第286話終戦の日

 今日は終戦の日である。私は、祖父や祖母からは直接戦争の話を聴いたことはない。父からは小さい頃の話を聴いた。戦争の記憶は幼い頃なのでないのだが、戦争直後の田舎での貧しい暮らしぶりを聴いた。母からはほとんど昔の話を聴かない。

 だから、親族からはほとんど戦争について話を聴いたことがないことになる。戦争に負けたので、そのことについて触れたくないということもあるのだろう。私もあえて追及して聴くことはなかった。

 その後、第二次世界大戦について本で読んだことはある。しかし、どれも今の価値観で後付けに語られることばかりである。日本という国の物語として、伝承された語りというものに直接触れていない。今考えるとさみしい。

 あの戦争について、日本の責任はどこにあるのか?負けた責任は軍部にあるだろう。戦争に負けたということは完全に職業軍人の責任である。しかし、諸外国に対しての責任ということになると、どうなるのか?軍部が独走したという見方もあるだろうが、私はそれだけではないと思う。一般国民もあの戦争に対しては開戦当初は賛成していたのだ。だから、責任ということに対しては、日本国民全体に責任があったことになる。

 だから、日本という国を継承している今の日本国民は、大戦の責任について重く受け止めるということをしなければならない。

 具体的に責任を受け止めるとはどういうことなのか。それはもう侵略戦争はしないということである。しかし、防衛戦争はありうる。そこまで否定してしまっては、国として成り立たない。

 侵略と防衛。この言葉の間には曖昧な部分がある。そこが争いの元になる場所なのだが、定義は時代とともに変わっていくだろう。

 現代の戦争は、もう過去の戦争とは違う。相互に依存しすぎる世界情勢を考えると、一度戦争が起きたら壊滅的になるのは一瞬の事だ。

 世界各国が愚挙にでないことを祈る。

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