第六話 姫の帰城

 ファイアランス王国──国土は現アブヤドゥ王国の二倍を誇る、ティリスが多く住まう独裁国家。


 アンナの実父である国王 エドヴァルド・F(ファイアランス)・グランヴィが治めるこの国は租税制度がなく、殺し屋一家である王族達が人を殺して得た金で国が回っている。

 その為移住希望者が後を絶たないのであるが、「ティリス、及びエルフ以外のは、国王が許可した特例を除き、認めない」という法がある。その上、他国による進撃の多いファイアランスでは、常に命の危険がつきまとう。それを認知し、覚悟した上で居住出来ない者は、およそ数ヶ月でこの国を去る──そのことから、国民数は数百年前からさほど変わっておらず、また殺し屋として活動する国民の数も横這いであった。




「…………あっ! アンナ様よ! アンナ様ーっ!」

「本当だ! アンナ様ーっ! おかえりなさいませーっ!」


「……チッ、バレたか」


 飛行盤フービスを使って国の上空を飛んでいるというのに、ティリスという種族は非常に視力が良い為、アンナの姿は地上の国民達にいとも容易く見つかってしまう。王城の裏手から入国すれば国民達に見つかるリスクは下がるのだが、とある事情のためアンナは国の正面から入国せざるを得ないのであった。


 国王の娘──この国の姫であるアンナの帰城なのだ、国民達が騒がない訳が、そもそもないのである。軽く手を上げ応えると、声を上げた国民達は頭を垂れた。その姿を目の端で捉えながらアンナは少しずつ高度を落とすと、王城へと続く石造りの階段の前に、二人の男の姿が見えた。


「おかえり、アンナ」

「ただいま、兄上」


 赤銅色の短髪を持つ背の高い男が、ゆるりとアンナに近寄った。血溜まりのような赤い瞳は鋭いが、彼女ほど鋭利な雰囲気を纏っていない。緩めていた首元のネクタイをキュッと締めると、苦い笑みを浮かべた。


「今日は暑いな……けれどこんな姿を母上に見られては叱られてしまう」

「そうですね」


 捲っていたシャツの袖を下ろすと、彼はアンナの頭を優しく撫でた。


「アンナ……またそんな怖い顔をして。そんな怖い顔ばかりしていると、折角の美人が台無しだぞ」


「……はい、兄上」


 アンナの兄、レンブランティウス・F(ファイアランス)・グランヴィ。妹の頭を撫で終えた手を下ろすと、満足気に微笑んだ。


「おかえりなさいませ、姫」

「ただいま、フォード」


 レンの背後に立つのは、少し伸ばしたブロンドカラーの美しい髪を、背中で一纏めにしている優顔の男だ。端正な顔立ちにそぐう濃紺のスーツを、汗一つ流さず見事に着こなしている。


 彼はアンナ直属の臣下──フォード・レヴァランス。


「今日はフォードが当番なのか」

「はい、シナブルは仕事で国外に出ております。今夜にでも帰国するかと」


 王城──フィアスシュムート城へと続くこの長い階段の両脇は、高さ二十メートル程の壁に囲まれている。三人が上へ上へと足を進めると、その渇いた飴色の岩壁をくり貫くようにして、歴代の国王達の高大な彫像が堂々と鎮座していた。


 父エドヴァルドの彫像と目が合った所で、アンナはサングラスを外して無限空間インフィニティトランクに放り込み、こめかみを揉みながら溜め息を吐いた。


「どうした、アンナ」

「いや……父上に報告に行くのが億劫で」

「ハハ……話は聴いてる。戦場で大暴れしたんだってな」

「大暴れって程でもないと思うんだけど」

「何かあったら出来るだけフォローは入れるから……っと、悪いが俺はここで失礼するよ。マンダリーヌを待たせてるんだ」

「はい、わざわざありがとう兄上」


 階段を上り終え、広大な前庭を抜ける。足を進め、城の入口で別れた兄の姿が見えなくなったところで、アンナとフォードは足を早めた。父エドヴァルドに、今回の仕事の詳細と帰城の報告に向かうためである。


「兄上も、毎度毎度出迎えてくれなくてもいいのに」

「レン様は……姫のことを大切に思っておいでですからね」

「……そういうもんかねえ」


 鬱陶しい──とまでは正直思わなかったが、わざわざそこまでしてくれなくても、という気持ちがアンナの中には少なからずあった。現にレンは臣下であるマンダリーヌ──アンナの従姉──を待たせているのだ、仕事に支障が出ていると言っても過言ではない筈だ。


「多分、父上には叱られるんだよな……」

「何故です?」

「色々あってブンニー王国の国王を殺せなかった。まず、その色々の部分で叱られる。味方も敵も兵士は全員殺したのに、肝心の国王の首を取れなかったんだ、恐らく報酬も決まっていた額より少ねえ」

「……なるほど」

「また拷問だったら嫌だな」

「……心中お察しします」


 歴代最悪の王と呼ばれるエドヴァルドは、気性がかなり激しいことで有名である。アンナ本人も身を持って痛感しているのだが、気に食わないことがあれば、娘にすら手を上げる横暴な父であった。

 噂で聴いた程度なので詳細はアンナも知らないのだが、母であるネヴィアス欲しさに、彼女の母国に戦争を持ちかけただの、まともな話は聴いたことがない──それがアンナの父 エドヴァルドである。そんな父が今回の仕事の話を聴いたら、どういう行動に出るのか、考えただけでアンナは吐き気を催した。


「じゃあ、行ってくる」

「ここでお待ちしております」

「ああ」


 王の間へと続く赤絨毯の敷かれた短い階段。それを一人上りきるとアンナは、木製の観音開きの扉をノックした。


「アンナリリアンです」

「お入り下さい」


 エドヴァルド直属の臣下であるルヴィス・グランヴィ──アンナの従兄──の声と共に扉が開かれる。扉の脇に控える深縹色こきはなだいろの髪を持つ、スーツ姿のルヴィスは、アンナが室内に踏み行った瞬間、片膝をつき頭を垂れた。


「父上、今戻りました」

「ご苦労だったな」


 入口の扉からおよそ三十メートル程先にある壇上に置かれた、豪奢な玉座。不機嫌そうに腰掛けるエドヴァルド・F(ファイアランス)・グランヴィ──エドヴァルド二世は、足元を撫でるような冷ややかな声で、アンナに「来い」と声をかけた。


「何か言うことは?」

「申し訳ありませんでした」

「お前がヘマをしたせいで、国に入る筈だった報酬はおよそ半分も減らされたぞ」

「申し訳ありません。の力が至らないばかりに──」


 玉座の前で片膝をつくアンナは、立ち上がった父の姿を見て冷や汗を流す。顔を伏せると、自分と同じ色の、父の血色の長髪がゆらりと視界に入り込んだ。


「で、どうすんだ」

「力を──力をつけます。あんな賢者ごときに負けぬほどの力を、つけてみせます」

「そうかお前……シムノンに会ったんだったな」

「ご存知でしたか」

「あいつは俺と同じく『破壊者デストロイヤー』だ、ブースのな」

「デ……破壊者デストロイヤー!?」


 どおりでブース神力ミースを使えたわけだ──天を仰ぎたい心持ちであったが父の前ではそれも許されず、アンナは一人胸の中で悪態を吐いた。



 ──破壊者デストロイヤー


 そう呼ばれる者達が、この世には五人存在する。


 神より授かりし神力ミースと呼ばれる力。それを操る者の頂点に立つ、神に選ばれし存在。


 ブースの破壊者は、数少ない血族 アウ族の家長が。


 ルースの破壊者は、エルフと人間の混血から生まれた種族 ティリス──その中のトップに君臨する殺し屋一家 グランヴィ家を引き継ぐ者が。


 ジョースの破壊者は、戦闘民族 ライル族。五つの家で分けられた一族の、特に優れた戦闘力を持つおさを継ぐ者が。


 ヴェースの破壊者は、魔法協会率いる魔法使いの中から選ばれる。


 ブラスの破壊者は、その名を口にすることすら躊躇われる、今となっては数少ない魔術師が。


 神に命じられるままに、彼らは神石ミールと呼ばれる石を守護する役割を担っている。何の目的で神がそれを守らせているのかは、彼らの知るところではない。


 守護が使命の彼らが何故『破壊者』と呼ばれるのか。それは神話より伝えられ、世界的に有名な絵本にもなっている、重大な出来事の為であった。

 地上の民と神石ミールを守る役割を担う彼らは、生活が豊かになり強欲になった人間達の身勝手は振る舞いに激昂し世界を滅ぼした──。


 その時の名残で彼らは今でも破壊者と呼ばれているのだ。




 火の破壊者デストロイヤーであるエドヴァルドは、美しい青色の神石ミールを守護している。首から下げるその楕円の石は、銀の鎖に繋がれたペンダントで、次期国王であるアンナがそれを引き継ぐことが既に決まっている。


 長兄のレンではなく、次女であるアンナが国王となる理由──それは、彼女が父と同じ、血色の髪を持っている為である。古来よりファイアランス王国では、この血色の髪を持つものこそ、一族最強と言われてきた。それは世迷い言ではなく、紛れもない事実。血色の髪を持つものは皆、ずば抜けた戦闘技術を持ち合わせていた。

 それ故、次女であろうが三男であろうが、この髪を持って生まれた者が国王となる──それが、ここファイアランス王国では当然の習わしなのであった。








(あのシムノンとかいう奴が破壊者……!?)



 アンナの記憶に浮かび上がるのはあの男の憎たらしい笑顔。戦場で敵兵のライル族を「惚れた」などと言い持ち帰ったくせに、アンナのサングラスを奪い取り、「美人だ」と抜かした軽薄な男。



(あんなふざけた男が破壊者だなんて、あり得ない!)



 舌を打ちたい気持ちを堪え、彼女はきつく唇を噛んだ。


「そのような者には……見えませんでした」

「昔からそういう奴だ。まあ、あいつの話など良い。今は仕事の話だ」


 アンナの髪を掴み顔を無理矢理持ち上げたエドヴァルドは、屈み込んだまま彼女の顔を睨みつける。


「──っ!!」


 何の前置きもなく、彼は娘の顔を殴り飛ばした。真横に吹き飛んだアンナの体は、二、三度回転すると壁に衝突して停止した。その際時に頭を打ったのか、激しい衝突音が王の間に響く。

 その光景を目にしたルヴィスは拳を握り締めて眉間に皺を寄せ、目を閉じた。


「兄上」

「構わん」


 玉座のやや手前の壁際で物音一つ立てず、静かに控えていたスーツ姿の長身の男が、エドヴァルドの返答によりアンナに駆け寄る。

 彼はエドヴァルド直属の臣下 コラーユ・グランヴィ──エドヴァルドの実弟でルヴィスの実父だ。


「……アンナ様」


 コラーユの差し出した手を支えにアンナが身を起こすと、彼は眼鏡の上の鋭い眉をぴくりと動かした。


「一体、何の音ですか」


 玉座と平行線上にある扉の向こうから、一人の女性が現れた。コラーユとルヴィスはその姿を見て頭を下げた。

 アンナの実母であり、エドヴァルドの妻──ネヴィアス・F(ファイアランス)・グランヴィだ。美しい金髪を背中で弾ませながら、夫の斜め後方に置かれた一回り小さな玉座に腰を下ろそうとしたところで、アンナの姿を見つけて彼女に駆け寄った。


「アンナ!」

「……母上、お召し物が汚れてしまいます」

「それが何よ」


 アンナの額を伝う赤い筋を、ネヴィアスはドレスの裾で抑えて止血する。アイスグリーンのドレスの裾は、瞬く間に血を吸って真っ赤に染まった。


「あなた、これは一体どういうこと?」

「……ふん、仕事の一つもまともにこなせなかった娘に、仕置きをしたまでだ」

「これが仕置き?」


 ティリス特有の、エメラルドグリーンの瞳を細め、ネヴィアスはエドヴァルドに詰め寄る。睨みつけるも夫からは冷ややかな視線が返ってくるだけだった。


「これから俺が直々に、アンナに剣の指南をする。最近ご無沙汰だったからな、鈍っているに違いない」

「……止めても無駄なのでしょう」

「当然だ。お前は来るなよ」

「わかっているわよ」


 誰もが美人と称賛する美しい顔を歪ませて、ネヴィアスはエドヴァルドの顔を視界の外へと追いやった。


「アンナ」

「はい、母上」

「あまり無茶をしないで。闘技台のすぐ側にハクラをつけますからね」

「お気遣い、ありがとうございます」


 血は止まったのか、アンナの下げた頭から血が滴ることはなかった。足元の赤絨毯の一部が濃い色に変色しているのを見て、「またルヴィスの仕事を増やしてしまった」とアンナは嘆いた。


「アンナ。そうだな……十六時に『壱番』に来い。それまでにきちんと止血を済ませておくように」

「わかりました」


 重厚な外套を翻し、エドヴァルドが王の間を後にする。彼の姿が完全に消えると、ルヴィスはアンナの怪我の処置を済ますため、内線で医師長のハクラを呼んだ。

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