再起の狼煙
『……』
芸者小屋での食事、ハンズ達は勿論燈達にとっても随分と慣れたものだったはず。だがここ三日間で逆戻り…というよりかは、永遠に慣れないのではないのだろうかと言う疑念を抱く程の冷たい空気が流れ、張り詰めていた。
「今日、神殿側から召集が掛かった…」
だがその凍てついた空気に水を流し込むように、ハンズが口を開く。
その言葉に流石の周囲も顔を彼の方に向けた。
「近い内、東の森が
悲し気な面持ちでハンズはデフと燈に言う。
「……へっ。好都合だぜ…!!」
ドン、と料理は言った器を乱暴に机にデフは置いた。
「ジギルを殺した奴らを殺せるんだ…!! 絶対殺す…ジギルをあんな目に遭わせやがったテノラも、それを手引きした東の森の奴らも…!!」
デフの目には、明確な殺意が籠っていた。
今の彼は放っておけば誰かを殺してしましそうな…そんな状態である。
怒り、憎しみ、悲しみ、そう言った負の感情がここ数日消える事無く彼を支配していた。
「ハンズ…勿論てめぇも同じ気持ちだよな?」
同意を、デフはハンズに求める。その問いに…ハンズは流れるように言葉を紡ぐ事は出来なかった。
「……それでも仲間かよ」
デフは立ち上がり足早に部屋を後にしようとする。
「デ、デフ…!」
扉にデフが手を掛けようとした瞬間、彼を呼び止める声がする。それは燈から発されたものだ。
「何だよ。燈」
「……いや、何でもない」
「はっ、何だよそれ…」
嫌味のように一言残してデフは今度こそ退席した。
燈は手を震わせ、口を閉じたまま歯で下唇を噛んだ。
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何も言えなかった。
聖地が臨戦態勢に入ったことにより芸者である燈達の仕事は無くなった。
現在は来る応戦のために聖地内を動き回る日々である。今の彼が行っている仕事は神殿付近に障壁を建てるための物資を運ぶことだった。
先程ハンズが言っていた兵役の招集は明日からのため今日まではこの仕事に従事する事になっている。
デフの怒りは、最もだ。テノラは俺が連れて来た…アイツの本性を見抜けなかったとか、そんな事は関係ない。問題なのは…間接的に、俺がジギルを殺し…聖地の人たちを更に不安に駆り立てた事だ。
今起きているこの状況も…元を辿れば俺のせいだ。
あぁ、まずい…。
ふらつく足元、胃から何かが逆流するような感覚、それはすぐに喉を通り上昇し口まで運ばれた。
「うぉ…おぇ……!!」
手に持っていた物資を落とし、燈は吐いた。
自責の念と堪え切れない罪の意識から起こした体調不良は数日続いているのである。
「おぉ…うぇ……!! …ごめん、ごめん…」
謝っても許されない。だが謝る事しか出来ない燈には謝るしか出来なかった。
つい最近心を通わせた仲間の顔を想起する。今はもうこの世にはいない、男の事を。
「はぁ……はぁ…、ぁ」
ひとしきり口から物を吐き出した燈は呼吸を整える。
頬を伝う涙は嘔吐した事による生理現象か、それとも悲しみに耐えきれず流した涙なのか、その両方か。それは彼自身にも分からなかった。
「おい何やってる!?」
そう言って駆け寄ってきたのは建物の監修に深く関わっている聖地内一番の大工である。今回の神殿付近障壁作成は彼が現場指揮を執っていた。
「す、すみま…せん。すぐに持って行きます、から」
物資を拾い上げ、弱弱しい足を酷使しながら腰を上げようとする燈。それを見かねた大工は頭を掻きながら言った。
「そんな状態の奴がいても邪魔なだけだ。どっかで休んでろ」
そう言って燈が運ぶはずだった物資を奪うように取り上げると大工はさっさと行ってしまった。
「あ…あの…」
胃の中を空っぽにするほどに全てを吐き出し、喉や口に強い酸味感じた燈は呼び止めるような大きな声を出す事が困難だった。
嘔吐後にいきなり大声を出せる精神性は、今の彼には無かったのである。
仕方なく燈は大工の言う事に従い、神殿内の植林地帯の木陰で体を少し休める事にした。
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聖地内がピリピリとした緊張感を漂わせているにも関わらず、風が
一本の木に背を預け、燈は目を閉じる。鼻腔から入り込む空気は体中を循環し、彼の心と体を一時的に安らがせた。
そんな時、燈は近くでガサガサと地面の草を踏みつけ、同じように木に寄り掛かる音を耳にする。
一体誰が…そう思った彼はゆっくりと薄目を開けた。
「……よぉ」
「エ、エリス…」
燈と向かい合うように隣の木に背を預けていたのはエリスだ。
「お前…何で、ここに?」
「てめぇこそ何でここいんだよ」
「お、俺は……体調、不良で…」
やましい事を隠すような口調で燈は目を逸らす。
「ほーん、アタシはサボりだ」
「サ、サボりってお前…!? 今どういう状況か分かって…!」
「わーってるよ。だけど、アタシにゃそれ以上に一大事な事があんだ」
「な、何だよそれ…?」
燈は問う。だがエリスはバツの悪そうに口を歪ませるだけだった。
「……」
沈黙、どちらも明快な返答をしないため会話が発展する事は無く小鳥のさえずりや木々のざわめきだけが耳に入り込む。
「…ごめん」
「あぁ?」
このまま互い口を開かないかと思われたが、そんな事は無かった。
「俺の…せいだ。テノラを仲間に入れる時、お前は反対したのに…俺は無理を言って…自分の意思を押し通した。全部、俺の…俺のせいなんだ。俺のせいでジギルが死んだ。俺のせいで…大勢の人を傷つけた。そしてこれからも…」
足の膝を右手で握りしめながら燈は悔いる。
悔いても、悔いても、悔いきれない忸怩たる思いが…溢れ出る。
「あぁーーー…」
「…エリス?」
燈が自身の情けなさを吐露し続けているとエリスは上を見上げ、そんな声を上げた。
「てめぇはホントによぉ……!」
すると突然立ち上がったエリスは燈の元に近付き、首付近に位置している服の布地ををつかみ上げた。
「な、何だよ…!?」
「何だよじゃねぇ!! うじうじうじうじしやがって…!! 見てるこっちが辛気臭くなんだよ!! 何時までそのままでいるつもりだオラァ!?」
燈を強く揺すりながらエリスは怒りの表情を向ける。
「てめぇの目的は…巫女様の神異を手に入れる事だろうが!! 何他の事で心折れかけてんだよ!! ガイセン監獄で、てめぇは覚悟が決まったんじゃねぇのか!! 目的のために、突っ走るって…そう決めたんじゃねぇのかよ!!」
「っ…うるせぇよ」
「あぁ!?」
エリスの物言いに堪らず燈は彼女の手首を掴む。
「俺はなぁ、お前みたいに強くないんだよ…!! 自分のせいで死んだ人を踏み台にして…それでも前に進み続ける覚悟なんて、端から持っちゃいないんだよ…!!」
燈は初めてエリスに向かい自身を罵倒するために声を荒げた。
「ずーっと心の中じゃあ分かってた…俺の行動が矛盾してることくらいなぁ…。俺が旅をしてるのは、全てのチートを回収するのが目的だ。なのに何だよ…聖地の人を笑顔にしたいって…!! 何処で立ち止まってんだよ…!! しかもその原因を作ったのも、結果更に悪化させたのも俺だ……!! 全く世話ねぇよ!!」
涙を流した。自分の情けなさに、自分の無力さに、自分の不甲斐なさに。
「エリス、お前の言う通りだよ! テノラを仲間に引き入れなくも聖地に入る方法はあったかもしれない、いや…考えるべきだったんだ!! 聖地に入ってからもそうだ!! もっと早くから行動して、もっと頭を使って、サーラ様からチートを回収する算段を立てて実行して…早くこの国を出るべきだったんだ!! お前の言葉を無下にして、俺が選択を誤った結果が今の現状だ!! チートを奪えばどっちにしろウルファスは大混乱なのになぁ…!! 俺は自分のしようとしてる事を棚に上げて、ここに住むエルフの人達を笑顔にしようとしてた! どっちつかずの半端もんだ…!! 本当に、どうしようもねぇ奴だよ俺はぁ!!」
燈が王都サルファスでチートを回収する際、人死には敵側を除いて出なかった。
だが今回は違う。敵が、友を殺したのだ。
それは燈にとって初めてで、経験したくも無い経験である。しかし彼は味わってしまった。仲間が死ぬ悲しさを、失う痛みを…。
それが、今の燈に迷いと決意の鈍りを生じさせた。
ひとしきり、息を継ぐ間もなく言葉を吐き続けた燈は全てを言い終わった後、「はぁ、はぁ」と息を整えた。
「それじゃあ…アタシが、バカみたいじゃねぇかよ」
「は…?」
顔を俯けながら言うエリス。その声音は酷く暗く、燈を困惑させた。
「ならよぉ…てめぇが損得を考えず誰かを助けたり、誰かを信じたり…そういう生き方がちょっと、悪くねぇって思ったアタシは…何なんだよ!!」
同じく、激昂したようにエリスは彼に問う。
「二か月以上、アタシはてめぇと一緒に旅してきた! そん中で、てめぇはとことん寄り道してきたろうが!! 自分の矛盾を腹に押し込んで、誰かのために走って手ぇ差し伸ばしてきただろ!! それを責めるのも、恥じるのも、泣くのも構わねぇよ…。だがなぁ、てめぇのソレに助けられた奴らが確かにいる、てめぇを見て少しは変わった奴がいんのも忘れんな!!」
「エ、エリス……お前」
「てめぇが何かやらかした時は、その尻拭いは…仲間のアタシが何とかしてやる!! 自分一人で何でもかんでも抱え込むな!! 「俺のせいで」なんて、言うんじゃねぇ!! 少しは仲間を頼れ!! 信じてるって言ったのはてめぇだろ!!」
「っ!?」
エリスの言葉に、燈の閉ざされていた心の扉が少しずつ…少しずつ解錠されていく。
一度目、ガイセン監獄で燈は彼女であるマキに背中を押された。
チートを持つチーターの葛藤…それを知った上で、彼は前に進むことを決めた。
そして次は自分の行動が、選択が何を招くのか彼は実感した。
自分に近しい者が死ぬ。周囲の人の笑顔が失われる事を知った。
二度目、倒れそうな彼を支えたのは最愛の彼女ではない。
この世界に来てから共に過ごし、共に戦い笑い合った仲間が彼を支えたのだ。
あぁ…そうだ。俺は、もう一人じゃない。仲間がいる、かけがえの無い仲間が。
俺一人じゃあ、どうやったって限界がある。俺の伸ばせる腕は短くて、手の平は小さい。
だけど仲間がいる…手の伸ばし合えばどこまでも届く腕が、重なり合えばどこまでも広がる手の平がそこにはある。
ジギル…俺は、お前のためにも……前に進むよ。それが、お前への贖罪になると信じて。
燈はエリスの手首を掴んでいた手の力を緩め、ゆっくりと自分の力で立ち上がり、その足で地面を踏んだ。
「エリス」
「あ?」
不良のような面で燈を見上げるエリス、その顔が燈の心を少しだけ軽くした。
「過去は…どうやっても、変えられない。だけど、未来なら…変えられるよな」
「…まぁ、な」
彼女の返答に、燈は一呼吸する。そして言った。
「聖地で起きる戦争を終結させる…そのために、俺に協力してほしい。信頼できる…仲間として」
燈はエリスの前に手を伸ばす。
伸ばされた手にエリスは一瞬動揺したが、すぐに笑いながら自らも手を伸ばし、その手を握る。
「へっ…あぁ、任せろ!!」
依然状況は酷い。だが、この瞬間…確かに何かが変わった。
静かに、再起の狼煙は上げられた。
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