第八節 ◆毀れた刃/狂闘 ザウラク

「――その核をこちらへ渡して頂きたい。破軍・アルテミス殿」


 荒涼たる地に横たわった、小さな子供の姿をした石の骸。そのあまりにも脆い細首にザウラクは槍を突き立てると、アルテミスにそう告げた。

 そこには、不安と焦燥に駆られた怯える男は既に居らず。また、未知なる脅威に抗う戦士の闘志も存在しない。


 アルテミスの前にいたのは、怨念に囚われた、ただ一人の修羅であった。


 星光を散らし、金に輝く槍――ステラ・イアペトスを握りしめる手に力が入る。金剛石よりも高い硬度を持つステラでさえも、さすがにザウラクの剛力の前には軋みを上げた。

「……なぜ?」

 そんなザウラクの異様な様子に臆することなく、アルテミスはゆっくりと立ち上がる。友好的だった態度から一変、突如として凶悪な敵意に染まったザウラクに微笑んでみせると、穏やかな声で要求の意味を訊ねた。

 それを聞くや否や、眼前の巨漢の喉奥から、低く唸る獣の咆哮かと紛う凶悪な笑いが絞り出される。アルテミスの問いにザウラクは不快な狂笑を吐き出し、失望と怒りに赤銅色の瞳を燃え上がらせた。

「なぜ?……なぜ、だと?……なぜとはまた――異なことを言う。まさか貴殿が知らぬはずがあるまい」

 彼の負の感情に同調し、どこからともなく甘い香りが辺り一帯に噎せ返る。……エピメテウスとの一戦にも漂っていたその芳香だと気づくと、アルテミスは目の前の男から目を離すことなく周囲への警戒を研ぎ澄ませた。

 しかし、この場でアルテミスに敵意を向けるのはザウラクのみしか感じられない。またステラ・パンドラも同様に、淡い蒼光を放ちながら再び沈黙を貫いていた。

 一方で、ザウラクは鉱石化したエピメテウスの首からステラ・イアペトスを引き抜くと、その切っ先をアルテミスから右に滑らせ、腰元――ステラ・パンドラへ指し示した。

「この石くれは、まだ死んではいない。……そうであろう?」

 ザウラクのエピメテウスへの侮辱とも呼べる挑発を受けたアルテミスは、一瞬だけ苛立ちに拳を握りしめた。

 だが、ここで簡単に相手の誘いに乗るほど黒髪の戦士は短慮ではない。胸に燃える熾火を漏らさず、表情を出来る限り崩すことなく、飄とした調子で話を続けた。

「……死んだとも。貴公こそ、今ここで私が”彼”を討ったのをその眼で――」

「肉体だけだ!!」

 アルテミスが言い終わらぬうちに、ザウラクは荒げた怒気によってその言葉を遮った。

「奴ら天士の命を完全に奪うには、”核の破壊”まで行わなければならぬはずだ!!

 ――それとも、我輩に核を渡せぬ理由があるとでも?」

「――来るな、スピカ!!」

 アルテミスの制止に、気配を消して主人の助太刀に走った少女――スピカは命令通りにその俊足を止める。

 アルテミスが声を発するのと同時に、突如として視界が砂埃に支配された。彼女の耳に聞こえたのは、夜気を劈く鋭い剣戟がぶつかり合う金属音。

 そして、砂の壁が開けた先に見えたのは、ザウラクの持つ槍によって頭部を貫かれたアルテミスの姿であった。


 だが――。


 ステラ・イアペトスの柄に黒髪の戦士の血が伝い、その赤はザウラクの指に触れる手前で静かに滴り落ちる。

 しかし、落下した深紅の雫……その一滴が地に届く直前で蒸発しているのをザウラクは視認すると、そのただならぬ気配を察知した。

「――ッッ⁉」

 悪寒に襲われたザウラクは瞬時に槍を引き抜こうとするものの、槍は意思にそぐわず微動だにしない。

 それもそのはず。

 ついに見上げたザウラクは、思わず絶句する。彼の眼前にいたのは、槍の穂先に喰らいついて決して離さぬ、獣性を帯びた黒き凶つの戦士だった。

「アルテミス様……ッ!」

 両頬を槍で横一線に貫かれてはいたものの、主人の無事を確認したスピカは安心すると今にも泣き出しそうな声でその名を叫ぶ。

 それを聞いたアルテミスは、心配する彼女への返事代わりに、振り返らぬまま左手で軽く空を斬る。


”下がれ――。”


 スピカは、主人の意思を汲み取り、涙を拭いて頷く。少女戦士が両者の間合いから離れたのを確認したアルテミスは、ザウラクの奇襲――その一連の完成度の高さを脳裏に再生し、こめかみに冷や汗を流した。


 あれは、ほんの一瞬の出来事だった。

 粉塵舞う夜気の中で起きた、先ほどのザウラクとアルテミスの攻防は以下の通り。

 ザウラクは腰を落とすと、左足で勢いよくエピメテウスの頭を蹴り砕く。そして、噴射したその砂塵を欠片とともにアルテミスの瞳に向かって狙い、目を眩ました隙に四振りの短剣を投擲。すかさず、ザウラクはつかの間の時間も与えずに一気に間合いを詰め寄ると、手にした本命――ステラ・イアペトスでアルテミスの首に狙いを定めた。

 しかし、アルテミスは長年の経験から来る直感で投擲された四本のうち短剣を二本、銀に輝く剣型のステラ・スカジで弾き落とす。続いて、穿たれる直前で鋭い突きを難なく交わすと、その口を以って槍を受け止めてみせたのだった。

 瞬きする暇なく繰り出されたザウラク公の三段連撃は、戦闘に及ぶ幾重もの研鑽を積んだアルテミスでさえも今回ばかりはさすがに肝を冷やした。

 一方で、驚愕の念はザウラクもまた同じだった。

 武装の優位性においてステラ・パンドラを搭載した破軍には劣るものの、ザウラクの渾身の不意打ちを咄嗟に回避した挙句、次の攻め手まで封じるアルテミスのその技量の高さに戦慄する。

 アルテミスの戦闘能力、及び機転の速さは未だザウラクにとって未知数だ。それを推し量るにも、不利な状況を一瞬でも見出されてしまえば勝ち目は全くない。

 ザウラクは潔く槍を諦めて手放すと、後方へ距離をとる。解放されたステラ・イアペトスは、アルテミスの頬に突き刺さったままだ。

 だが、やがて金の粒子となって霧消すると、滑るように腰元のステラ・パンドラへ吸い込まれて消えていった。

 それを確認したアルテミスは両手で後頭部と顎を持つと、骨と筋がぶつかり合う際に出す鈍い音を鳴らしながら、ずれた下顎を嵌め直す。……舞った赤い血が、蒸発して音も無く消失する。

 そしてアルテミスは何事もなかったかのように、涼しげな顔で自由になった口元を右腕の袖で拭った。

 星明かりに浮かび上がる、性別を超越した凛々しさ――眩い夜空の星が霞む、息を呑むほどの怜悧な刃の美貌。

 命を奪う目的として鍛え上げられた武器らに、人間はおのずと美を見い出す。それは血を吸った刃の冷たさへの畏怖か。はたまた、ひとたび振るえば簡単に生命を殺めることができるが故の恐怖か、使い手の英雄譚への憧憬か……アルテミスの美しさを例えるのなら、そういったものがより的確だ。


 ――鮮血に濡れてこそ、アルテミスはその輝きを増していたのだった。


 その姿に畏れを抱いたザウラクは、胴震いとともに諦観を込めた哄笑を零す。

「はは、ははは……渡せぬか。渡せぬよなあ……。それは、そうだろうな。なぜなら、破軍アルテミス――貴殿は、人間ではないからだ」

 そう断じたザウラクに、アルテミスは昂った闘気を隠すことなく曝け出すと、紅き口元に笑みを浮かべた。

「――興味深いな。なぜ貴公がそうお考えになったのか、お聞かせ願おうか」

「そうさな。……まず、我輩が何よりも疑ったのは貴殿の外見だ」

 ザウラクは腰に帯びていた剣を鞘から引き抜くと、アルテミスに重ねるように自身の前へ翳す。

 ――ステラではないものの、統一戦争を共にした華美な装飾の少ない剣。黒く染めた樫の木の拵に、紫の絹糸で刺された七星剣章が特徴の、浅葱色の守り布。丁寧に鍛え上げられた上級の剣――。

 それは、およそ名剣と呼ばれるに相応しき業物だった。

「ずっと――ずっと、違和感を抱いていた。大王の腹にて再会した時……いや。おそらくは、きっと統一戦争の時代からか」

 ――冷えた夜闇に照らし出されたその刀身は、すっかり年と共に皺と苦労を刻んだ、憫笑を湛えたままの老いたザウラク自身の顔を映す。

「同じ時間、同じ戦場を駆け抜けたというのにもかかわらず、貴殿はあの頃から一つも変わらぬ姿でここにいる。

 我輩は、こうも――。先の一撃に隙を許してしまう程まで、老いさらばえたというのに……ッ!!」

「この、ザウラク…ッ!我が主に刃を向けるとは、よくも――」

 気を失ったカノープスを担ぎ、安全圏へと運ぼうとしていたスピカはザウラクの凶行を許すことができずに噛みついた。スピカは忌々しそうにザウラクを睨みつけると、動きやすさを重視したと思しき、臀部の際までの非常に丈の短い脚絆――そのすぐ下、右ももの僅かな露出部に固定されていた革帯から、彼女は青銅に光る苦無を抜いて構える。

 だが、それはすぐさまアルテミスによって叱咤された。

「来るなと言ったのが聞こえなかったのか、スピカ!!」

「……ぅあ、でも、でも…!」

 その時、スピカの肩より、担いでいたカノープスの呻く声が漏れる。先の戦闘でエピメテウスから傷を受けていたらしい老将……その彼の血の引いた青ざめた顔は、今すぐにでも手当が必要だった。

「……申し訳ございません、破軍」

 優先事項を見失っていたことを省みた少女は、唇を悔しさに噛みながら謝罪を述べて主人から背を向けた。……それに続けてアルテミスは振り返らぬまま、優しくスピカへ声をかける。

「――俺の方こそ、怒鳴ってごめん。戻ったら後でちゃんと仲直りしような、スピカちゃん」

「……!は、はい…!!」

 駆けだした少女たちを背で見送ると、アルテミスは改めてザウラクへと向き合った。

 ザウラクのまとう雰囲気――その邪悪な敵意は、暴走した天士エピメテウスのものにとても近い。

 加えて、心なしか漂う甘い香気の濃度もより深まっている。


「――十二秒、といったところか」

「……?」


 ザウラクのこぼした呟きを理解できなかったアルテミスは、首を傾けた。それを見るや否や、ザウラクはくつくつと面白おかしそうに肩を揺らし、面相を怒りに歪ませる。

「……貴殿には、これが何の数だかお判りか?――そう、その傷が完治するまでにかかった時間だ」

「――!!」

 驚愕の声を呑み込んだものの、アルテミスは思わず自身の頬に手を伸ばす。……その両頬にぽっかり空いたはずの涼やかな風穴は、既に肉の壁によりとっくに塞がっていた。


 手の天士・エピメテウス――。

 エピメテウスとの戦闘にて、満身創痍となっていたはずのアルテミス。

 しかし、その傷は最初からなかったかのように消え失せた上に、体力はザウラクの猛攻すら躱せるほど回復していた。


 ……ザウラクは、黒髪の戦士の傷が跡形もなく癒えていたのを見逃さなかったのだ。


「先撃に使用した、ただの短剣による肩の裂傷が四秒。対して、ステラ・イアペトスを受けた頬の傷は十二秒。

 ごくわずかな差はあれど、ほぼ同時に行った連撃を受けた傷が完治するまでに半分以上も倍の時間がかかったのだ。――これが、何を意味するのか」


 ――星を砕く「ステラ」の力を弱点とする種は、この世界においてただ一つのみ。


 それまでの飄々とした気風とは打って変わり、アルテミスは粛然と声を落とす。そして左手の人差し指と中指を重ね合わせると、破顔して自身の首を三度叩いてみせた。

「……これは一杯喰らわされた!!やはり、齢十三にしてメラクの第一部隊隊長――そして馬の皮を着飾った獰虎猛将と言わしめた御仁。

 ――もう少しでこの首、串刺しにされるところだった」

「……それはそうだろうとも。お褒めに預かり恐悦至極、と言いたいところだが――。

 元よりこちらは首を刎ねるつもりで槍を振るったのだ。……そうでもせねば、硬き城塞に、我が一撃は届きはしまい」

 ザウラクの負の感情、敵意がより激しく、夥しく湧き上がる。それが高まれば高まるほど、あの甘い悪臭は濃度を増し、いつしか不可解な靄まで立ちこめる。

 視認できるまでに強力になっているのか――否、幻覚と呼んだ方が、この場合は正しい。

 靄は周囲を取り囲み、この場にいる者の方向感覚を狂わせる。

 アルテミスは舌なめずりをすると、湿らせた唇が悪意の臭源を追う。南東の方角――風向きから、ザウラク、そしてその背後より放出していることを突き止めた。

 ――それだけではない。

 この不快な香気はザウラクのみに止まらず、アルテミスの胸中にも、眼前の者に対して苛立ち、殺意を泥玉のごとく捏ね合わせながら形作らせようとしている。

 ……先程のスピカの突飛な行動も納得できる。普段なら聞き分けの良いスピカが、アルテミスの制止を二度まで振り切ろうとしたことも、この香りの主が原因だとアルテミスは推測した。

 あくまで表舞台に出ようとはせず、手近な傀儡を用いて自分は直接手を下さない。


”……あまり唆してくれるなよ。卑屈すぎてうっかり噛み殺したくなる。”


 アルテミスはエピメテウス、そしてザウラクを操る正体不明の天士と思しき主犯者へ、そう心の中で吐き捨てる。

 たちまち負の感情に囚われそうになったアルテミス。それを、ステラ・パンドラが一瞬――蒼く鋭い光でアルテミスを諌めるように瞬かせた。

 パンドラによって我に返ったアルテミスは、咄嗟に胸元の襟を緩めると鼻を覆う。

「――!!」

 膠着状態だった両者。そのアルテミスの突然の行動に警戒したザウラクは身構えた。


「おっと失礼、ちっとばかし汗をかいたもんでね。…うーん。やっぱり少し臭うかしら……」


 その突拍子もない、この場にふさわしくないアルテミスの言動にザウラクはつい脱力した。

 それもそのはず、瞠目したザウラクが沈黙に降りる中、アルテミスは一人おのれの体臭を一心不乱に嗅いでいたのだ。その滑稽でいて、何とも間の抜ける空気に思わずザウラクの顔からは厳しさが徐々に失せていき、元の人の好さを取り戻していった。

「……涼しい顔をして何を仰るのか。この期に及んでまだそのような余裕があるとは、その度胸に感服する」

「真面目さんか、あんたは!!……いや失敬、これでもこういうのが気になるお年頃なんだよ。

 もし帰って息子に”臭いから近寄らないで”なんて言われたりなんてしたら、流石に私は…二度と…立ち上がれない……」

大袈裟に胸を押さえて嘆くアルテミス。その挙動は道化じみてはいたものの、言葉に噓偽りが含まれていることは皆無だった。

 そんな黒髪の戦士の口から家族の話題が出た途端、ザウラクはそれまで濁って溝色に染まった覇気に光が灯される。

「――ご子息が、いらっしゃるのか」

「ええ。こう見えて、ひとりの人間の親である身なものでね」

 アルテミスは乱れた髪を掻き上げると、心中では安堵に胸を撫で下ろした。

 暴走したザウラクとエピメテウスの共通点――それは家族の存在が心の拠り所であるとアルテミスは推し量っていた。もともと、メラクの民は家族との繋がりを大切にする文化があった。

 このまま彼の怒りを鎮火することに成功すれば、背後の天士も諦めてこれ以上無駄な血を流さずに済む。

 ――しかし、ここで思案に躍起になっていたアルテミスは、その考えこそが致命的な決壊に繋がることを見抜けずにいた。

「……我輩にも、娘がいた。……一人娘だ。妻に先立たれて以来、あの子は我輩にとって残された唯一の家族であり、まことに尊き宝であった」

 安らいだ様子だったザウラクは遠い彼方に目をやると俯き、心ここにあらずといった状態で何事か呟き始めた。

 アルテミスは彼を宥めるため、そして天士の手がかりを探ろうと、無防備にもザウラクの側に歩み寄っていく。

「いた、とは――?」

「……明るく優しい、器量よしの、我輩にはもったいない良い子だった。―――だが、もうあの子はどこにもいない。我輩の隣にも、この星にさえも、あの子は……」


――かぐわしい甘い香りが、吐き気を催す腐臭へと移り変わっていた時には既に遅く。


 アルテミスがザウラクの肩に手をかけ、顔を覗き込んだ瞬間。

 沈黙を守っていたステラ・パンドラが、その方体を蒼から赤へ発光し高速に点滅し始める。  

『――警告。前方に敵性反応、出現。繰り返します、前方に敵性反応――』

 危険を察知したステラ・パンドラが、ただならぬ状態でけたたましく警告を繰り返す。

 ザウラクの異変にようやく気づいたアルテミスは、今おのれが天士に嵌められたことを悟り顔を上げる。

 ……その漆黒の双眸が捉えたのは、屈むザウラクの背に聳え立つ、丸く脈打ち腐臭を発する異形の肉塊――。

「ザウラク公、貴方は――……!」


「――あの子は、誰でも無くなってしまったのだ……!!」


 赤から黒へ変色した血涙を流したザウラクが、絶望を声高らかにうたい、叫ぶ。

 彼の慟哭に合わせ調和を奏でたその黒き肉塊が、瞬く間に膨張を加速した刹那。


 ――ザウラクが内包していた負の感情、その全てが決壊した。

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