第106話 黒い巨人は地で完成する

 崩壊する塔に紛れて、黒い魔人が地に落下していく。まともに爆炎を浴びて、塔から手が離れてしまい、重力にそのまま捕らわれる。いくら強化されたといえども、この高所から地面に激突すれば、決して無事では済まないだろう。


(とんでもないわね、アカは)


 極限まで濃縮されてから放たれた竜の勇者の劫火は、バリエラの予想をはるかに超えて、黒い魔人を吹き飛ばすほどだった。あれほど厄介だった黒の魔人を叩き落とすほどの一撃。ただ、一つ惜しむらくは……。


(私たちも巻き込まれてなかったら、完璧だったんだけど!)


「バリエラさぁああん、……どう、しましょぉぉおお!?」


「なによ、カナリナ!? うまく聞こえないんだけど!?」


 掠れた声と落下の風圧のせいで、カナリナの細い声など消し飛んでいる。口だけ見れば、地面が、地面が、とわめいているように見えた。そんなことは分かり切っている。


 このままだと落下死する。


「私が聞きたいくらいよ!? どうすればいいっていうのよぉおお!」


 アカが生み出した黄金色の太陽の爆裂は、バリエラたちまでも吹き飛ばしていた。結界を展開したところで、床ごとがされてしまっては意味が無い。空へと投げ出されてしまった二人には、手をバタつかせるくらいしか重力に抵抗できる方法がなかった。


 風魔法であれば落下の勢いを弱められる。だが、魔力は枯渇していた。絶望しかない。


「ちょっと、アカぁああああああ!?」


「なんだ?」


 助けを求めようとした矢先で、背中を不意につかまれる。顔を上げると、竜の勇者であるアカが傍にいた。どうやら爆風に巻き込まれたのを察して、動いてくれたらしい。もう片方の手では、カナリナの服もしっかりと掴んでいる。


 落下する二人よりも速く、空を滑空した竜の勇者は回収を終えると、今度は翼を大きく広げた。風圧で翼の皮膜が大きく形を膨らませている。


 どうにか助かりそうだった。そう安堵したバリエラを、アカの余計な一言が氷漬けにする。


「ぐっ、加速しすぎたか。流石に勢いを殺しきれん」


「ちょ!? ちょっと!?」


 救助のために超加速したアカだが、その勢いは逆にバリエラたちの落下を早めてしまっていた。急いで減速するものの、もう地面が見えている。


「バリエラさんっ!? 水辺が、ありますっ!」


「いや、それでも打ちつけられたら死ぬわよ!? カナリナ」


 地面が近くまで迫ってきて、アカが落下地点に向けて大きく炎を放射する。間近で噴射される火炎のせいで、バリエラは再び火傷しそうになったが、落下の勢いは大きく弱まった。そのまま塔の周囲にできていた水堀に突っ込み、バリエラたちは大きな水飛沫を立ち上げた。


 その直後に、同じく塔から落下した黒い魔人が、別の場所で水柱を立てる。背中から水に突っ込んだ魔人は、あまりに巨体すぎたせいで、水中に収まりきれていない。腕の一部は水堀の外に飛び出し、地形を陥没させている。


『やってくれましたねぇ』


 巨大な黒い肉体がじり動く。水を流し落としながら、倒れていた黒い魔人は起き上がった。深い堀であるというのに、上半身は水面から抜け出ていた。


 不敵な態度は崩さぬまま、それでも執着心を燃やすように、魔人は水面に視線を漂わせる。塔の外に出されたといえども、今の魔人であれば、賢者たちを捻り潰すのは容易だった。だが、荒れて波立った水面が邪魔をする。


 塔内では、あらゆる場所を自在に視ることができていた目も、外では融通が利かなくなる。その事実は、それまで万能感の中にいた魔人を苛立たせた。


 そして、傲慢は大きな隙を生む。当然、背後から忍び寄っていた水中の影にも、黒い魔人が気づくことはなかった。


『――んな!?』


 突如、前のめりになって、黒い魔人は姿勢を崩す。脚の一本を何かに咬みつかれ、物凄い力で引っ張られていた。


『何かいますね!?』


 焦り故か、当たり前のことを魔人は口走る。残りの脚を総動員して抵抗しても、水中の敵はビクとも動かない。この時点で黒い魔人から余裕は消えた。


 挟まれた足が強く横に揺さぶられる。思わぬ力に魔人は上半身を塔に叩き付けられ、壁の一部を崩壊させる。更に逆側に揺さぶられて、今度はじりも加わったのか、咬まれた足が引き千切られる音がした。


『――くぅっ!』


 水堀の外側へと倒れ込んだのを機に、魔人はジタバタと身体を地上に引き上げようとう。しかし、簡単には逃がさぬと白銀の大顎が、水面を割って出現する。


 異世界人が連れてきた機械仕掛けの怪物たち。その一体である超弩級爬虫類型マキノスクス。巨大なわにの姿のとおり、水中戦も得意としていた。超弩級爬虫類型マキノスクスは水辺から脱しようとする黒い巨体を獲物と定め、右腕の一本を奪い取るために牙を立てる。


 捕食者と被捕食者の争いが展開されていた。理不尽な力を得たはずの魔人は、地の利を得ている機械の怪物に抵抗を許されない。


『こんなはずでは!? まだ足りないとでも!?』


 鉄仮面のおかげで表情は変わらないが、声色は既に恐怖と焦りをにじませる。自信と呼べるものは、とっくに崩れ去ってしまっていた。


 圧倒的だと思っていた今の肉体が、よく分からない白銀の怪物に対して成す術がない。その事実が魔人には認められなかった。自分が敗北するわけがない。敗北する理由がない。そのようなことが許されてはいけない。


 現実を受け入れられない思考が、何度も何度も繰り返されて、魔人の心を暴走させていく。


 まだ足りないのか、なら奪わねば。それでも足りないのなら、さらに奪う。いったいどこから奪おうか? この状況で、いったいどこから新たな力が奪える? 奪えなければ私が奪われてしまう。


 塔内では得ていた全能にも近い能力が、塔の外ではほとんど機能しない。これまで保てていた自尊心は既にスタボロにされていた。


 かつての灰色の魔人のように、戦いによろこびを見出せるのならば、まだ心は持ち直せていたことだろう。だが、嗜虐を好む黒い魔人にとって、自らが攻め立てられるというのは、ただの苦痛でしかない。


『あぁぁぁああああああ゛ああああああ』


 鉄仮面から奇声を上げ、咬まれた腕を自ら引き千切って、黒い魔人はあえて水に残り、塔のほうへと移動した。そして、残った右腕を塔に接続する。どくりどくりと血脈のような音を立てて、塔から何かを吸収していく。


『私にはぁ゛誰にも及ばない゛いいいいい』


 狂気の混じった雄叫びと共に、黒い魔人の左の多腕から閃光が生じる。どこに飛ばすでもなく、その場で巨大な光が爆発した。自暴自棄になって引き起こされる大爆発は、超弩級爬虫類型マキノスクスどころか、周囲の地形や塔すらも巻き添えにして、可能な限りの全てを吹き飛ばし尽くす。


『ああ゛ああああああああああああああああ』


 爆発の衝撃波により塔は根元から倒壊していく。落下する瓦礫は存在を吸い尽くされたかのように、地に辿り着くときには塵に変わっていた。水の勇者が生み出していた渦も、地形ごと吹き飛ばされたらしく、水堀ごと失われている。


 舞い散った灰が、再び何もない爆心地に積もっていく。残ったものは塔の壁の断片と巨大な窪地くぼち、姿を変えた異形の黒い巨塊。それから、もう一体。


『――呼ばれて来てみれば、見苦しいですねぇ。同じ私であるのに』


 鉄仮面をした黒い巨塊の前で、大蛇にまたがった別の鉄仮面が話しかける。どこかの王族を思わせるような王冠と、派手な衣に身を包んだ漆黒の姿。大斧を肩にのせた、もう一人の黒い魔人は半狂乱の半身を侮蔑する。


『油断しすぎましたか? 侮ってはいけない相手に、このざまですか? ふふふふふふ』


『な゛にが可笑しい!?』


『余裕すら忘れたようですねぇ? ……まったく愚かです』


『ならば、お前が戦ってみろ゛。この欠陥品の肉体でっ! お前にも扱いきれないはずだっ!』


『扱いきれないのは当然じゃないですかね? 私自身が欠けているのですから』


「なに!?」


 王冠を被った黒い魔人は、自ら乗る大蛇を黒い巨人の肉体に巻き付かせる。そして、自身は巨人の額まで移動した。


『そういえば、貴方は比較的、新しい個体でしたか。我々が集わなければ、肉体は真価を発揮しないのですよ。まぁ、一人欠けてしまいましたがねぇ。それでも十分です。さあ、最後の進化を遂げましょう』


 広い額に自ら飛び込むように、もう一人の黒い魔人は巨塊の中に入っていく。巻き付いていた大蛇も、黒い肉塊の中に溶けていく。


『『さあ、全ての準備が整いましたねえぇぇ』』


 声を二重にこだまさせて、黒き怪物は変貌を遂げていく。無駄に生えていた右の多腕は束ねられて、屈強な一本腕へと生まれ変わる。千切られた脚部は再生し、蜘蛛のような長足となって地を踏んだ。頭も数が増えて、双頭の鉄仮面が睥睨へいげいする。


 膨れ上がる巨大な肉体は、これまで以上に肥大化し、もはや超弩級爬虫類型マキノスクスですら小犬に感じられるほどの化け物となった。


 一本となった右腕に、黒い魔人は巨大な斧を出現させる。四本のままの左腕には鍵爪のような細い指が生え揃う。


『『究極の真の肉体となった私に敵はありません。勇者よ、賢者よ。ここからが本当の蹂躙ですよ。ぜひぜひ味わってください』』


 天に迫る高さで、黒い双頭の魔人は戦いを告げる。振りかぶられた大斧が、朱色の雲をかき混ぜて、それから地を割るように下ろされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る