第2話 女勇者エンジュ

「改めまして自己紹介を。私は勇者エルドリック・スチュワード・エンジュ。この異世界に、修行へ参った者です。気軽にエンジュとお呼びください」


 そう言って、エンジュを名乗る見た目コスプレ女は正座からのお辞儀をした。見ていて惚れぼれとするくらい精錬され尽くした礼儀作法その所作である。


 だがいかんせん、「はいそうですか」と納得してやれるほど俺は世間体に疎くはない。


「勇者とか異世界とか、なんの話か分からんのだが」


「本当の話です」


 そう言われてもなぁ……。


「じゃあまず、ここにくるに至った経緯を教えてくれ」


「分かりました」


 それから、エンジュは俺へと向かい直ると静かに語り始めた。


「私は、悪しき魔王を倒すべく勇者となった身。日々、魔物を倒す日々の繰り返しでした」


 飽くまでも勇者設定を貫き通すつもりらしい。とりあえず聞き流すことにした。


「ですが私はある日、そんな戦いの日々に疑問を抱き始めてしまったのです。そして……」


 と、エンジュは途端に顔行きを曇らせて。


「うつ病になりました」


 う、うつ病?


「知りませんか? 精神がどんよりしてなにもやる気の起きなくなる、恐ろしい病なんです」


「いや知ってるよ。知ってるが……」


 激しく言ってやりたい。なに突然人の部屋に侵入してきて訳の分からないこと言ってやがるんですかこの野郎と。


 勇者で、魔王を倒すために戦っていて、でも戦い疲れてうつ病になりました?


 だからどうした。俺が知りたいのはそこじゃない。そういった、他人様のウチに不法侵入するために作られたような虚言ではない。


 鍵をどうやって開けた? どうして俺の家にやってきた? てか、何処のどなたなんですかお嬢さん! と、そんな抗議文句はのど元まで出かかっていた。


 その時だった。


 ぐぅ~……部屋の中に木霊するは、自称勇者を名乗るエンジュ容疑者の鳴らす腹の虫である。数秒ほど見つめあった後、エンジュはお腹をさすりながら悲しそうに言った。


「お腹が空きました……実は、ここ丸1日なにも口にしていなくて」


 一文無しの家出少女ってやつか?


「はぁ~、仕方ねぇ」


 とりあえず、カップラーメンでも作ってやることにした。俺もそこまで鬼じゃない。どんな犯罪を犯そうと、彼女は人間。そりゃあお腹だって空くだろうよ。


 なにより、彼女は女の子だ。女の子には優しくしろって、これ男の本分……そうだろ?


「ひとまず、カップラーメンでも作ってやるから。それで我慢しろ」


「カップ、ラーメン?」


「なんだ、不服なのか」


「いえ、そうではなくて……その、カップラーメンなるものがどういったものか分かりませんで」


「まさか、異世界にはなかったからとか言い出すんじゃないだろうな?」


「そう、その通りです」


 呆れた。この後に及んでまだそんなことを言うのか。でもまあ、なに言っても無駄なんだろ。


 こいつの中では、自分はエンジュという勇者なんだろうからさ。


「とにかく、待ってろ」


 俺は台所に移動してお湯を沸かす。貴重なカップラーメンにお湯を注ぐ。勇者はと言うと、その様子を物珍しそうに眺めていた。


「良い匂いがします」


「そりゃな。カップラーメンだからな」


「美味しいですか?」


「食えば分かる」


 勇者は首を傾げている。どうもカップラーメンをマジで食べたことない様子。今時そんなやついるのかって、ちょっと冷静に考えてみたりもした。考えても無駄だったが。


「ほらよ」


「おおっー!」


 勇者は完成したカップラーメンにえらく感動していた。なんとも微笑ましい。


「いただきます」


 言うが早かった。勇者はカップを掴むと、そのまま一気に喉へ掻き込もうとしていた。


そんなバカなと思っていた俺だが、勇者は案の定「あちぃっ!」と可愛らしい悲鳴をあげてむせていた。


「なにやってんだ! 食べ方も分からないのかよ」


「食べ方?」


「ったく……こうすんだよ」


 麺を箸ですくって、ふーふーしてやる。そのまま勇者の口元へ運ぶと、彼女はパクッとかぶりついた。まるで幼児に食わせているみたいだった。


「どうだ?」


「うまいです」


「とりあえず、机でゆっくり食え」


「はい」


 それから、勇者は不慣れな箸使いでラーメンを黙々と食べていた。俺はその様子を眺めながら、ふとした拍子に話を切り出した。


「それで、うつ病だっけ」


「ふぁい(はい)」


「うつ病になったあとはどうしたんだ?」


「みんなに黙って、逃げました」


「みんな?」


「志しを共に戦っていた仲間たちです」


 エンジュは途端にバツの悪そうな顔を作り、俯き落ち込んでいた。


「逃げたはいいものの、私は途方にくれていました……このまま故郷に帰るにもいかず、かと言って身寄りがあるわけでもなく……私は、ひたすら世界を彷徨っていたのです」


 今にも泣き出しそうなエンジュを見れば、その絵面は容易に想像がついた。


「ですが! そんな時です!」


 突然、エンジュの顔色が変わった。どことなく、声が嬉々弾んでらっしゃる。あと顔がちけぇ。


「私は、ひとりの少年と運命的な出会いを果たしたのです! その少年は、とんでもない少年でした! 私と同じくらいの年頃にも関わらず、剣技も魔法も、私なんかとは比べものにならないくらい卓越していました!」


「わ、分かったから落ち着け!」


「んふぅー! す、すごいんですよ彼は!? まさしく、彼こそ勇者になるべくして生まれた存在! しかもですよ!? 彼はつい最近、勇者になったばかりというではありませんか! だから、聞いたのです! どうしてそんなに強いのかと! またどんな血の滲む修行を積んできたのかと! すると彼は、こう言ったのです! 『俺はニホンっていう、別の世界からやってきた』と」


 そう言って、エンジュは雑嚢カバンを弄るや手に持ったそれを俺に向けてきた。


 それは、


「す、スマホ?」


「そうです! 彼がもう一つあるからいらないと私にくれました! またこの魔法具を使えば、彼のいた世界にやっていけると。で、乾さんにこの地に召喚されたと~」


「ちょちょ、待てっ! 俺が、お前を召喚した? なんの話だよ!?」


「あれ、知りませんか? 確か、『購入』という召喚儀にて1円というこの世界の通貨を対価に召喚されると聞きましたが」


 んなバカな。1円で女の子を召喚するとか意味不明だろって……あっ。


 まさか。


「……フリマか?」


 つい昨晩の話だ。俺はフリマアプリで『女勇者』という謎の商品を購入した。冗談半分でだ。


 そんな俺の悪い予感とは正しかったのか、彼女は頷きニッコリと笑った。


「それです! フリマという異次元のゲートからこちらの世界へ行けると、私はそう聞きました」


 驚天動地だ。まさか、新しいおつぼね詐欺じゃないだろうな。外で怖い人が待機中とか。


「まさかお前、俺を騙して金を毟り取ろうとか考えてないだろうな」


「考えてません。むしろ、私は下宿の身。お金を払う側です」と、勇者はおもむろに腰の雑嚢カバンから巾着袋を取り出すと、中から燻んだ銅貨? 12枚を俺に渡してきた。


「これが本日分の宿代、12ゴールドです」


「ど、どこの国の金だ、これ……」


「私の世界のお金です」


「私の、世界?」


 勇者は頷いた。


「だから、私のいた世界のお金です」


 いよいよきな臭い話になってきた。

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