第43話 東からの警鐘
「おはよう、ハル」
「おはよう、ラック」
いつものようにラックと朝の挨拶を交わす。
空はいつものように快晴で、海は瑠璃色にきらきらと揺れている。
ここは連日は何かとドタバタ続きだったとは言え、1日の始まりはいつも穏やかなものである。
しかし、この日はいつもとは少し様子が違っていた。
突然、後方の甲板の方が騒がしくなる。そちらに視線を向ければ、乗組員達が口々に何かを叫びながら後方へと駆けていくのが見えた。どうやら海から何かを引き揚げたらしい。
「なんだろうね?」
いつもとは違う乗組員達の様子を前に私とラックもまた共に後方の甲板へと行ってみる事にした。
海賊船・クロート号、後方甲板。
そこには人集りが出来ていた。
「どうしたの?」
ラックが乗組員の一人に尋ねる。
「こいつが海の真っ只中を板切れに乗って漂流してたのさ」
人垣の隙間から見えた海から引き揚げられたというそれを見て私は思わず目を見張った。
そこには男が一人、仰向けに横たえられていた。
海を漂流していたというその男。衣服は上着を着ておらず、上半身は裸。その男の上体には黒い刺青のようなものが全身に渡って刻み込まれていた。
そんな騒ぎの中、何事だとアレンが人垣の中を割って入って来る。
「こいつが海の真っ只中を漂流してたもんで引き揚げてみたんですが……」
乗組員の一人がアレンにそう告げた。
海から引き揚げてはみたものの、男の異様なその姿に乗組員達はどうしていいのか判断が出来ず船長であるアレンに指示を仰ぐ。彼らの話を聞いておおよその事情を把握したアレンは男の姿を見て一瞬目を見張った。しかし、それはほんの一瞬の事でアレンはすぐに思案するように腕組みをする。
その時。カッと男が目を見開いた。
途端に一気に上半身を起こし、辺りを見回すような仕草を取る。
「おい、あんた大丈夫か?」
目を覚ました男に対し乗組員の一人が声を掛けた。
「ここは……?」
「ここは船の上だよ。あんた、海の真っ只中を漂流してたんだ。大丈夫か?」
声を掛けられた男は放心状態といった感じで唖然と宙を見詰めた。「生きていて良かった」と乗組員達が口々に言い合う中、男は自身の掌に視線を落とす。
「あ……ああ……うああぁあああっっ!!」
すると突然、男が叫び声を上げた。
男は恐怖に満ちた顔で傍に立つアレンにのコートに掴み掛かり、懇願するようにすがり付く。
「頼む!コレを、コレを消してくれ!」
「お、おい、どうした……!?」
「コレを消してくれ!じゃないと俺は……俺はあいつらみたいにっ」
「お、おい、落ち着けっ」
男の異様なその様子にさすがのアレンも動揺する。
落ち着くようにと男を促すが、彼は全く聞く耳を持たない。男はこの刺青を消してくれ!としきりに喚いた。
「……っ!」
しかし、何かに怯えるかのように喚いていた男が急にそれをやめた。
男はアレンのコートから手を離す。かと思うと、突然悲鳴を上げて苦しみ出した。
あれは目の錯覚だったのだろうか。
男が喚くのをやめた瞬間、一瞬だけ男の刺青が光ったように見えたのは。
その直後、男の身体から突然炎が上がった。そしてその炎は一瞬にして男の身体を包み込む。
「ーーっっ」
真っ赤な炎に包まれ焼かれ、熱さに男は苦しみもがく。
突如として上がったその炎にその場にいた誰もが驚愕した。周りに居合わせた乗組員達はすぐに火を消そうと着ていた上着を脱いで男に被せようとする。しかし、のたうち回る男の炎はなかなか消えず、それどころかその火はますます激しさを増していった。
「たすけ……て……」
その言葉を残して炎は消えた。残ったのは、先程まで男がいた甲板の焦げ跡だけ。男は炎と共に跡形もなく焼失してしまったのだった。
「どういうこと……?」
一体何が起きたのか。突然の事態に甲板はどよめいた。
無理もないもない事だった。人の身体から突然炎が噴き上がり、それに焼かれて男が一人完全に消えてしまったのだから。誰も我が目を疑い、互いに顔を見合わせる。
それはとても奇妙な光景だった。消失した男の身体は海水に濡れ、甲板にも火の気など一切なかった筈なのに。あまりに一瞬の出来事にまるで夢でも見ていたかのような気分になる。
「諸君、注もーく!」
その場に居合わせ誰もが驚愕の表情を浮かべる中、アレンが唐突に大声を上げた。それにより乗組員達の視線が一斉にアレンの元へと集まる。
「さて、諸君。言いたい事が各々あるのは分かる。正直なところ俺も状況がイマイチ理解出来ていないし、今実に驚いている」
アレンはまるで平静を装うかのようにいつもの調子で淡々と述べる。
「だが、だからといって船の航行をおろそかにしてはならない。全員速やかに持ち場に戻れ。各々仕事に戻るんだ」
アレンはパンパンッと両の手を叩いた。そして、居合わせた乗組員達に通常業務に戻るようにと促して、とりあえずなんとかはその場を収めたのであった。
***
その後、しばらくして私はアレンの船室へと呼ばれた。
コンコンコンとノックを3回。「失礼します」と一声掛け、船長室の扉に手を掛ける。
扉を開けると、そこには既に先客がいた。そこにいた先客とは、深刻な顔をしたレイズ・ローゼルだった。
一体どうしたというのだろうか。
首を傾げる私をよそに、レイズはアレンに向かい神妙な面持ちのまま口を開く。
「ヴァンドール」
「どうした、レイズ?」
「行きたい所がある」
レイズは唐突に申し出た。その申し出に対しアレンは机上へと落としていた視線を上げる。
「お前が行きたい所とは珍しいな。どこだ?」
「ブラインド大陸北西、ディーレフト国だ」
「ほう。なんでまたそんな所に?」
「………」
レイズの申し出を聞いたアレンはその理由を問い質した。しかし、レイズは口を噤んだまま答えない。
現在地はブラインド大陸・プリフロップに向かう途中の東の海上。ディーレフト国と言えば確か大陸の北西に位置する国の名前だった筈だが。
「頼む、ヴァンドール。……どうしてもディーレフトへ行きたい」
そう言ったレイズの様子はいつもとはだいぶ様子が違っていた。レイズのその姿から何か切迫したものが感じられる。こんなレイズは珍しい。ましてやアレンに頼み事をするなんて今まで一度も見た事がなかった。
レイズの申し出を聞いたアレンは思案するように腕組みをする。そう長くない沈黙が流れた。そののち、アレンは唐突に口を開く。
「金が無い」
「……は?」
アレンの口から出た言葉に思わずぽかんとしてしまう私とレイズ。
「だから今は金が無い。
ジョン・クライングコールの手の者や海軍が追って来るにしたって航海を続ける以上、先立つ物が無ければ話にならない訳で。故に今は目的地に向かう事よりもまず、航海資金を調達するのが最優先という事だ。だから――」
言ってアレンは席から立ち上がる。
「儲かる仕事の情報でも収集しに行くとするか。進路少し北に、ディーレフトへ」
諸々の事情がありはしたが、アレンはレイズの申し出を了承した。
しかし、そんなアレンの了承を聞いても尚、レイズの表情は依然強張ったままだった。
進路は目的地をやや北に逸れて北西。ブラインド大陸はディーレフト国へとクロート号は舵を切った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます