愛しき我が家
「……ここが俺の家か」
今どきの家からすると古臭くてボロい家の前庭に、俺は足を踏み入れた。
結界の1つもない石壁も魔法錠もない木製の門もそうだが、家自体が旧世界の木材で出来ている。
まあ、だからといって歴史的価値の類は皆無であるらしいが……そのせいで更にお安いというわけだ。
1人で住むには少し大きめだが、郊外であるから税金もタダ同然。その分利便性は低いが、安全に……まあ、多少の問題があるだけだ。
雑草が好き放題に生えた前庭を歩いて玄関へ向かっていた俺は、その隅に人が住むには小さすぎる建物があるのを見つける。
「……なんだこれ」
木製のその建物は人が住むには小さすぎるが、屋根と扉、そして一部屋だけだが小さな部屋があるようだ。だが、そのサイズに合う小人の類が住むには地面から高い位置にくるように建てられていて、丁度俺が覗き込めるような位置に扉があるのだ。
「子供用の遊び道具ってわけでもなさそうだし……はて?」
試しに扉を開けてみると、中には薄汚れた銀色の丸板が入っていた。
「……鏡、か?」
汚れているせいで見栄えは良くないが、それなりに立派な鏡だ。
何故こんな場所にあるのかはサッパリ分からないが、この場所に取り残されているということは……俺のものということでいいのだろう。
「磨けば身だしなみ用には使えるか……?」
「ダメです!」
俺が鏡を懐に入れると、突然そんな声が背後から聞こえてくる。
一体誰が。まさかこの家の前の持ち主が鏡を此処に忘れた事に気付いて取りに来たのだろうか?
そう考え振り向いて。
俺は、絶句した。
「その鏡は私のなんですから……! そんな事に使っちゃダメなんですよ!」
「……綺麗だ」
「へ?」
綺麗だ。素直にそう思った。そして、それを言葉にする事に何の抵抗も感じなかった。
艶やかで高級な糸のような翠色の髪。腰くらいまで伸ばされたその髪が僅かに揺れる様は生命力に満ちた草原を思わせ、俺の心までもが揺らされてしまう。
髪と同じ色の瞳はいつだったか見た秘宝、翠王玉をも思わせる輝きを湛えている。
いや、彼女の瞳に比べれば翠王玉など石ころだろう。あの瞳が俺を映している事実が嬉しくてたまらない。
どことなく幼げな顔は庇護欲をそそり、華奢な身体を包む服は高級感こそないが、それが逆に親近感を感じる原因になっている。
いや、彼女を見ていれば高級感などというものは美に何の関係もないと分かる。
……違う、そうじゃない。そんなものはどうでもいい。
「一目惚れしました。結婚してください」
「え、えええええええええええええええ!?」
気付けば跪いていた俺に、彼女は顔を真っ赤にして後ずさる。
「な、なんなんですか!? いきなり草原だとか翠王玉だとか! そういう話してなかったでしょう!?」
「何故俺の心を……まさか知らずのうちに通じ合って!?」
「全部声に出てたんですよー!」
「ブンブンと腕を振って……ああ、可愛い。愛しいなあ」
「また声に出てます! ほんっと何なんですか貴方!? あと鏡は戻してください!」
「戻す? 君に渡すのではなく?」
「今の時代の人に言っても分かんないでしょうけど、それはご神体っていうものなんです。正確には違うんですけど、私そのものに見立てる事もある大切なものなんです」
「君、そのもの……」
一気に愛おしくなって鏡をギュッと抱きしめると、彼女は頭を抱えて「あああ……」と唸り始める。
「さっきまで違ったじゃないですかー。世の中全てを斜に構えて見てるような目をしてて、世界には自分一人的なクールで知的な雰囲気出してたじゃないですかあ……。なんでそんな初恋拗らせた子供みたいな……」
「好きとか嫌い的な意味でなら、これが間違いなく俺の初恋だが」
「どうしてそんな事に」
「加護無しだからな、俺は」
言ってしまってから、俺はハッとする。今までこれを話せば、誰もがゴミを見るような目で俺を見てきた。まさか彼女も……そう考えて。しかし、彼女は「はあ、なるほど」と何かに納得したかのような顔をしただけだった。
「加護至上主義、っていうんでしたっけ。この家に前に住んでた人が、そんな話でケンカしてました」
「え? 君は、この家の前のオーナーじゃないのか?」
「違いますよ?」
彼女はそう言うと胸を張り、そこに手をあててみせる。かわいい。
「私はそのお社に祀られし神です! たぶん!」
「たぶん?」
たぶん、ってなんだろう。あとオヤシロってのは神殿の事だろうか?
俺がそう思いながら首を傾げると、彼女はそっと視線を逸らす。
「……覚えてないんです。そもそも、私は世界融合の時に世界から弾き出されたモノです。自分自身が神であると理解は出来ていますが、どのような神かすらも分からない状態です」
「神であるならば叡智の神が授けたという神名辞典があると聞く。それで分かるんじゃないか?」
「無理ですよ。弾き出されたって言ったでしょう? 私はこの世界で神と認識されているかも怪しいです」
少し寂しそうな顔で、彼女は俺の目を見つめ呟く。
「ナナシヒメ」
「ナナシヒメ……名前のないっていう意味での名無し、か?」
「ええ、恐らくは。それが私が唯一認識できている、私の名前です」
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