第三十一話 与えられた罰
地下へと続く螺旋階段にこだまする、アンナの苦しげな声。それにその身体に打ち付けられる激しい鞭の音にフォードは耳を塞ぐ。自分がティファラ・М・ラーズを殺してしまったのを庇ったせいで、アンナはエドヴァルドの怒りを買い、痛めつけられているのだ。こういうことがあると決まって数週間から数ヶ月程度投獄されるのだが、その間エドヴァルドの臣下であるルヴィスとコラーユが牢の見張りにつく。代わりにフォードかシナブルがエドヴァルドに仕えることが通例となっているのだが、今回は特別罪悪感が強い。
(陛下に正直に事実を話せば、姫は解放される──が、俺は殺されてしまうだろう。姫はそれを良しとしない……大人しくここで待つしか無いのがどうしょうもなく辛い)
常日頃からアンナは、二人の臣下に己の命を軽く扱うなと忠告していた。「お前たちがいないとあたしは困ることばかりだ」と言っては恥ずかしそうに顔を背けていた主。自立してほしいと願うこともあったが、厳しい性格の彼女に頼られれば嬉しいもので、二人揃って返事をしては密かに顔を見合わせ笑ったものだ。
──鞭の音が止んだ。コツコツと階段を上る音が二人分近づいてくる──エドヴァルドとコラーユだ。足早に廊下を進む二人の後ろに付き従い、フォードは後ろ髪を引かれながら無理矢理足を動かす。
「フォード、ペダーシャルス王国を落としたのは誰だ?」
「はい。シナブルです」
「そうか……ならばシナブルに伝えてくれ。軍を二隊率いて構わん、ペダーシャルスの金品を回収して来るようにと」
「承知致しました」
「報告書はその後で良い」
滅ぼした国を放置したままにしておくと、あっという間に盗賊達にすべてを奪われてしまう。奴らの活動資金になる前に粗方回収し、国民達に還元すべきというのがファイアランス王国のやり方であった。これがファイアランス王国が「人を殺した金で成り立つ国」と言われる所以であった。
「それでは、失礼致します」
エドヴァルドの背に向かって頭を下げると、フォードはアンナの私室へと向かう。恐らくシナブルは、主の部屋の執務室で今回の件の報告書をまとめ始めていることだろう。
*
フォードがアンナの私室へと向かった、少し前。
フォードとルヴィスに押さえ付けられながら牢獄へと放り込まれていたエリックは、小一時間前から響き渡る鞭の音──それに女の唸り声にいい加減嫌気が差していた。少し遠いが会話は聞き取れる。父が娘を罵り、痛めつけている様子であった。
(……胸糞悪い。どういう親子関係なんだ、こいつらは)
己の生まれ育った国では考えられないことであった。父も母もきょうだい達だって、互いに思いやり愛し合っていた母国。エリック自身が虐殺王子と呼ばれ始めてからも、変わらず愛してくれた大切な家族。
──全て壊され殺されてしまった家族、それに母国。
(絶対に許さない……ララを殺したあの女。それに母国を、家族を殺したあの男。それを命じたエドヴァルド二世……!絶対に殺してやる……!!)
と、いつの間にか鞭の音が止んでいることに気が付く。石畳を打つ足音が一人分、ゆっくりとこちらに向かってくる。
「……?」
先程自分を牢に押し込んだ男──ルヴィスがエリックの収容される牢の前に立っていた。腕に抱いているのは、血と痣、それに火傷の激しいあの憎き女の姿。
「アンナ様、大丈夫ですか」
「っ…………」
この距離でもわかる、重症だ。意識を保っていることが不思議でならなかった。しかし何故ルヴィスはあの女を連れてこんな所に来たのか、エリックにはさっぱり理解が出来ない。
「エリック・P・ローランド。今からお前の……いや、あなた様の牢にアンナ様も一緒に入る」
「……は?」
「陛下のご命令だ。精々殺し合って親睦を深めろ、と」
「……ふざけたことを」
「この牢は魔法使いによってクソみたいな魔法がかかっている。その1、鉄格子に触れると触れた部分から肉が溶ける。その2、決まった期間を過ごさないと鍵が開かない。その3、この中では誰も死なない」
「性格の悪い魔法使いに創らせたな。誰だ?」
「ナサニエフ・マードック様です」
「けっ、あの変態か」
ルヴィスが牢を開ける。悲痛な面持ちでアンナを牢の中にゆっくりと横たえると、外側から鍵を締めた。
「アンナ様は死なない、この程度ではな。すぐに回復なさるだろう。それまで待てとお前に言いはしないが……この状態で危害を加えるなど、しないよな?」
「それは俺の勝手だ」
「因みに俺は、牢の魔法が解けるまで一週間、父と交代でここで見張ることになっている。余計なことをしないことだな」
「ふん……」
死にかけの女に手を出すほど、エリックは落ちぶれてはいなかった。この女を殺すなら万全の状態で、完膚無きまでに打ち負かし、嬲り殺したかった。
「っ……ぐ……う、誰かと思えば……お前……」
「動くなよ、死ぬぞお前」
「こんなもんで……死ぬかよ……」
ゆっくりと身を起こしたアンナは、自身の状況を把握する。なんとか意識を保ったまま、父からの拷問を耐え抜いたのだ。
「う……がはっ…………新しい毒か、クソ……」
「酷え親父だな。同情はしないがな」
「毒は盛られ慣れてる……新しい毒とは、想定外だったが」
医学に明るいエリックの見立てでは、普通の人間であれば死んでもおかしくない傷をアンナは負っている様子であった。顔と首以外、全ての箇所につけられた生々しい傷は深く、赤い。彼女の動作から、皮膚が爛れるほど激しい火傷が腹のあたりにでもあるのだろうという見立てであった。
「誰も死なない魔法の牢とはいえ……お前が殴ればあたしも死ぬかもな」
「……」
「殺さないのか? 試してみようとは?」
「くだらない」
「……は?」
「お前は俺が殺すんだから、そんな怪我でくたばるんじゃねえよ」
立ち上がり、アンナとの距離を詰めたエリックは、両手を彼女の体にかざす。手首から先が柔らかな光を放ち、アンナの体を包みこんでゆく。
「な……お前、エルフの血が?」
「母がエルフだ、少しなら俺もこの力を使える」
「だからといって仇のあたしに使うなんて馬鹿なことを」
「これでも医者の端くれだ。途中で投げ出したけどな……俺は万全のお前を今すぐにでも殺したいんだから、黙って治療されてろ。目の前の怪我人を放おっておける性分じゃねえんだよ」
「……勝手にしろ」
そういったきり、アンナは口を噤み大人しくエリックの治療を受けた。服の外に出ている部分の怪我は大方治療が完了したが、毒のせいで意識が朦朧とし始めた。
(なんの毒だ、クソッ……。まずい……このまま気絶してしまえば……こいつに……殺さ……れ……)
「腹の傷を見せろ。……おい、聞いてるのか?」
アンナの反応がない。毒の回りきった体で無理をしてエリックと会話をしていたせいだろうか、遂に意識を失ってしまったようだ。
「……ハァ、仕方ねえ。悪いが失礼する」
アンナの纏う服のファスナーを下げ、腹部の傷を確認する。エリックの予想以上に怪我の範囲が広く、それは彼女の胸部にから下腹部にまで達していた。
(あの男、本当にこいつの父親か? 娘の体のこんな所にまで傷をつけやがって、どういうつもりだ。跡が残ったら嫁の貰い手など──)
と、貰い手は自分であったなと思い出し、腹が立ち舌を打った。承諾したつもりなど更々無いが、多少の同情心が湧いてしまった。
「……悪いな、恨むなよ」
直接患部を見ねば流石に治療が出来るはずもなく、一言断ってからエリックはアンナの胸を覆うチューブトップを上にずらし、胸部の治療を進めた。一段落したところでファスナーを更に下げ、衣服と下着をギリギリまで引き下ろし、下腹部の治療へ。焼け爛れた腹の肉の治療は粗方終わったが、足の付根から太腿にかけての傷については未着手であった。体力的にもそろそろ限界であったし、何より場所が問題で、アンナの衣服を全て剥ぎ取らぬ限り治療が難しい部位であったのだ。これでも一応一国の姫。本人の断りなしに全裸にひん剥くわけにもいかず、彼女が目覚めれば聞けば良し、目覚めず事切れればそれまでだと匙を投げ、エリックは一旦アンナの着衣を整えた。
(大方、こんなものか……これ以上は俺が倒れてしまう…………一体何をやっているんだ、俺は……!)
愛するティファラの仇だというのに、自分の体力を削ってまで治療を施してしまった。アンナの気持ちを慮り、治療の為に無理に衣服を剥ぎらないとまで判断を下した。
(おまけにこいつが目覚めれば、確認を取って治療を再開しようとまでしている…………違う、違う、違う!
俺は……全力を出したこいつを、完膚無きまでに負かし、殺してやりたいだけだ。それが母国の家族と、ティファラへの供養となるんだ)
「クソッ……!」
頭を抱え、牢の隅でうずくまった。一旦心を落ち着かせねば、気がおかしくなってしまいそうだった。
──コツコツコツコツ!
(……今度は誰だ)
エリックの気を知って知らずか、新たな訪問者の足音が響き渡る。牢の手前の通路に立つルヴィスに足止めを食らい怒鳴り声を発した主は、彼の静止も聞かず牢へと駆け寄ってきた。
「アンナ! いるのか!」
男は一瞬牢の柵を掴みかけるが、思い出したように手を引っ込めた。「クソッ!」と悪態をつくと、アンナの名を再び呼んだ。
「毒で気絶している」
「お前は…………ペダーシャルスの王子! 何故……!」
「エドヴァルド二世に聞いてみろ」
「あのクソ親父! 今度は何を企んでやがる!」
こいつは自分を知っているのかと、男の顔をまじまじと見つめる。髪の色は違えど鋭い目元はアンナにそっくりで、きょうだいであることは明白であった。
(ならば……レンブランティウス・F・グランヴィ……この女の兄貴か)
名の知れた殺し屋だなと思い出したのも束の間、エリックはレンの悲痛で悔しげな面持ちに違和感を覚えた。
「心配しているのか?」
「は? 当たり前だ、アンナは俺の可愛い妹だぞ」
「……父親とは大違いだな」
「あんな親父と一緒にすんじゃねえよ」
レンの方が正常であるが故の違和であった。思い出せばルヴィスという臣下も、アンナを労るような声を掛けていた。父親が異常なだけで、他は案外まともな奴等なのかもしれないとエリックは納得をした。
何度声を掛けても目覚めぬ妹の姿から目を離すことなく、レンはエリックへと声を掛ける。
「アンナの治療をしたのはお前か?」
「ああ」
「そうか……ありがとう」
「別に──」
礼も言える、やはりまともな奴なのだ。
「アンナの体に触れるとは、羨ましい奴。牢が開けば俺が脱がせて治療をしてやるというのに」
「……は」
「お前! 変な所を見てないだろうな? 密室とは言えないが……二人きりだからといって、厭らしいことを考えるなよ」
それはお前だろうと言いたいのを飲み込み、汚いものを見る目でレンを睨む。
「お前……こいつの兄貴じゃないのか?」
「そうだが?」
「実の兄なんだよな……?」
「実の兄が妹の肌に触れたいと、裸を見たいと思うのはおかしいことか?」
「仮に思ったとしても、口に出すのは如何なもんかと思うがな」
「アンナに手を出すな、という忠告と思ってもらって構わない」
「……心配無用、余計な忠告だ」
自分は妹の裸を見たいと思ったことがあるだろうか、いや無いなとエリックはレンを睨むが、当の本人は全く気にしていない様子。
「わかっているだろうが、アンナには言うなよ? ルヴィス、お前もだ」
「承知しております」
「お前も返事をしろエリック」
「はいはい」
「心配だがまあいい。俺は親父の所へ行ってくる……ルヴィス、しっかり見張っておけ」
「はっ!」
足早に立ち去るレンを見送ると、ルヴィスは大きな溜息を吐いた。レンのことだ、またすぐにここへ戻って来るに違いない。
牢の中のアンナを見る。未だ冷たい石畳の上に横たわる彼女はぴくりとも動かない。エドヴァルドがこの先一週間、ここへ来ることがないのはわかりきっている。
ルヴィスは懐から取り出した包帯をそっと牢へと放り込む。驚いたエリックが顔を上げたが、知らない振りをして背を向け、牢から少しだけ距離を取ったのであった。
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