第5話 vs.黒イノシシ
「何だこいつ!?」
佑吾は特段動物に精通している訳ではないが、それでも、人間の大人よりもずっと大きいイノシシが普通じゃないことは分かる。
佑吾が驚きと恐怖で固まっていると、その黒イノシシはぶふーと鼻息を吐き出す。そして数度足元の土を蹴った後、佑吾たちに向かって突進してきた。
「危なっ!?」
佑吾は、横に頭から思いっ切り跳びこんで、何とか黒イノシシの突進を避ける。慌てて避けたせいで、草むらに顔から突っ込んでしまった。コハルとサチは、佑吾と違って転ぶことはなかったが、それでも佑吾と同じでギリギリのところで横に避けていた。
佑吾はすぐさま体を起こして、黒イノシシが突進した方を見やる。
黒イノシシは大きな木にぶつかったようで、下顎から生えた大きな牙が木に突き刺さっていた。黒イノシシは、刺さった牙を何とか木から抜こうとしているようだった。
「今のうちに逃げよう!」
佑吾の声に反応して、コハルとサチが慌てて佑吾の方へと駆け出した。
「きゃっ!」
「サチ!?」
数歩走ったところで、後ろからサチの小さな悲鳴が聞こえた。後ろを振り返ると、どうやら足がもつれて転んだようだった。
その間に黒イノシシは木から牙を抜き、ゆらりと佑吾たちの方を再び向いた。そして、転んでいるサチへと狙いを定めるようにその赤い目を向けた。
(サチが危ない!)
佑吾は咄嗟に、近くに落ちていた太めの木の枝を掴み、黒イノシシの顔を目掛けて思い切り投げつけた。
投げた木の枝は黒イノシシの左目にぶつかり、黒イノシシが「ブギッ!?」小さく呻く。そして、自分に攻撃してきた佑吾の方をギロリと睨んだ。
「っ……こっちだバケモノ!」
黒イノシシに睨まれて一瞬怯んだが、佑吾は震える声で黒イノシシの注意を引きながら、サチとコハルを置いて、二人がいる場所とは反対方向に走り出した。
佑吾の狙い通り、黒イノシシは狙いを佑吾に変えて猛然と駆け出してきた。
(どこかに隠れてやり過ごすしかない!)
佑吾は黒イノシシの視界を撹乱するために、木々の間をジグザグに避けながら走って、頃合いを見て隠れるつもりだった。
しかし、佑吾の目論見には一つだけ誤算があった。
木の枝をぶつけられた黒イノシシは、佑吾が考えている以上に怒っていたのだ。今の黒イノシシの速度は、怒りのせいで最初の突進よりも遥かに上がっており、瞬く間に佑吾との距離を縮めていた。
「佑吾、危ない!」
「えっ?」
佑吾のことを心配で追いかけていたコハルが、黒イノシシが佑吾に急接近していることに気づき、大声で叫ぶ。
コハルの声に反応して佑吾が後ろを振り返ると、黒イノシシが目前まで迫ってきていた。そして避ける時間すら与えられず、黒イノシシの牙が地面を抉るように下から突き上げられ、佑吾の左足のふくらはぎへと突き刺さった。
更に黒イノシシは佑吾を持ち上げるように牙を突き上げて、佑吾を空中へと弾き飛ばした。
「ぐぁっ!?」
佑吾は近くの木の根元に投げ出され、全身を強かに打ち付けた。
黒イノシシは今度は木に突撃することなく、足でブレーキをかけて停止した。そしてゆるりと、瀕死の獲物である佑吾の方を向いた。
(やばい、動けない……このままじゃ……)
少し体を動かそうとしただけで、全身に痛みが走った。
「死」という単語が佑吾の頭をよぎる。
トンネルでの事故の時は、事故の怪我と火事の煙のせいで意識が朦朧としていたから、死の恐怖を感じる暇は無かった。
今は、全身に走る鈍い痛みと左足からの出血のせいで、目の前の猛獣の存在がただただ怖い。恐怖で体は震え、呼吸はどんどん浅くなっていった。
そして黒イノシシが、再度佑吾に向かって突進してきた。
佑吾を追いかけていたコハルとサチが、佑吾を助けようと必死にこちらに走っているが、その前に黒イノシシが佑吾の命を奪う方が早い。
佑吾は恐怖からぎゅっと目をつぶった。
その直後、佑吾の耳にヒュンと小さな風切り音が聞こえた。
風を切り裂くような音がどんどん佑吾に近づいてきて、そして佑吾の背後から、何かが目にも留まらぬ速さで、佑吾の左耳の側を通って黒イノシシの顔面を打ち据えた。
それは矢だった。
木製の矢が、深々と黒イノシシの眉間に刺さっていた。
黒イノシシは「ブギャアアアアアアア!?」と雄叫びを挙げながら、矢を受けた衝撃で佑吾から見て右に進路が逸れ、突進の勢いそのまま倒れ込んだ。
「助かっ……た?」
状況を掴めず、佑吾は呆然としていた。
そこへコハルとサチが、駆けつけてきてくれた。
「「佑吾、大丈夫!?」」
二人が心配そうに佑吾へと駆け寄った。
そこに、ザッザッと草を踏みしめる足音が近づいて来る。
その音に、サチがいち早く反応した。
「誰っ!?」
「安心しろ、お前さんたちに害を加える気は無い」
サチの誰何の声に答えたのは、男の声だった。声がした方に視線をやると、木の陰から長身の男が静かに姿を現した。
動きやすそうな服を着て、背には山菜カゴ、腰には矢筒、手には大きな弓を持っていた。
童話などに出てくる狩人、というのが佑吾のその人に対する第一印象だった。
「怪我をしているようだな」
狩人はそう言って佑吾へと近づき、佑吾が怪我をしている左足の近くでかがんで、傷口を確認した。
傷口に触られ、佑吾は痛みで顔をしかめた。
「
狩人が佑吾の左足の傷に触れないように右手をかざすと、その手に若緑色の光が集まり始めた。若緑色の光が十分に集まると、光に照らされた傷が、ほのかな温かみを帯びるのを佑吾は感じた。
そして見る見るうちに傷が塞がっていき、やがて完全に塞がってしまった。
「傷が……!?」
佑吾が傷のあった箇所を、恐る恐る触る。固まった血の跡はあるものの、どこを触っても痛みはなく、傷跡らしきものは、どこにも見えなかった。
「何いまの……」
「すごーい! 怪我が治っちゃった!」
サチは信じられないものを見たかのように狩人を警戒し、コハルは佑吾の傷が治ったことを素直に喜んだ。
「……い、今の光は何ですか?」
「何って魔法だが……お前さんたちは、魔法を見るのは初めてか?」
狩人の言葉に、佑吾たち三人は瞠目する。
魔法、狩人は確かにそう口にした。
三人の様子に訝しみながら、狩人は言葉を続ける。
「確かに、こんな田舎に魔法を使える人間がいるのは珍しいかもしれんが、魔法そのものはそこまで珍しいものでもないだろう。魔法を利用した生活用具ぐらい、使ったことがあるだろう?」
佑吾たちの何とも言えない表情に、狩人が困ったような表情を浮かべる。それは、相手に話が通じていない時に浮かべる表情だ。
「……あの、すいません。ここがどこだか分かりますか?」
佑吾が、恐る恐る問いかける。
自分の馬鹿げた予想が当たっているかどうか、確認するために。
できれば、外れていてほしいと願いながら。
「……ここはヴァルトラ帝国の領地であるアフタル村、その東にある大森林の中だ」
狩人の言葉に、佑吾は愕然とする。
自分のペットが人間になっている事、見たことも聞いたこともない黒イノシシ、知らない国の名前、そして魔法。
これらの事実を突きつけられて、佑吾は自分の予想──ここは自分が元いた世界とは異なる世界であるということが、限りなく事実であるという事を痛感した。
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