サルビアとガーデニア 小説家志望の彼女と私 番外編

美木間

番外編1 シベリアのウドン粉料理1

「先輩、凪田なぎた先輩」


 かけられた声に振り向くと、大学時代の文芸サークルの後輩貝原沙羅かいばらさらが、ミュージアムショップの袋と、丸めたポスターを抱えて立っていた。


 世田谷文学館のゆったりとしたエントランスホールで、所在なげにうろついていた私を、彼女の声はなつかしさで捉えた。


「お久しぶりです。夏原ノエ先生の講演会の時は、ご来場いただいてありがとうございました。お礼もそこそこになってしまっていて、申しわけございませんでした」


 親しみのこめられた礼儀正しさ。

 私はどう答えたらよいのか迷い、それから、


「行きたくて行ったんだから、そんな風に言ってもらわなくても」


 と、無難に受け答えた。


「なら、よかったです」


 貝原沙羅は、にこっとすると話しだした。


「これ、今回の展覧会のポスター、もらっちゃいました。図書館で掲示しようと思って。受付の人に話したら、そういう目的でしたらどうぞって。もともと図録を買った人に差し上げてたんだそうです。当初の配布分が終了したんで、そういった掲示がされてなくて。前にもそういうことがあったんで、きいてみたんです。あ、でも、ちゃんと図録も買ったんですよ」


 貝原沙羅は、ミュージアムショップの袋を掲げてみせた。


「先輩は、今来たとこですか」

「ん、ちょっと気分転換」

「締切、たいへんですか」

「まあ、そんなとこ」

「プレコンテストの作品集、読みましたよ。ぺリメニの話、美味しそうでしたね」

「え、そこ」

「はい、そこ、です」


 私は、拍子抜けして、彼女を見つめる。


「そういえば、『放浪記』の林芙美子も、ぺリメニ多分食べてますよね。彼女、勢いと情熱の人だったから、シベリア鉄道に乗って道ならぬ恋を追いかけてパリまで行ったんですよね。旅行記があるんですよ、先輩読みました? 昭和のはじめ頃に、たった一人で、ほとんどお金も持たないで、列車に飛び乗って恋しい人のところに向かったなんて。しかも若気の至りって年頃じゃなかったんですよね。すごいな。希望の灯が、ほのかにでも見えたからって、ひょいっと現実生活から恋愛夢想世界に飛び移ってしまったんですもんね」


 のんびりとした口調で、彼女は、間断なくしゃべり続けている。

 学生時代に較べると、ずいぶん語彙が増えたように思う。

 語彙が増えたというか、身について使いこなせるようになったのだなと訂正する。

 文学部で文芸サークルだというのに、入りたての学生たちは、使いこなせる言葉が決まりきっていた。

 受験勉強で身につけた言葉は、小論文用の書く言葉で、自分の言葉ですらなかった。

 それに気がついたら、大学四年間でその言葉のくせを、いったん書く言葉の貯蔵庫にしまっておいて、語る用、創作用の言葉を修得していく。

 それが、彼女は、うまくいったのかもしれない。

 かくいう私も、読書と趣味の創作で培った頭でっかちな言葉つかいだったけれど。








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