第三十九話 黒い影
いつもより遥かに多い仕事量を半月で片付け、やっとのことで帰国する。今回連れ立ったカルディナル──コラーユの三番目の息子──は、半月もレンに連れられての仕事は初めてのことであったので、疲労の色が目立つ。
「カルディナル、大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。いい経験を積ませて頂き、ありがとうございました」
大丈夫と言いながらも、カルディナルの足取りはかなり怪しい。抱えてやろうかとも思ったが、幼いなりに彼にもきっとプライドがあるだろうと、レンは気持ちを抑え込む。
「今日はもう早めに休め。報告書は作成したことがあるか?」
「はい、姉上に教わっていますので問題ないです」
「そうか。明日俺も手伝う、三人で行おう」
「はい、ありがとうございます」
子供らしさがだいぶ抜けてはいたものの、幼い従弟が頭を下げる様はまだまだ可愛らしいもので。挨拶を済ませると、カルディナルは自室へと帰っていった。
(姉上のところへ顔を出さないとな……)
出発前、姉のマリーに「帰ってきたらマンダリーヌのことで話がある」と言われていたことを思い出す。自室で一旦シャワーと着替えを済ませ、なんとなく重い足を姉の自室へと向けた。
姉マリーの私室はレンの私室の一つ下。階段を降り扉をノックすると、部屋から顔を出したのは義兄のフォンであった。
「レン様!」
「
「レン様も、敬語なんてやめてください」
「義兄上が、俺のことを『レン君』とでも呼んで下されば、考えます」
「……良い機会だと思って、敬語だけでもやめてみましょうか。それより、何か用があるのでは?」
「ああ、姉上に……」
「ちょっとお待ち下さいね」
結局敬語をやめてくれる気配もなく、フォンは室内に向って「マリー!」と声を掛ける。呼びかけの後すぐに姿を現したマリーは、フォンに子供たちを託すと廊下へと歩み出た。
「お疲れ様。終わったのね」
「ああ。半月出ていたが、カルディナルは優秀だったよ」
「将来が楽しみね」
廊下の窓を開け、マリーはそこから外へ身を乗り出した。
「お行儀が悪くてごめんなさいね」
「気にしないさ」
「……で、早速本題。マンダリーヌのこと、本気なの?」
隠しているつもりなどなかったが、姉に直接マンダリーヌへの気持ちや将来のことを話したことはなかった筈だ。彼女はどこまで知って──気がついているのか。場合によっては口を塞がなければならぬと、レンはごくりと唾を飲み込んだ。
「見ていてそんなにわかるのか?」
「私の特技知っているでしょ?」
「姉上は暗殺特化だもんなあ……」
「まあ、母上やエカルラートから聞いてるのもあるけどね。父上の前でプロポーズ紛いのこともしたんでしょう?」
「それは誰から聞いた?」
「内緒」
「あいつ、体を交えても本当に靡かないんだ。どうしたらいい?」
あれから──レンがマンダリーヌに本心を打ち明けてから、幾度も気持ちを言葉にし、交わったが、妻になって欲しいという願いだけは聞き入れてもらえていない。
「あっさりと姉にそういうことを暴露するんじゃないわよ」
「……悪い、てっきり知ってるのかと」
「弟の交情なんて、調べやしないわよ気持ち悪い」
「気持ち悪いは余計だ」
血色の目を細め、クスクスと笑うマリーは長い髪をかき上げる。母に似て美しい色の、明るい金髪だ。
「マンダリーヌと夫婦になりたいのなら、あなたが王族を抜けるしかないと私は思ってるわ」
「なっ……!」
「そこまでの覚悟はないでしょう?」
「それは……」
「知っての通り、マンダリーヌは本当に真面目で真っ直ぐな子。王族本家のあなたと分家の自分が、という考えが強すぎるのよ。それを解消するには、同等の身分になることが条件なんじゃなくて?」
「そうか……」
「あなたはあの子のために、本当にそこまで出来るの?」
王族を離れるとなると、今のような生活は出来なくなる。それは構わないのだが、マンダリーヌがそれを良しとするのか否かはわからない。彼女のことであるから、拒否をする可能性は大いに高い。となると、結局のところ彼女と契りを結ぶことは不可能に近い。
「レン。何事もよく考えて行動しなさい」
「肝に銘じておく」
「別件だけど……アンナに干渉しすぎるのも、そろそろやめなさいよ。あの子ももう八十よ? 子供扱いして関わりすぎるべきではないわ」
「……アンナのことで、他に言いたいことはないのか?」
「……? 別にないけど、どうかした?」
「いや。ご説教どうもありがとう、姉上。マンダリーヌの件はもう少しゆっくり考えてみるよ」
「夫婦にならずとも、子が出来てしまえばあなたの勝ちだとも思うけれど」
「姉上がそんなことを言うなんて思わなかったな」
「そう? まあ……聞かなかったことにして頂戴。言いたいことは言ったし、そろそろ戻るわね」
じゃあ、とそのまま飛び降りたマリーか再び窓を開け、自室の扉を開け──閉じた音を確認してレンは立ち上がる。
「……」
ぬらり、と。背中を舐められるような黒い気配に振り返る。誰もいないが、不穏な気配だけが背中に張り付いている。
「誰だ」
『気がついているんだろう?』
「……何に」
『私の正体、それに私の計画』
ぬっ──とレンの前に真っ黒な、人の形を模した影が現れる。知らない声、知らない気配だが、レンはこの影の正体に気がついてしまっていた。
「気がついているさ。無理矢理にでもマンダリーヌをモノにしていないのが、いい証拠だろう?」
『誰にも話してないだろうな?』
「話した所で証拠もないし、誰も信じてくれないのは目に見えている」
『本当にそうかな』
「何が言いたい」
『私がお前を信用できる証を見せてみろ』
「……何をしろと?」
『一族皆殺し』
全身が悪寒にぞわりと震え、鼓動が早まってゆく。目の前の影はぐにゃぐにゃと形を変え、見覚えのある人の形に変形を遂げた。
『私の代わりに、一族を全員殺してくれ。恨みしかないのだ。まあきっとお前には無理だろうから、一部だけでも構わないのだが。残った奴は私が直々に殺せばいいし……私が直々に手を下したほうが、面白いかもな。驚くあいつらの顔が目に浮かぶ』
「……」
『わかっていると思うが、お前が気がついてしまった以上、覚悟をしてもらわないといけない』
「それは──!」
『おっと、時間がない。この姿であまり長くはいられないんだ。また顔を出すよ、
影が消える。その場にがくりと膝をついたレンは頭を抱えると、大きく息を吐き出した。
(……想像以上だ。あれは魔法ではなく魔術……。あれには敵わない。最悪の場合、この国は滅びてしまう。俺もいい加減、覚悟を決めねば)
額の上の、玉のような汗を拭い取る。こんな気分のままでは、家族の誰とも顔を合わせることは出来そうにもなかった。
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