星を落とす(小説版)

草野冴月

第1話 Day 0. 裁判

 それはまるで、白百合のような人だった。凛として、透明で、かすかな憂いを含んで。彼女から発せられるすべてのことが、この世界に彩りを与えた。花は綻び、雨音は歌に変わり、陽光は闇を照らす。彼女の頬に落ちる木陰ですら、愛おしい。「この世界は、美しい。」と教えてくれた人だった。


 Day 0. 裁判


 重厚な、金属製の扉が開く。中から流れ出る冷たい陰鬱な気を含んだ風を感じて、おおいぬ座の一等星シリウスは目を閉じた。普段は固く閉ざされ、近寄るものもいないこの扉が開くのは、星が大罪を犯した時のみである。

あと二十分程で、裁判が始まる。星が天界のルールを破り、その職務を放棄した際に開かれる裁判。場の空気が陰鬱であると感じたのは、自分の心が憂鬱だからなのかもしれない。深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。裁判所の中央へ向かう足は重い。シリウスは、この審判を任されていた。


 裁判官を君に、と聞いた時シリウスは自分の耳を疑った。なぜ先生は自分を指名したのか、その理由は教えてもらえなかった。敬愛する師の罪状を淡々とまとめながら、これが夢ならばどれほど良かったかと延々と考え続けた。なんとか罪を軽く出来ないかと彼の足跡を辿り、しらみつぶしに文献を漁った。しかし、それでわかったのは「星」という存在である以上、もうどうにも出来ないと言うことだけだった。


 「星」は現世に未練のある魂が、天に従属したものを指す。人は死ぬと星になる、という言葉は間違いではないのだ。天界で夜空に輝く星の名前を与えられ、地上で亡くなった人の魂を迎えに行く任を負いながら二度目の生を過ごす。未練が浄化され、地上での生活を再度望んだものには転生する権利が与えられる。これを「満期」といい、星たちは新しい人生を夢見て天界での生活を送る。

 シリウスは、転生を取りやめ天界に永続的に従事することを選んだ星である。そして、裁判の対象である彼の師匠もまた、天に忠誠を誓った誇り高き「星」だった。だからこそ、彼には信じられなかった。優しき指導者であるあの方が、大罪を犯してしまったということが。



 ステンドグラスから零れた光が、シリウスの左肩にかかった真っ白なマントを色鮮やかに染める。裁判所の天井にも磨き上げられた床から反射した美しい光が模様を作っていた。その光景がまるで天国のように見えて、自然と涙が溢れた。

白い縁の眼鏡を取り、慌てて目を拭う。重い足を引きずり、教会のような通路を通って証言台の横に立つと、向かい側にリゲルが座っているのが見えた。リゲルはシリウスと同じく北の空に所属する一等星で、つい先日満期を迎え、転生が決まった少女である。ごめんな、と声に出さずに口を動かすと、少し悲しそうな顔をした後、微笑んで首を横に振った。気にしないでください、と言う意味だと受け取って、彼女の優しさに甘えることにする。

一人では、きっとこの事実を受け止めきれなかっただろうから。


 彩り豊かな煌めきの下、シリウスが入ってきた扉とは別の小さな引き戸が開く。中から初老の男性が姿を顕した。ゆったりと背中に流れるマントは、その人物が長く天に仕え、統治者である北極星から信頼を寄せられている証である。床に届くほどのマントを湛え、白髪の混じった色素の薄い髪を後ろに撫で付け、白い手袋をした指を組んで、咎人はゆっくりと足を進める。

天窓から差した光が、舞台の中央で役者に当たるスポットライトのように、証言台に立った一人の星を照らし出した。白いコートと、やや灰色がかった髪が日を含み、ふんわりと金箔を撒いたように輝く。いっそ神々しいほどの姿に気圧され、シリウスは息を呑んだ。今から、この人を裁かなければならない。


 師と仰ぎ、憧れ、その背を追ったオリオン座の一等星、ベテルギウスを。

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