第90話 ▼レイズvs.巨鳥(レイズ視点)

 突如出現した謎の巨鳥。

 同時に周辺に展開した光の壁。

 隔絶されたこの空間。ピリピリと張り詰める緊張感。


「一体、何がどうなってんだよっ!?」


 一人盛大にぶちまける。


「全く意味が分かんねぇぞ!?ちゃんと納得がいくように誰か説明しろってんだよ!!」


 自身を取り巻く全ての状況に対して、レイズは大声で悪態を吐いた。

 けれども、それはただただ虚しく響き、轟々と渦巻く風に流されていく。

 レイズのおおいなるその疑問に応えてくれる者はこの空間内に居なかった。

 この空間にいるのは、レイズ一人と高みから自身を見下ろす訳の分からない巨大な鳥のみ。


 あの鳥は一体何なんだ?

 一体どこからどうやって現れた?

 本当に訳が分からない。


 先程あの巨鳥は、羽ばたきによって巻き起こした風により、レイズ以外を光の壁の外へと吹き飛ばした。

 取り囲んでいるこの謎の光は恐らくただの壁ではない。

 先程からハルが光の壁の向側から何かを叫んでいるようだが、その声は全く聞こえない。そうなると、恐らくこちらの声や音も向こうには聞こえてはいないと考えられる。


 何故自分だけをこの場に残し、あの巨鳥はそれ以外の者を光の壁の外へと吹き飛ばした?

 考えれば考える程、疑問は更に深まっていくばかり。


 けれども、敢えて、強いていうならば。

 これらの状況から考えられる結果を強いていうとするのならば。

 考えうるは恐らくは――


「……戦えって事か?」


 この光の壁。いや、この光に隔絶されたフィールド内で。あの巨鳥と一対一で。


 巨鳥が再び大きく翼を広げた。


(くる……っ!)


 翼を払うとほぼ同時、レイズもまたフレイを引き抜きそれを払った。

 劫火を宿したフレイから紅い炎が放たれる。

 放たれた炎は閃光は描き、一直線に巨鳥目掛けて宙を切る。

 巨鳥もまた広げた翼を大きく払った。美しい羽ばたきから生み出された風は大きく旋風を巻き起こし、激しく渦巻いて劫火とぶつかる。


「なっ……!?」


 その光景にレイズは目を見開いた。

 直撃するかと思われた炎。しかし、それは巨鳥へと届く事はなく、激しい風に煽られ両者の中間にて拡散する。放たれた炎は渦巻く旋風によって掻き消され、紅蓮に咲いた炎華は無残に散らされた。


「おいおい、マジかよ……」


 そんな言葉が自然と口から溢れ落ちる。

 現状を見た限りでは、恐らくは相手の持つ属性は風。

 対して、自身の持つ属性は炎。

 魔法に関する知事が正直それ程ある訳ではなかったが、現状を見た限りでは、どうやらその相性は決して良いとは言えないようで。とても一筋縄ではいきそうにない。


「こんなのと戦えってのか……?」


 本当に冗談じゃない。

 しかも、全くもって迷惑な事この上ない事に、相手はどうやら既にやる気満々のようで。煌びやかな容姿とは裏腹にその眼光は冴え冴えとして鋭く、捉えた獲物を射抜くかのよう。

 グッとフレイを持つ手に力を込めたレイズ。けれども、すぐに息を一つ吐いて強張った肩の力を抜いた。


「ったく、あいつのわがままに付き合うといつもこれだ」


 溜め息と共にレイズは吐き出す。

 今更取り立てて言う程の事でもないが、そもそもこんな訳の分からない状況になった“根本的な原因”は、全てあいつが妙な物を欲しがった事にある訳で。

 それによって毎度引き起こされる面倒な事態や責任の所在なんかは全てあの阿保にある。


 全ての元凶。厄災の根源。

 日々の頭痛のタネ。

 我が儘放題の高慢ちき。

 面倒ばかりを招く疫病神。

 毎度毎度、望んでもいないのに面倒ばかりを押し付けられるこっちの身にもなれってんだ。

 いつかは一発ブン殴ってやろうと思っていたが、もうそろそろ本当に、いい加減我慢の限界だ。


 ――決めた。


 いつかいつかというのならば、それがもはや確定事項というのならば。

 そのいつかとは間違いなく今日。

 今日この時こそがその時だ。

 目の前のこの巨鳥を倒しこの空間から出たあかつきには、絶対に一発叩き込んでやる。


「いいぜ、やってやるよ」


 レイズは改めてこちらを見下ろす巨鳥へと向き直る。

 アレンへの鉄拳制裁を静かに心に決め、レイズは宙を舞う巨鳥へとフレイのその矛先向けた。



***



 轟々と音を立て渦巻く旋風。

 宙に咲いた紅蓮の炎華は吹き荒れる風に無残に散らされる。

 旋風を纏う巨鳥を前にレイズは予想以上の苦戦を強いられていた。

 何度閃光を放とうとも、相手は高くその炎は届かない。フレイの炎は捲き上げられ、荒れ狂う風に拡散させられてしまう。


 轟々と凄まじい音を立て、風は鋭利な刃のように全ての物を切り裂いた。

 真正面から巨鳥と対峙していたレイズだったが、そこから一旦距離を取る。

 フィールド内には彫刻などの展示品が多く置かれていた。最初はそれを盾代わりとし、勝機を伺うつもりでいたが、風の前にそれは虚しく。陳列された展示品はバラバラと無残に切り裂かれ全て残骸と成り果てしまう。それにより、レイズは再び、有無を言わさずフィールド中央へと引き戻された。

 高みから自身を見下ろす巨鳥。

 そこからは一方的な蹂躙が始まった。


 血が傷口から滴り落ちる。

 空間を駆け巡る半透明な風の刃を剣一本では防ぎ切れない。風は容赦無く身体を斬り裂き、レイズの身体は瞬く間に赤く染まっていった。


 上空を巨鳥は優雅に滑空する。

 唯一のチャンスと思われた巨鳥が降下するその瞬間。

 しかし、それすらもチャンスと呼ぶには程遠く。


 巨鳥はまるで嘲笑うかの様に急速に降下し、羽根で周囲を切り裂いては再び昇る。その姿を捉える事は愚か、たとえ捉えたとしても相手は身体を高速で回転させ、近付く事すらままならない。見掛け以上に固い硬い羽とそこに纏う旋風に守られ、フレイの刃は全く通らなかった。


 旋風は空気を割いて空間を断つ。

 風は縦横無尽に吹き荒れて鋭利な爪痕を深く刻み込んでいく。

 風に支配されたこの空間。完全に奴のフィールド内。

 そのどこにも逃げ場などなかった。


 垂れ下がった左腕。なんとか応急処置をした肩からも血が滴り、巻きつけた布は真っ赤な血の色に染まっていた。


「ぜぇ……ぜぇ……」


 呼吸が荒い。血を流し過ぎたのか、次第に意識が薄れていく。

 身体はどんどんと重くなり、動きはどんどんと鈍くなる。

 今や巨鳥の攻撃を避ける事すら精一杯で。手に軽かった筈のフレイは酷く重く、振るう事すら困難に思える程だった。


「ぜぇ……はぁ……」


 体力と共に魔力も尽き掛けているのか。フレイの炎もまた次第にその勢いを弱めていく。


(どうすればいい……っ)


(どうすれば……っ)


 圧倒的な力量差を前にして焦りが思考を支配していた。

 レイズは巨鳥から僅かに注意を欠いた。その瞬間、レイズは攻撃を見誤った。


「ぐわぁああぁあっっ!!」


 足元から吹き上げた突風に煽られて身体は宙へと浮かび上がる。抵抗する間も与えられず、無数の刃が容赦無く身体を切り刻んだ。

 弾き飛ばされた身体は宙を舞い、数メートル先へと吹き飛ばされる。カランと虚しく音を立て、レイズの手からフレイが床へと溢れ落ちた。


「……っ」


 全身が酷く重い。

 吹き付ける風が体温を奪い、のしかかる重力が身体を地面へと叩き伏せる。

 口の中は血の味がした。視界はぐらぐらと揺らぎ始め、激痛が電流のように全身を突き刺す。

 それでもなんとか立ち上がるものの、再び地面へと叩きつけられた。

 まるで相手になどなっていない。

 こんな巨鳥になどまるで歯が立たなかった。


「くっそ……」


 口内に溜まった血と共に吐き捨てる。

 傷口から溢れた血が床を揺らした。


 身体は完全に消耗しきっていた。

 それでもなんとか鞭を打ち、重い身体を持ち上げていく。上体をゆっくりと起こそうとして、そして異様な音を拾った。

 はっと視線を上げて見る。

 上空へと昇った巨鳥。

 その巨鳥の中心へと、まるで周囲の風が集まるかのようにして集積されていく。瞬く間に形成された。目を見張る程の巨大な風の塊。


「…………っ!?」


 本能が耳元で煩く警鐘を鳴らす。

 あんなものをまともに受ければ、もはやひとたまりもありはしない。


「――――――――!!!!」


 巨鳥が高く嘶いた。

 それと同時、巨大な風の塊が自身目掛けて放たれる。

 放たれるとほぼ同時、レイズは転がったフレイを掴み取り地面を蹴って走り出す。最後は身体ごと投げ出すようにしてレイズは床へと倒れ込んだ。


 傷だらけの身体をなんとか引き摺り、ギリギリの所でそれを交わした。

 先程まで倒れていた場所を振り返り、レイズは大きく目を見張る。直撃を受けた床は無残に砕かれ、残骸が一面に散乱していた。大きく抉られたその場所は、もはや見る影すらも無かったのだった。


 荒れ狂う風が支配する空間。

 その空間には勝機どころか、僅かな希望さえ存在しない。

 レイズは耳は再びヒューヒューと鳴る異様な音を聞き付けた。

 慌てて巨鳥の方へと視線を戻す。

 その先には先程と同じ光景が待ち受けていた。


「…………っ」


 周囲の風を取り込んでそれはゆっくりと形成されていく。

 先程よりも遥かに大きい。あの大きさでは避ける事は愚か、フレイで受け止める事などほぼ不可能に近いと思われた。


 満ちる絶望が他の一切の選択肢を排除する。

 鈍った思考を更に鈍らせ、取るべき判断をも出来なくさせる。

 体力も魔力も既に限界。

 もはや勝ち目など、到底あるとは思えなかった。


『無様だな』

「……っ!」

『所詮、貴様にはその剣は使いこなせない』


 朦朧とする意識の中、唐突にその光景が脳裏に浮かんだ。

 欲に駆られ力を欲し、父親を殺して国の簒奪を企てた。

 反逆者 ジャック・ジェーナイト。彼が放ったその言葉。


 あの時感じた。圧倒的な力の差。目の前を覆った絶望感。

 今のこの状況はあの時の状況とよく似ていて。

 敵わないと諦め掛けた。圧倒的な力を前に。絶望を前に、全てを投げ出そうとした。あの時と同じ――


「……ッ」


 手にしたフレイをグッと強く握り締める。

 襲う激痛に耐えながらレイズはゆっくりと立ち上がった。


「ふぅー……」


 フレイを自身の正面へと構え、深く深く呼吸をする。


 本当の事を言ってしまえば。フレイを振るうあの人の姿を自分は知らない。

 まだ幼かった事もあり、この目にいつも映っていたのは『英雄』としてのあの人ではなく、優しく笑顔の絶えない『父親』としての姿だったから。

 だから誰かが言うように「フレイを使いこなせていない」と言われても、正直ピンとは来ないもので。使い方はおろか、劫火の剣と謳われた『フレイ』の本当の価値やその真の力でさえ、本当の所はよく分かってはいない。


 持ち主というには、あまりにも知らない事が多過ぎて。分からない事が多過ぎて。

 あまりに半端で無責任で。何よりも自分はずっと未熟で。


 だから今でもそう、思うんだ。

 自分はこの剣を持つべきではないのかもしれない、と。


 けれど、あの時。フレイは確かに自分に応えた。

 半端な自分を持ち主だと確かに認めてくれた。


 だから――


 たとえ、誰もが望む英雄になどなれなくても。

 あの人の同じ道なんて歩めなくても。

 それがどれだけ無様だとしても、構わない。


 あの人が残したこの剣が、そんな自分を真の持ち主だと認めてくれるのならば――


 自分自身が、真にそう在りたいと願うのならば――



***



 轟々と鳴る風の音だけがただ聞こえていた。


 眼前には旋風を纏った冷酷な巨鳥。

 その中心にはどんどんと膨れ上がっていく巨大な風の塊。

 それは今やいつ放たれてもおかしくはなく、次の瞬間には身体は塵と化すかもしれない。そんな状況もとに自身は今晒されているというのに。


 何故だろうか、心は不思議な程に冷静で。

 両手でフレイを構えた瞬間から。

 先程までの恐怖や焦りを全く感じない。

 心はさざ波一つ無く、水を打ったよう湖面のように静かだった。


 ――思い出せ。

 あの時感じた感覚を。

 血を沸き立たせ全身を焦がす程のあの熱を。全身で感じたあの力を。


 自分自身を中心に全てを焼き尽くした灼熱の劫火を――


「――――――――!!!!」


 巨鳥が高く嘶いた。

 それと同時に、巨大な風が放たれる。

 フレイの炎が大きく揺れた。


「うぉおおおぉおおぉ!!!!」


 レイズは勢い良くフレイを地面へと突き刺した。

 その瞬間、レイズ自身を中心に炎が大きく噴き上がる。

 噴き上がった炎は勢い良く燃え上がり、逆流するように風の壁を這う。渦巻く旋風をも巻き込んで、そこに在る全てを飲み込んでいく。

 空気を焦がし灼熱となり、炎は巨大な渦となってフィールドを覆う。


 炎華が咲き誇ったフィールド内。

 その視界は劫火に染まった。

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