第四十二話 城壁を越えて

 サンリユス共和国は、世界屈指の独裁政権国家である。国王は世襲制で、議員の多くもそれに倣う。故に偏る政治、偏る政策。軍部が強力すぎるお陰で武力抗争はないものの、政権を転覆させようと暗殺依頼が絶えないのがお国柄だと、世界のあちこちから揶揄されていた。


「あれか」


  遊道線フリーレーンを乗り継ぎ二日。アンナとエリックがサンリユス共和国を目視したのは、日が傾き始めた頃であった。鬱蒼とした森の少し開けた所に、突如として現れた灰色の壁。小さな国をぐるりと取り囲む、天でも目指そうとしたのかと思える程背の高い城壁はかなり重厚そうだ。


「どうする? すぐにでも入国するか?」

「少し休まないか? ここに来るまで殆ど休みなしだぞ」

「ふん、だらしのない奴」


 食わず寝ずの仕事に慣れているアンナとは対照的に、エリックには疲れの色が見えた。体力は勿論ある方なのだが、慣れぬ仕事に体がついていかないようだった。


「ならば、日が暮れるまで休むか……。その方が都合もいい。二人で百十人の暗殺など、一晩あれば余裕だろう」

「簡単に言いやがって」

「簡単な仕事などない。失敗をせぬよう気を張らねば、命など簡単に落とすぞ」


 ここに至るまで二人は、思っていたよりも互いに衝突することなく会話が出来ていた。案外うまくやっていけるのかもしれないとも思ったが、エリックから放たれる殺意で現実に戻される。



(こいつはあたしを殺したいんだったな)


(こいつはティファラの……仇だというのに)



 アンナはエリックに背を向け、一口二口と水を口に含む。その場に座り込み、目的の国に視線を投げた。


「ところでお前……そのサングラスは夜でも外さないのか?」

「昼も夜も関係ない。仕事に出るときは身につける、それだけだ」

「……ふうん?」

「お前に理由を話す義理などない」

「まあ別に、いいけどよ」


 それからは揃って口を噤み、体を休めた。月がはっきりと顔を出し、辺りが闇に包まれ始めた頃──立ち上がった二人は、城壁へと足を進めた。



「しかし……高いな。兵もいない、この城壁に余程の自信があるんだろうな」

「 飛行盤フービスで上まで飛び上がって、そこで別れよう。ぐるりと一周して……同じ地点から去ればいいだろ」

「それでいい。明朝、通信機で連絡を入れる。タイミングを合わせて共に出国だな」

「わかった」

「万が一の時のことは、決めておくか?」


 小馬鹿にするように、アンナは語調を上げながらエリックを見やる。苛立った様子のエリックは短く息を吐くと、気持ちを切り替えつつ「いや」と答えた。


「万が一など……あり得るか?」

「わからんさ。何が起きるかわからないのが暗殺だ……互いの身にもしも何かあれば一人で出国、そうだな……来る時に通った巨木の分かれ道で二日は待つ。それでも来なければ……一人で帰国だ」


 ここに辿り着く三十分ほど前に通った分かれ道。樹齢百年を超えていると言われても驚かない程の大きな広葉樹のことを、エリックは思い出す。


「今この地点から入ると……ガイル町か。方位と地名、それと番地まで頭に入ってるだろうな?」

「番地ぃ?」

「標的の居住地を頭に入れる時に一緒に覚えてないのか?」

「あー……うん、まあ、大丈夫だ」

「大丈夫かよ……」


 いざとなったら自分がフォローに入るしかないなと呆れるように溜息をつき、アンナは飛行盤を取り出した。


「ではそろそろ行くぞ」

「はいはい」


 二人揃って上空へと飛び上がる。城壁のてっぺんに着地すると、飛行盤を 無限空間インフィニティトランクへと仕舞った。


「ここからは飛行盤を使うなよ。 ルースの 神力ミースで目星をつけられても困る」

「この城壁からはどうやって降りるんだよ」

「飛び降りればいいだろ?」

「帰りは?」

「屋根からここまで、飛び移ればいいだろ。大した高さじゃない」

「嘘ぉ……本気かよお前」

「跳躍力には、自信がないのか?」


 ヒュン──とその場から飛び降りたアンナは、建物の屋根に飛び移る。あっという間にその姿は闇に溶けて見えなくなった。


「自信がねえなんて、誰も言ってねえよ……!」


 煽られ、機嫌を悪くしたエリックもそれに倣って飛び降りる。仄暗い路地を駆けて屋根へと飛び上がり、目的の建物へ急ぎ駆け出した。





 アンナとエリックが出発したその日の昼下がり。


「アンナ様がいらっしゃらないとぼんやりするの、どうにかならない?」

「……姉上」


 アンナの私室のバルコニーを箒で掃きながらシナブルが顔を上げると、下階のレンの部屋から跳び上がってきたのか、手摺にマンダリーヌが腰掛けていた。


「顔に出てるのよ。寂しいって」

「事実なのですから、仕方がありません」

「隠さないんだ」

「元より、姉上に隠しきれるとは思っていません」



(……他の子達にも隠せてないと思うけど。自覚がないのね)



 この歳になってまで、可愛い弟だとは口に出さないが、代わりに頭でも撫でてやろうとマンダリーヌは手摺から飛び下りた。


「何ですか急に」

「別に。フォードは?」

「中で仕事をしています」

「ちょうど良かった。レン様もご不在だし……話があるのだけど」

「何です?」

「アンナ様のこと……諦めなさい」

「……何を急に」


 箒を握る手にギュッと力が籠もる。ミシミシと柄が音を立てるので、慌てて力を抜いた。


「今まではよかったわよ、誰がアンナ様を想っていようと。でもね……エリック様がアンナ様の婚約者として迎え入れられた以上、もう……」

「姉上は……レン様とのことは、良いのですか」

「私は…………私のことはいいのよ、無理だから」

「身体は提供しているのに?」

「それだけだもの」

「変わりましたね、姉上」


 以前は、このようなことを話すような女性ではなかった。レンとの関係が密になってしまった影響か、姉は感情を表に出すことが増えていた。


「いくら口で諦めますと言った所で、俺の気持ちは変わらないと思います」

「二人が睦み合う様を側で見守りながら、生きていくというの?」

「それが俺の人生ならば、仕方がないかと。姫の幸せが、俺の幸せです」

「破綻してるわ。本当のことを言いなさいよ、誰にも言いやしないわ」


 ちらりと部屋の方を見て、誰の気配もないことを確認すると、シナブルは諦めたように深い溜息をついた。


「……正直、姉上が羨ましいです」

「だから皆言っていたじゃない、無理矢理にでも早く孕ませろって」

「露骨な言い方はやめて下さいよ」


 顔が熱を孕み、姉と目を合わせることが出来ない。シナブルは姉に背中を向けて、掃き掃除を再開した。


「あなたもいずれ、家庭を持つわ。それまでにその気持ちを断ち切るか……上手く隠す術を身に着けなさい」

「肝に銘じておきます」

「あの二人、今はまだ喧嘩ばかりだけど……いずれ深い仲になった時、あなたの気持ちが露見すれば、必ず揉め事になる」

「……避けたいところです」

「断ち切りなさい。少しずつでいい……アンナ様の嫌いなところを増やしていけば──」

「そんなところ、あるはずがありません……!」

「……あのね」


 背を向けるシナブルの正面に回り込み、マンダリーヌは彼の胸倉を掴み、下から睨みつける。怯んだ弟は、目を合わせてくれないようだ。


「全てが……愛おしいのです。ですので……嫌いなところを増やすなど、無理です」

「どうなっても知らないわよ」

「覚悟の上です」

「あなた、自分のことを棚に上げて説教をする姉を、罵ったりはしないのね」

「姉上と俺とでは状況が違いますから。姉上の方こそ、もっと正直になられたほうがいいかと思います」

「…………そうね。ごめん、手伝うわ」

「いえ、結構です」


 アンナの私室から続く一階バルコニー、それに二階バルコニーへと続く階段を含めたこの場所の掃き掃除は、メイドにも掃除をさせぬとシナブルとフォードが決めた場所であった。


「なんで?」

「二階のバルコニーは……寝室と接していますので……」

「だから?」

「いや、いずれ…………その、将来的に、姫が……」

「…………言いたいことはわかったわ。メイドには見せたくもないし聞かせたくもないってことね。でも今はご不在だからいいじゃない。邪魔をしてしまったからには、手伝うわ」

「……すみません」


 二人がかりだと掃除は早く済むもの。柄にヒビの入ってしまった箒を片付け、シナブルは姉に礼を言うとそそくさと外階段を降りてゆく。


「ここから入れば?」


 マンダリーヌが指差すのは、バルコニーから室内へと続く大窓だ。長方形の観音開きの扉の上に、半円の明かり取りの窓が連なっている。


「駄目です。そこにはおいそれと立ち入れません」

「寝室だから?」

「ええ」

「真面目なこと」


 無言で立ち去る弟の背を見送り、マンダリーヌは階下へと飛び降りる。レンが戻ってくるまでに、自分も主の部屋を整えておかねばならぬのだから。




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