Erytheia・fate~過去編~

羽九入 燈

第0話

『私は誰なのだろう。』


 そう思ったときがあった。

 ここはどこで、私は誰なのか。

 突然、いや、前からなのだろう──不思議に思った。


 十歳の私には、親がいなかった。

 私だけ他の人から隔離され、唯一会える人間は変なのを顔に着けた大人たちだけだった。その大人たちは、私を人ではなく、物のように扱った。

 彼らは私を実験道具として扱っていたのだ。

 見たことのない奇妙な機械に繋がれ、変なものを体の中に入れられた。

 時々、視界が霞み、頭が朦朧とした。しまいには、倒れて一ヶ月近くも眠ってしまったりもした。

 自分の意思に関係なく実験は続けられ、私には生きている価値はない、とまで思ってしまった。




 ある時、いつもの建物から外というところに連れていかれた。

 私を連れ出したのは、一人の男の人だった。

 私の手を優しく握って、一緒に来てごらん、と私に声をかけてきた。

 私は、その人のことを変り者だと思った。この人だけは、私を人間のように接してくれた。それが嬉しくてしょうがなかった。

 タンタン、と二人で走った。運よく誰もいなかった。

 外に出た途端、私は、目を見開いた。

 暗くて、目の延長線上にはただの闇しかなかったけれど、上を向いた瞬間、声が喉から漏れた。

 夜空に浮かぶ、小さな光たち。

 それを目にしたとき、私は、キレイだと思った。

 そのときは、キレイなんて言葉は知らなかったけれど、それでもそういう感情が湧き出た。




 次の日、あの男の人が殺されることを知った。


 なんで。


 そう思ったけれど、すぐ思い直した。

 きっとあのとき、私を無断で外に連れ出したからだ、と。


 それからというもの、私への態度が余計に悪くなった。

 前は、きちんと三食ご飯が出てきていたけれど、二食になり、量も減った。その他にも扱いが酷いと思うことがあったけれど、あの実験ほどではなかった。実験が倍の時間することになり、体への負担が大きいことばかりをした。

 だんだん痩せ細り、しまいには、まともに動けなくなってしまった。



 動けなくなってから、二ヶ月弱が過ぎたころだっただろうか。

 目を覚ますと、そこは外だった。一面真っ白で、初めはどこだろうと思ったけれど、建物内ではないことはすぐにわかった。その証拠に、木というものがあり、そしてなにより、一人の男の人がいた。見知らぬ人だった。

 歳は、私と同じくらいで、優しそうな顔をしていた。

 特に目に入ったのは、鮮やかな赤色の双眼だった。

 私も赤色の眼をしていたからなのだろう──運命を感じた。


 この男の子の名前は、フェイトと言った。

 彼は、私に名前を聞いてきたけれど、あいにくと私には、名前がなかった。そう彼に言うと、僕がつけてあげる、そう言って考え始めた。

 そんなに時間はかからなかった。

 彼は私の頭に手を置き、その名前を言った。


 ──エリュティア。


 このとき、私に名前がついた。

 いつもは、お前とかガキとか呼ばれていたけれど、初めて名前と言えるべき名で呼ばれた。

 名前の由来を後で聞いてみたら、ギリシア神話の紅い乙女という意味らしい。私の眼が赤色をしていたからそうつけた、と言っていた。

 そういえば、と私は彼に聞いた。どうやって、しかもどうして連れ出したのか、と。

 彼は言った。お父さんが言ったからだと。そのお父さんとは、私を外に連れ出したあの男の人のことだったのだ。

 お父さんから私を助けてやってくれと言われたらしい。なぜなのかは、フェイトにもわからないとのことだった。

 それと、とフェイトは言った。

 私を助けに来たとき、女の子だったのを見て、助けないとと思ったと言った。

 男の子だったら、力があるから大丈夫だけど、女の子はか弱いから、助けないとと思ったらしい。

 それと、キミがキレイだったから。最後にそう言った。

 そのとき初めて、キレイという言葉を知った。

 意味を知って、嬉しくなった。私のことを人間として見てくれたから。

 目から涙が零れ、いや、流れ落ちた。

 フェイトは、おろおろとしていたけれど、私を抱いて、大丈夫たから、と言った。


 フェイトは、洞窟の中にあるひとつの建物に一人で住んでいるのだと言った。

 そこで私は、彼と暮らすことになった。

 毎日が楽しくて、愉しくてしょうがなかった。


 季節は巡り、春になった。

 洞窟を出ると、辺りには、ピンク色の花をつけた木がたくさんあった。彼曰く、この花を桜というらしかった。


 しかし、そんな日々は、終わりへと歩き出していた。


 桜が散り、夏へと変わろうとしている頃だった。

 私の居場所がやつらにばれたのだ。

 フェイトは私の手を握って走った。どこまでもどこまでも。そしてそのあとは必ず、どちらかは殺され、どちらかは捕縛される。実際、フェイトは私の前で殺され、私は捕縛された。目隠しと猿轡をされ、両手両足には足枷をつけられた。わかっていたことだ。フェイトに出会ったときから、こうなるのだと確信があった。嫌な確信だ。フェイトは殺されず、私は捕縛されない。そう確信したかった。けれど、けれど……






 月日は流れ、私は二十歳になった。私には誕生日がないわけではない。ただ、私を人間と見ず、兵器と見ていた彼らからすれば、誕生日など邪魔なものでしかなかった。だから、私は本当の誕生日を知らない。一年、また一年と数え、二十歳くらいになっているだろうと予想した。


 このあれから十年の時が流れ、実験は月に一回になっていた。それは逆に不安を生み出した。当たり前だ。子供の頃はしょっちゅう実験されたのに、急に少なくなったのだから。これはなにかの前触れなのではないだろうか。一日中考えた。

 まあ、部屋は相変わらずの薄汚い牢屋みたいなところだ。簡易ベッドに小さいテーブルがひとつ。高い位置に小窓があるだけで、外は見れない。光は入ってくるけど、磨硝子で空なんて見えやしない。だが、これももう慣れた。慣れてはいけないけれど、ここでくたばらないためには、慣れてたほうがいい。


 カツン カツン


 靴音が聴こえてきた。誰だろう?そう思って、鉄格子から通路を覗いた。だんだんとその姿が見えてきた。男だ。しかも両手になにかを持っている。

「ほれ、飯だ」

 そうぶっきらぼうに言い捨て、牢屋内にトレイとその上に乗っているご飯を置いた。男は来た道を帰っていった。

「まだ、昼食には早い時間だと思うのだが………まあいいか」

 そう呟いて、トレイを持ち、テーブルに置いた。

 ご飯に味噌汁、野菜の炒め物。案外立派な料理なのは驚きだ。前からメニューは変わらない。毎回、何度驚いたことか。

「実験体なんだ。栄養不足とかで死んだりしたら、意味ないもんな」

 そういうことなのだろう。もし私が囚人だとしたら、このご飯は食べられなかっただろう。

 ご飯時は、私の一番好きな時間だ。あ、嘘ついた。寝るのが一番好きだ。毎日毎時間毎分毎秒眠い。眠り姫みたいな。

「はぁ」

 ため息を吐く。昼食はもう少しあとにしてからにしよう。眠いや。

「はぁ」

 またため息を吐く。

 もし、と考える。もし、私が普通に暮らせていれば、どんな暮らしをしていたのだろうかと。父親と母親と一緒に笑っていたのかもしれないなと想像を膨らませる。私にはそれしかできない。ここから逃げ出せれば、なにかが変わるのではないか。考えたことがないとは言えない。たくさん考えた。逃げ出したいけど、逃げられない。あのときは逃げられたけれど、今は私ひとりしかいない。到底逃げられるわけがない。


 カツン カツン


 靴音がまた聴こえてきた。今度はなんだろう。私は鉄格子から通路を覗いた。来たのは、昼食を持ってきた男だった。

「忘れていた。明日、外へ出る。違う施設に移動するのだ」

 そうぶっきらぼうに言い捨て、来た道を帰っていった。

 私はさっきの言葉を聞いて、震えた。これはもしかしたら、チャンスなのではないかと。





 結論から言うと、逃げ出せた。さもあっさりと。これが罠であるかのように。頑丈なデカイ護送車(と言っていいのか)に入れられたのだが、私の側に誰もつかず、他の車に乗っていった。勿論、私が乗っている車にも運転手と助手席にひとりいた。にも関わらず、鍵を掛け忘れた荷台の扉から逃げ出せた。意図して行ったかのようだったが、逃げ切れば問題ないだろうと一目散に走った。車が動いていたら、逃げ出せなかっただろう。嫌な予感しかしない。

 走って走って走りまくった。なにもないところをひたすら走った。そして──誰かがいた。なにかを言っている。


「────ア────ティア───」


 なにかを言っている。だが、遠すぎて聞こえない。


「────ア────ティア───」


 あれ、この声、どこかで聞いたことがある?私はそう思った。いつだ?どこだ? 逃げていることも忘れ考える。


「エル────ル─ア」


 ああ。わかった。わかった。わかってしまった。懐かしい。ああ。涙が止まらない。なんで、なんで、なんで。君は、君は……!


「エルティア!」

 私は、目の前に立っている男に飛び付いた。確信がいった。なぜならば、私の名前を知っているのは彼しかいないのだから。

「へぶぐっ!」

 私のドロップ頭突きが彼のお腹に突き刺さったのだ。私はそのまま彼に抱きつき、言った。

「フェイト!」

「なんだい?エルティア」

 私は顔を上げて言った。

「君は、幽霊か」

「・・・・・・」

「・・・・・・えっと、なんか言ってくれ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぶっふ」

「おい、ちょったとまて。今吹き出しそうになったよな?」

「これこれ、女の子がそんな口調で喋ってはいけないよ」

 うるさいやい! と私は言った。長年苦しめられてきたせいか、いつの間にか男口調になっていた。今からじゃもう直せないだろう。直せと言われても直さないけどね!

「俺は幽霊じゃないさ。生きてる───人間だよ」

「なぜ間が空いたのかはわからないが・・・・・とりあえず──」

 私はそう言って間を開けて、言った。


「──生きていて、ありがとう」


 私は、にこりと笑った。


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