第二節 ◆遺跡保護区禁域地帯アリオト/プロメテウス遺跡2

 状況報告のため、ザウラク・カノープス・アケルナルの三人は、プロメテウス遺跡の客間跡へと移動した。

 既に待機していたザウラクとカノープスの部下たちが、その場を譲り離れる。恐らく、前もってカノープスが合流できた際の場合に人払いの手配を済ましていたのだろう。そう、アケルナルは察したのだった。

 辺りはとっくに日が落ち、蝋燭の薄明かりでしかこの建物内部をうかがうことができない。シンプルで、かつわずかながらも装飾性に富んだ円柱が並ぶ回廊を彼らはゆっくりと進む。天を仰げば、高い吹き抜けが広がる天井。その得も言われぬ荘厳さに、過去にとどまらず訪れた人々は畏怖を覚えたであろう。

 ザウラクは、改めてこの遺跡のかつての主に思いをはせた。確かこのプロメテウス遺跡は、クロノス大王の弟皇子の名前を冠していたはずだ。

 ——他の遺跡群にもそれが当てはまるのだろうかなどと、そんなことを考えているうちに三人は客間へ到着する。

 客間を彩る壁画は漆喰による絵画なのか。着色部分があちこち剥がれかけ、どのような題材の作品だったのかは知る術もない。ただ、夜空に駆ける流星の絵(特に一条の流星が湖に落ちる場面)が印象的であった。

 広間の四方には、目もあやなガラス製の壺が置かれた大理石と思しき柱と台があった。……エリュシオン特有の装飾工芸品なのだろう。何のために使うのか——アケルナルはガラス壺の用途の考えが浮かばなかったので、それらから意識を反らすことにした。

「では、まず状況を整理し直そう。カノープス殿」

 蝋燭の灯りを頼りに歩き、客間の中心——石材でできた円状のベンチに腰を下ろすと、ザウラクはカノープスに呼びかけた。

「御意。皇帝の暗殺に失敗した我々は、迫る追手の攪乱を狙うため部隊を三つに分け別々に行動いたしました」

 僅かな蝋燭の火がカノープスの眼窩の奥底、赤茶色の瞳に反射して揺らめきを大きくする。こんな時、カノープスはこの場の誰よりも冷静だった。彼のこの冷静さが、いつも皆の不安を打ち消してくれるのだ。

 カノープスに続き、アケルナルも口を開く。

「まず、ザウラク閣下に扮したこのオレ……いえ、失礼いたしました。私とその部隊は市街地へ。陽動としてはありきたりなものではありますが——」

「民の目撃情報をあえて皇帝側へ得させることにより、我輩の居場所の特定・把握は確実に充分遅らせることができただろう。……危険な役を買って出てくれたことに、深く感謝する」

 目を伏せ礼を述べるザウラクに、アケルナルは誇らしげに微笑んだ。

「保険として山沿いを我がカノープス隊が。山中を閣下の本隊が進み、このアリオト・プロメテウス遺跡で各々合流。日の出とともにアリオトを越え、ベネトナシュに向かう予定でした」

 互いに報告を行ううち、ザウラクは何かに気づき顔を曇らせた。

「それにしても幸運でしたね。こうして皆が無事に揃ったのも、運命が我々に味方していると言っても同然でしょう」

「運命はさておき、私もアケルナル部隊長殿に同意です。……しかし、我が主よ。この状況、どうお見立ていたす?」

 蝋燭の火が再びゆらり、と揺れる。

 ——カノープスは、ザウラクの訝し気な顔を見逃さなかった。

「……うむ。やはり貴方も、この違和感を感じていたようだな」

「違和感……と、申しますと?」

 アケルナルは、身を乗り出してザウラクとカノープスの話に疑問を投げかけた。

「出来すぎている……とは、思わぬか?」

「はい、妙です。追手を撒くどころか、その肝心の追手がいまだ一人も来ていない」

「泳がされていたというのか……⁉ オレたちは……!」

 アケルナルは真面目で正義感が強い若者ではあるが、すぐに熱くなってしまうのが玉に瑕だ。

 カノープスは、焦り歯を食いしばるアケルナルをなだめつつ、状況をもう一度確認する。

「落ち着け、アケルナル部隊長。私も当初それを疑ったが、尾行すらされていなかった。強いて言えば、民たちもどうやら此度の反逆を露知らぬ様子」

「それは確かか?」

 カノープスへ慎重に確認するザウラク。カノープスは、ザウラクの瞳をまっすぐ見据えて答えた。

「……間違いなく。でなければ、あまりにも上手く事が運び過ぎている」

 カノープスの堅い肯定に、ザウラクは納得し腕を組んだ。一方、アケルナルは眉を吊り上げる。

「仮にそうだと言うのならば、皇帝はオレたちを逆賊として討つよりも、民に対しての情報隠匿そのものを優先しているとでも?」

 余裕がなくなってきたのか、すっかりアケルナルは素の一人称になっていた。

「その線も有り得る。……むしろ、それこそが一番有力やもしれん。人の『不和』を何よりも毛嫌いする、あの男ならば」

「お言葉ですが閣下、貴方はご存じのはずです。……皇帝が、かつてエリュシオンの民にした仕打ちを」

 アケルナルの言葉に、ザウラクは大理石の床に視線を落とし、想起する。

「——統一戦争。別称、『ギガントマキア』か」 


 帝歴一一九四年。

 現在のオリュンピア帝国の前身となったオリュンピア連合国と、最大の敵国・ティターン朝エリュシオンとの戦い。これより前年の『ティタノマキア』にて、エリュシオンの大王クロノスが連合国を率いるユピテル帝にアリオトで敗れ、敵討ちとして大王の兄妹たちが蜂起した戦争だ。

 しかし、大王を失ったエリュシオンは連合国と比べて、統率力・戦力差は歴然。

 連合国は、圧倒的な数の差でエリュシオンをねじ伏せ、両国の三〇〇年における長き戦乱の世に終止符を打った。

 ——それが統一戦争、別称『ギガントマキア』である。


「……戦後、属民となったエリュシオンの民たちに叛逆の意志を潰すため徹底的に迫害・隷属を強いたのが、かのユピテル帝自身でありました」

 ——そんな男が、叛逆を起こしたザウラクたちをこのまま放置するはずは無い。

 カノープスは、右頬の傷痕を指でなぞる。彼もまた、数少ないギガントマキアの生き残りだ。

「アケルナル殿の言いたいことは我輩も理解している。しかし、問題はそれすらも皇帝の陥穽によるものだとしたらどうする?」

「……お聞かせください」

 促すアケルナルへ、ザウラクは彼が羽織る己の浅葱色の羽織——その胸元に紫色の生糸で刺された、馬と紫苑の花の刺しゅうに目をやった。

 メラクが、かつて一つの国であったことを示す国章の名残だ。現在、これらの紋章は七星剣章と呼ばれている。

「かつてこの帝国は、六か国からなる連合国であった。複数の異なる国々をたった一人の男が見事まとめ上げてみせたその手腕の一つこそ、エリュシオンの民への迫害と差別だろう」

「極端に申し上げれば、一民族を必要悪として犠牲にすることによって、戦後に発生する国民の不安や不満の矛先を自分と国から逸らした。……そういうことですな」

 カノープスの補足に、ザウラクは頷いた。

「戦時中はエリュシオンという共通の敵があったからこその連合国。だが、戦が終わればその意味も無し。やがてはまた元の戦乱の世に逆戻りだ。そこで、隷属民となったエリュシオン民の彼らだ。……結果、各連合の同盟を結んだ国はやがて大公領地となり、今やオリュンピア帝国になった訳だが——」

「各国が統合された後、程なくしてエリュシオンの民への奴隷解放に加えて差別撤廃を施行している。あれは戦後十周年を迎えた平和祈念式典の時だったか……。自らの非人道的な制裁行為も謝罪し、エリュシオン民の人権と名誉回復の約束……。一般的に、大国の統治者となれば尊厳が邪魔するものを。それを平然とやってのけた、底が見えぬ男よ——」

「まさしく、『統一戦争』とはよく言ったものだ」

 オリュンピア帝国民が勝利に酔いしれて過ごした十年間。ユピテル帝とエリュシオン民は、あの式典で初めて終戦を迎えたのだと言う者もいる。

 かくして、皇帝ユピテルは一代にして大陸全土の各国統一。そして、戦争終結と恒久的な世界平和を導き出し、民の信頼も手にしてみせた。その裏に、一体いくつもの姦計と謀略の蜘蛛糸を張り巡らせていたのだろう。

「それを成せる者が、今この状況を作り上げたといってもおかしくはないと……!」

 アケルナルは拳を強く握りしめる。

 戦後生まれのアケルナルは統一戦争を知らない。

 だがしかし、国を超えて大人や子供を巻き込んだ戦も、故人への悼みも、先人たちの後悔も、その後の平和であれかしと願って培ってきた自分たちの営みも……全て一人の男による盤上の出来事だと気づいた時の虚しさ、悔しさたるや。

 ——憤懣やるかたない思いを、アケルナルは肺に溜まった空気とともに吐き出した。

「最初から我輩がアリオトへ向かうと知っていたのか。もしくは、アリオトへ向かうと知った故に敢えて追わなかったのか。……どちらにせよ、帝国の極南地・ベネトナシュに辿り着くにはこの荒野を越えねばならぬ!」

 アケルナルの怒りに同調し、ザウラクは勢い良く立ち上がる。

「閣下、お待ちください! 日の出とともに出立すると仰ったのは閣下ご自身ではございませぬか!」

 慎重な姿勢を保ちたいカノープスが引き留めるも、ザウラクはアケルナルから受け取った浅葱色の羽織に腕を通した。

「カノープスよ、アリオトに長居は危険だ。すぐに発つ用意をせよ」

「いくら何でも焦慮しておられる! そう急いてもいいことは——」

「承知の上だ……!」

 暗い広間のなかで静かに、そして強くザウラクの声が響き沈む。蝋燭の火は、彼の声の余韻に合わせて淡く踊る。

 主人の憤激と決意に満ちた眼差しに、カノープスは思わず言葉を吞んだ。

「我らがなぜベネトナシュへ向かおうとしているのか、忘れたわけではあるまい」

「……我々には、まだ皇帝へ刃を届かせる一手が足りませぬ」

「然り。彼の地には、この帝国で唯一ユピテル帝が敵に回すことを恐れた者がいる」

 ザウラクは黒鎧の脇当、その調整を行うと、左右の手甲を装着し直した。

「今このまま夜明けを待ってここに留まれば、その分だけ皇帝に猶予を与えると同義……。皇帝よりも先にベネトナシュへ辿り着き、その者に助力を願い出る」

 口先でものを言うだけは、誰にでも容易なことだ。ザウラク自身もそう理解はしている。

 だが、敢えてカノープスは主人を戒める意味も込めて尋ねた。

「……可能なのですね、本当に。我々の話を聞いたとして、本当に彼はこちらの味方になるのですね?」

 ——刹那の静寂が、彼らの周りに訪れる。

「我輩を、信じてくれぬか」

「……閣下のことを信じているからこそ、ここに私がいるのです」

 ”——信じていいのですね、その情報を。”

 カノープスは衷心より肯定を述べた。

 ザウラクとカノープスは、互いに赤みを帯びた明るい瞳を交わし合う。

 この場に張りつめた空気が、緩やかに解れていった。

 カノープスは、静かに吐息をつくと、ザウラクの決定に従うことを示した。

 カノープスも、うすうす感じてはいたのだ。アリオトに留まることは危険だと。だが、彼の場合はこの「アリオトを越える」行為が鬼門だと自分の勘が警鐘を鳴らしていた。

 しかし、ベネトナシュへ行くにはアリオトを越えるしか道はない。海路は国によって直接管理されているため、船を使えばすぐ拘束されるだろうと踏んだのだ。仮に船で行けたとしても、アリオトとベネトナシュ付近の海は、快晴の時でも潮流が荒く激しいことで有名で、難破など命の危険が伴う負荷が陸路より遥かに重いのだ。

 故に、彼らは街道跡を選んだ。ベネトナシュの大公領主も、星剣会議の際は確かにこの道を使って帝都へやって来ている。安全路には間違いはないはずなのだが……。

 ——この不安は、何なのか。

「……これは、時間との勝負でもある。行動の速さが勝敗を分けるであろう」

「オレは閣下に賛成です、カノープス部隊長殿。まだ皇帝は、あくまでも我々は禁域地帯を拠点にすると読んでいるはず。目的地がベネトナシュだとは知らぬ今こそ勝機だと。

 ……善は急げと言いましょう。このままここに留まっていても、進んでも、奴の思う壺だと臆するのならば、オレは進む方を選びます」

 ザウラクとアケルナルは、遺跡の出口へと進んで行く。彼らの頑固な気質と、清々しいまでの潔さに呆れたカノープスは眉間を抑え、やれやれ仕方がないとため息を漏らした。

「全く、お二人ともこれだから血の気の多い……。だが、なぜでしょうな」

 ——自然とこぼれる口に浮かぶ笑みは、この懐かしさは。

 カノープスは、ギガントマキア……ちょうど、この地アリオトで、敵陣へ攻める前に仲間と交わした時のことを思い出す。

 いまは互いに語り合えていても、このすぐ後、もしくは明日にはもう二度とそれが叶わなくなるかもしれない。実際、そうなった友らが多かった。

 ……戦後、皇帝ユピテルは人がもたらす中でも最も愚かで悪なる行為こそ戦争だと国民に訴え、その考えは正しき事として広まった。カノープス自身も勿論それに肯定し、強く同意している。

 しかし、戦とは双方が何かを得たい、または守りたいがために衝突し、奪い、奪われ失う、人間が内包する矛盾の究極体現。人々が抱き守ろうとする平和への願いも努力も、それは戦を乗り越えた結果から得たものだ。

 ——だからこそ、戦時中に仲間たちと共有できた、あの何とも言えぬ高揚感に似たこの感情を。得難き地獄のなかの、美しい思い出を。彼は頑固で真面目な主君と、まだ若き熱い戦士に、懐かしき友らの背中を重ねる。

「であればこそ、此度も私が身を賭してあなた方をお支えしなくてはというもの」

 カノープスは、吊り上がる口角によって引っ張られた右頬の傷痕に、今度は愛しむように、もう一度触れる。

 彼は立ち上がると、主人らが置き忘れていった残りの蝋燭を手にし、二人を追う。

 そして、客間を後にするとしばらくして一旦足を止め、些細なある疑問を口にした。


「……しかし、先ほどから漂うこの甘い香りは一体何だ?」

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