相手の攻撃を腹で受ける。衝撃よりも、激しい痛みがシルとマシュを襲うことが咄嗟に予想された。


 だが、奇妙なことが起きたのはここからだ。相手の攻撃を受けたとはいえ、されど武器は鞭。殴られても痛いや腫れる程度。それで直接死に繋がることはないだろうと、二人は無意識に考えていた。だが、これは2人の実戦での戦闘経験のなさから生まれた甘い考えであると、すぐに思い知らされる。 

 

 鞭が彼らを襲った後に訪れたのは、まるで大型の闘牛に思いっきり突進されたかのような巨大な衝撃。予想を大きく反し、痛みよりも先に衝撃で身体が空中に浮かぶ。


そのまま、二人の体はなすすべもなく後方に5m程飛んでいき、後方に生えていた木に思いっきり背中から打ち付けられる。


ドスッッッ!!!


 同時に頭もぶつけたのか。マシュは木にもたれかかって倒れ込む。そして、そこからピクリとも身体を動かすことができない状況に陥ってしまう。衝撃の反動で頭が木から離れ、傾れるようにして下を向く。すると、先ほどまで後頭部が接着していた、部分には赤い塗料が塗られたかのように、そこだけ赤く染色されていた。


 かくいうシルも、頭の衝突は避けられたものの、突然の後方からの衝撃で肺の中の空気が一気に口からこぼれ出ていく。衝撃の重さから、次の反撃をすぐさまに打てず、うずくまってしまう。口内から漏れたのは空気だけではない。突然のお腹の衝撃で、胃がパニックを起こしたらしい。そこから逆流した汚物までもが、食道を逆流して、口から吐き出される。


「オウェェェ・・・・!!!——ハァハァハァ・・・」


 吐瀉物と共に唾液もこぼれ落ちる。全て履き終わった後に待つのは、倦怠感と荒れる息の二つ。どちらも瞬時に平常時に戻すことはできなそうであった。


「あら、一撃でKOなの? やり甲斐がないガキね。さっきまでの威勢はどこに行ったのやら。人類という下等な生物にできるのは、あくまで奇襲で限りなく薄い可能性に期待することだけ。それも、飽きるほど何度も同じ手を打ってくる、進歩の無い雑種。正面切っての攻撃すら恐るるに足らないけどね」


 余裕の笑みすら溢しはじめる悪魔を、シルはただ荒れる息を吐き出しながら睨むことしか出来なかった。不敵な笑みを浮かべたまま、悪魔は何度も先ほどと同様の鞭攻撃を、シルとマシュと交互に繰り出してくる。一撃身体に攻撃を受けるだけで、膝を着く地面がより深く抉られていく。受け身をとっているシルですらこの有様。


マシュには無防備な状態でこの激烈な攻撃が降り掛かっている。そう思うと、唯でさえ動けないマシュに対しての非情の攻撃にシルは怒りを覚えるが、次に自分に対して向けられる攻撃を真正面から受け、マシュを庇うことすら出来ずにいた。


幾度にも及んで繰り出されるそれは、シルの身体を痛みという恐怖で抵抗する気力を蝕み、骨は攻撃に耐え切れないと叫んでいるかのように、キシリという音が至る箇所から鳴り響く。気がつけば、シルの口からは赤い鮮血がポタポタと地面に流れていた。


 この盤面は、将棋に例えると王将が無様に打たれる先々を唯の捨て駒でしかないはずである歩兵に妨害され遂に周り囲まれ逃げ場もなく、降参するしかない状況と全く同じだ。二人なら何とか立ち向かえるかもしれない。一人が歩兵のように敵の侵害をその身を程して足止めすれば、もう一人の方は何とか逃げ延びれるかもしれない。


今度は一転して、二人で挑んでみればどうなるか。勝利を収めることは出来ないかもしれないが、それでも一泡吹かす程度なら、息絶えるかもしれないが叶うかもしれない。あくまで仮定の域を出ないが、どれも一人では到底成し遂げないことだ。


「さてこの盤面だったら誰が王将なのかな」


 この戦場に今まで聞いたことのない声が頭上から降り注がれる。首をゆっくりと動かして上を見上げるが、太陽の光が眩しくて見えない。地面に映し出される影をみる限り、その形は人間のそれとは異なる形を形成していた。翼のようなものも地面に影として映し出され、バサバサと翼を動かしている音がこの場に響き渡る。シルは不吉な予感しかしなかった。人型でない影がそれを、奴は敵であると物語っている。一瞬期待したことで露になった心の表面が、勢いよく抉られる。


「また新手か?」


 終わることを見せない絶望に、シルはがっくりと肩を落とす。俺の命はこれまでなのか、全ての終わりを悟り目を閉じる。目の前が真っ暗になったとき、ふと頭に浮かんだのは神様の姿だった。だが、それは今まで生きてきて見たことのない本物の神様ではない。


シルが今まで読んできた本の扉絵に度々描かれていたイラスト。それが、ふと頭に浮かんだのだ。人間最後の最後に頼るものは神なんだなと、自分で考えときながらシルは苦笑してしまう。


存在しない神になんかに助けを乞うたとしても結果は何も変わらない。それなら、いっそ村人でも良いから、存在しているものにシルは助けを求めるだろうと最後の一瞬と思える瞬間に思案する。


「そうだ⋯⋯ 。忘れていた。俺たちには存在する神がまだいたじゃないか」


 急に頭に浮かんできた言葉にシルは咄嗟に叫ばずにはいられなかった。


守護者ガーディアン!! 空から降ってきているのはあんたなんだろ? この状況を視認して助けに来てくれた。そうなんだろ!? 目の前にいる闇の一族にやられて、今にも死にそうなんだ。俺たちを助けてくれ!」


 飛行している生物と地面との距離が徐々に縮まっていき、それに比例するかのように、翼の運動から乗じる巨大な風力で地面の砂塵が四方に飛び散っていく。シルの目には期待の色しか写っていなかった。よぎった不安はどこか遠くに捨て去り、自分の見たい現実しかシルの目には入ってこない。その存在が守護者だと信じて疑わなかった。

 

 キルリアを守護し、その市民の命をも助ける。超人的な力を持ちどんな敵にも臆することなく立ち向かう。そして、市民が危機に陥った時。声を上げずしても必ず助けに駆けつけてくれると云い伝えられてる伝説の騎士たち。キルリアの人はこの伝説が存在しているからこそ、毎日闇の一族のことを恐れることなく生活できていると言っても過言ではない。


彼を運んできた生物が地面に綺麗に着陸した時、それに跨っていた人物の姿がはっきりと見て取れた。しかし、全身を鎧と甲冑で覆っているせいで顔がよく読み取れない。身長はあれほど巨大に見えていたサキュバスとほぼ変わらないだろうか。だが、それが放つ威圧感とでもいうべきだろうか。身体から醸し出されるオーラがまるで違っていた。


「なぜこんなところへ・・・?」


 そう呟いたのは、意外にもシルではなくサキュバスだった。気がつけば降り注ぐ鞭の雨も止んでいた。今まで脅威に思えていた鞭も、力が抜けたように力なくその矛先を地面に向け垂れている。それに、サキュバスの方を見てみると、微かに身体が震えているのがわかった。やはり、守護者はあいつらでも恐れられている存在なんだ。シルは抱いていた確信を更に強いものにする。


「守護者様! 奴らを退治してください、殺されそうなんです!」


 シルはありったけの声で、空飛ぶ謎の生物から降りた守護者と思われしき人に助けをこう。しかし、その人物から言葉は何も返ってこない。代わりに返ってきたのは、まるで全てを凌駕し、シル達とは全く異なる世界にいるんだという、圧倒的上から目線で向けられる冷ややかな一線。戦場には似合わない静寂が、しばらくこの場には流れた。鎧で覆われた騎士はシルとマシュ、そしてサキュバスの三人に順番に視線を送ってから、ようやくその重たい口を開いた。


「大分手こずったようだな、キュート」


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