第28話 再幕・大疾走劇(前編)

 時計台の鐘が鳴る。

 広場の中央に堂々と置かれた時計台が時刻を告げた。それと同時に快晴の空に向い無数の花火が打ち上げられる。

 青空に咲いた色取り取りの花。中央広場に集まった人々から歓声が上がった。中央広場は歓喜に包まれる。

 

一体何が始まったのか。


 驚いて辺りを見回せば、ふと近くにいた地元の住民とおぼしき人物達に目が止まる。

 彼らが青空に咲いた花火に目を奪われていたのはほんの数秒で。

 その花火を合図にしたかのように、彼らはおもむろにどこからか丸いボールの様な物を取り出した。丁度握り拳大のそのボール。彼らはその丸いボールのような何かを取り出し、そして――近くに立つ人物に投げ付けた。

 染料を撒いて弾けたボールが、着ていた衣服を青く染める。それに、お返しだ!とばかりにボールを投げ付けられた人物もまた、どこからか丸いボールを取り出しそれを投げた相手に投げ返した。同様に今度は黄色の染料が真っ白だった衣服を明るく染め上げる。

 青と黄色に衣服を染めた2人の住民。

 彼らはゆっくりと相手に近づくと、どうしたか。

 カラーボールを投げ付けあった当人達は嬉しそうに笑顔で抱き合った。


 その奇妙な一連の行動は彼らだけには止まらず、まるで何かが弾けたかのように至るところに拡散していく。


 そこかしこで、まるで何かに洗脳されたかのように勃発し始めたカラーボールの投げ付け合い。

 彩り取りの花びらや紙吹雪が舞い、鮮やかな染料が空を染める。

 飛び交うカラーボールは鮮やかな色を撒いて厳かだった中央広場を瞬く間に染め上げていった。


「………!!??」


 そんな光景にぽかんと開いた口が塞がらない。

 打ち上げられた花火を合図にして至るところでカラーボール合戦が始まった。



 ***



 一体何が起きている?

 時刻を告げる鐘を皮切りに突如として始まったカラーボール合戦。

 歓喜と異常な熱気が渦巻く中央広場。

 その異常な光景に私はただただ放心状態で立ち尽した。


「何事だ!?一体何が起きている!?」


 突然の事態に困惑する海軍兵と共にザガン中佐もまた驚愕の声を上げる。


 辺りには無数に飛び交うカラーボール。

 多彩な色に染まりながらも音楽に合わせて楽し気に踊り出す女性に、同じく頭から仲良くピンク色に染まった花びらや紙吹雪を撒く老夫婦。中には色付きの粉を盛大にぶちまける若者達までおり、辺りはまるで煙幕を焚かれたかのようになっている。

 混乱、いや混沌。

 カオス、いや寧ろクレイジーだった。

 至るところで撒かれる染料の類によって人も街も空でさえも色鮮やかを通り超し極彩色に染め上げてられていく。


 何が起きているのか全く理解出来ない。

 というか寧ろ、その圧倒的な迫力は人知を越えている気さえした。


「ザガン中佐ー!!」


 そんな混乱の最中、東の寺院へと続く通りから1人の兵士が駆けて来るのが見えた。そして駆けて来た兵士は耳を疑いたくなるような言葉を発した。


「アレン・ヴァンドールが逃げました!!」

「なにぃ!!??」


 またしても驚愕するザガン中佐。

 それと同様に私もまた驚愕した。

 あれだけ逃げない、逃げる訳がないと豪語していたのにも関わらずアレンはまさかこんな状況の中、船や仲間や私を置いて1人で逃げたというのか。

 信じられないアレンの行動に本当にどうしていいのか佇まいを失う私。

 ザガン中佐もまた、まさかのアレンの行動に言葉失っているようだった。


 楽し気な笑い声と共に歓喜と熱気に中央広場は白熱する。

 事態はいよいよ混乱を極め、いよいよ誰の手にも負えなくなる。


「どうしますか、ザガン中さ……っ!?」


 混沌渦巻く緊急事態の最中、上官の判断を仰いだ兵士の言葉が突然不自然な形で途切れた。


「これはこの土地の祭りだそうだ」


 背後から誰かがそう答えた。

 かと思うと、私の後ろにぴったりと張り付いていた見張りの兵士が突然倒れる。そしていきなり何かに腰の辺りを捕まえられた。何が起きたのかと背後を振り返れば、そこには先程逃げた筈のアレンの姿があった。


「アレン船長!?」

「アレン・ヴァンドール……これは一体どういう事だ!!??」


 逃げたと思いきや突然姿を現したアレン。

 ザガン中佐が怒りの声を上げる。


「言っただろ、これはこの土地の祭りだって。

 もともとは豊作祈願の祭りだったらしいが、それが古くから伝わる伝説や儀式、伝承なんかと混ざって今では色付きの水や粉を掛け合って悪鬼を追い払うという形になった、それはそれは伝統あるクレイジーな祭りだよ」

「そんな事はどうでもいいっ貴様、図ったのか!?」

「図っただなんてとんでもない。まさか俺が今日から2日間この祭りがここ、クワッズ共和国・東海岸で行われると知っていた、なんて。そんな事ある訳がない」

「貴様っ……私を騙したな!?」

「騙しただなんて人聞きの悪い。ただ、突然発生した不測の事態によってあんたとの約束は守れそうになくなったってだけだ」


 いやいやいやいや。アレン船長は祭りの事を知っていたじゃないか。

 そして恐らくはそれがどんな祭りなのかも。それが始まればどういった事態になるのかも。全ては計算されていた筈で。

 世間ではそれを図った、もしくは騙したというのだ。

 内心、そうツッコミを入れつつザガン中佐を見れば、中佐はわなわなと肩を震わせ怒りを露わにしていた。


「おのれ……アレン・ヴァンドール……っ」


 ザガン中佐は腰に差した装飾の美しい剣に手を掛ける。そしてそれを引き抜いくと、勢いよく斬り掛かって来た。

 そんな中、腰にあったアレンの手が急にスライドして肩を抱く。グイッと力を込められれば、重心が下がってそれにより体制は屈む形となる。

 それとほぼ同時に無数の何かが背後から前方へと飛んで行った。

 それは斬り掛かって来たザガン中佐の顔面に向い、見事にクリーンヒット。ザガン中佐はカラーボールによる盛大な目潰しを喰らった。


「アレン船長……背中に目でもついてるんですか!?」


 もはや神業としか言えないような絶妙なタイミングで屈んだアレンに対し私は仰天してしまう。


「おのれ……ヴァンドールっ!!」


 顔面に盛大にぶちまけられた色水を拭いながらザガン中佐は無茶苦茶に剣を振り回した。


「それじゃあ、ザガン中佐。悪いがこれは返して貰うよ」


 そう言ったアレンの手にはいつの間に取り返したのか、しっかりとホープ・ブルーと地図が握られていた。


「貴様っよくもっ……」


 それを直接見ずとも事態を察したザガン中佐は慌てて顔にへばり付く染料を拭おうとした。しかし、そんなザガン中佐にまたもや別のカラーボールが無数に投げ付けられる。容赦ないカラーボール攻撃に晒されたザガン中佐は瞬く間に鮮やか極まりない色に染まっていった。もはや海軍中佐の威厳も何もあったものじゃない。なんて惨い。


「では、ザガン中佐と海軍諸君。後の事は俺に任せて祭りを存分に楽しんでくれたまえ」


 アレンはザガン中佐にそう言うと、改めて屈んだ体制のままの私に向き直った。


「さて、ハル」


 そして彼は2度と聞きたくなかった台詞を笑顔で吐いた。


「逃げるとしようか」



 ***



「さて、ハル。逃げるとしようか」


 どこかで聞いた事のある台詞をまたしてもにこやかに吐いたアレンに続いて、私は街の大通りを駆け抜ける。


 またしても幕を上げてしまった大疾走劇。


 アレンはこれはこの土地の祭りだと言っていた。伝統ある祭りだと。

 しかし、目の前に広がるこの光景。カラーボールによって色鮮やかに染まった街並みはどう見ても異常事態にしか見えなかった。


 広場の外でもカラーボール合戦は滞りなく行われいた。

 街中の住民が互いに手にしたカラーボールを投げ付けあっている。

 中にはそのカラーボールの中身であろう、色の付いた水を水鉄砲のような物で撃ちまくる者、大きなバケツに色水をいっぱいに溜めて道行く人にかけまくっている者までいる。色水を頭から被ったのであろう、もはやピンク色の海で泳いで来たんじゃないかと思われるくらいに全身ずぶ濡れでピンク色に染まった人まで見受けられた。

 どう考えても祭りというよりはカオスな状態になっているといった街中をとにかく投げ付けられるカラーボールを避けまくりながら必死になって駆け抜けていく。


「いたぞー!」


 後方からピーッと号笛を吹く音が聞こえた。その音に背後を振り返ると、制服をカラフルに染めた海軍の隊員達が追い掛けて来ていた。ピーッピーッと吹き鳴らされる号笛を聞いて方々に散らばっていた隊員達がわらわらと集まって来る。


「ひっ……」


 その光景を目にし私は更に足を早めようとした。だが、その前方、そこにも号笛を聞いた海軍隊が駆け付けてくる。


「おっと、これはちょっとまずいかもな」


 前方と後方。アレンと私は大通りで駆け付けた海軍隊に挟まれる形となってしまった。


「さすがに数が多いな」


 背中合わせとなるアレンと私。


 これはやばい。非常にヤバい。

 身軽で予想外の動きをするアレンはさて置いて、いくらなんでもこの人数、非戦闘員である私にとってはとても切り抜けられる数ではない。


 そういえば、アレン船長って戦えるんだっけか?

 こんな状況下、ふと、そんな疑問が頭を過る。

 そういえば、そうである。アレンが戦っているところなど、今まで一度も見た事がない事に気が付いた。

 アレンはいつも、普段はあんなに偉そうにしている癖に戦闘になるといつも後ろへと引っ込んでしまう。そして、ラックやレイズやフォクセル達、果てはアンティにだけ戦わせておいて、自分自身はいつもおいしいところばかりを持っていっているような気がする。

 非戦闘員である自分も人の事は言えないが、アレン船長はそれでいいのか?

 仮にも海賊。仮にも船長なのに!


 そんな事を考えていると、かかれー!と目の前の海軍隊が津波のように押し寄せて来た。

 戦う、という選択肢は論外。

 逃げる、という選択は出来ない。

 おとなしく投降、もしくは無惨に殺られる。そのどちらか。寧ろ後者しか選択出来ない状況だった。


 ああ……もうダメだ……

 そう思い、私は固く目を閉じた。


 異世界生活the end。そう思われた。


 その瞬間、熱風が辺りに渦巻いた。


「ぐわぁああ!!」


 すぐ近くで海軍兵のものと思われる悲鳴が上がる。


「全く、何の騒ぎが始まったのかと思って来てみれば……一体どんな異常事態だよ」


 私は恐る恐る目を開けた。

 そこには、めらめらと燃える炎の剣を手にしたレイズの姿があった。


「これはー体どんな状況なんだよ?」


 目の前の海軍の大群を見てなのか、それともカラーボールの投げ付け合いにより彩り豊かに染まった街の異常な光景を見てなのか。レイズは明らかに困惑した顔で問い掛けた。

 それに対し、アレンが私の背面から答える。


「おー、レイズ!ここに来たって事はそっちはもう片付いたのか?」

「突然、街の方が騒がしくなったからそっちはフォクセル達に任せてこっちに来たんだよ!」


 アレンの問いにぶっきらぼうにレイズは答えた。


 ……て、そんな事よりも。


「レイズさん!剣!剣!!」

「あ?」

「剣が燃えてる!!!!」


 私はレイズの手にした剣を指差し叫んだ。その剣をは刀身が赤い炎に包まれ、メラメラと燃え盛っている。

 絶対熱いってそれ!!

 

しかし、驚愕する私とは対照的に当のレイズはというと。ああ、これか。としれっと答えただけ。

 リアクション薄っ。


「熱くないんですか!?それ!!??」

「俺は熱くねぇよ」


 私の大いなる疑問にレイズは至って冷静にそう答える。


「これは“俺の物”だからな」


 そう言ってレイズは再び炎の燃える剣を構え直した。


 ……ま、まあとにかく。なんで剣が燃えているのかは物凄く謎だが、当の本人が熱くないと言っているのだからここは一先ず置いておこう。

 とりあえず今はこのピンチをどうにかして切り抜けなくては。

 色々とレイズに対して聞きたい事はあったのだが、今はとりあえず目の前の海軍の団体に集中する事にした。レイズの剣に注がれていた視線を再び海軍兵の方へと戻す。

 レイズの登場により一瞬怯んだかに見えた海軍。しかし、そこはやはり多勢に無勢。数の力で圧倒的に勝る海軍はまだまだやる気だ。


 再び押し寄せて来た海軍の兵士達。レイズはそれを炎の剣で振り払う。刀身を燃やす炎が宙に舞い、熱風が団体を後方へと押し返す。レイズは素早くアレンの前へと回り込み、前方を塞いでいた海軍隊の壁を薙ぎ払った。


「急げ!もたもたしてると置いてかれるぞ!!」


 レイズが開いた道へと私はとアレンは再び駆け出した。

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