第90話 賢者は魔物の少女と出会う

 増殖する黒い茨やつたが、超弩級爬虫類型マキノスクスを白銀の鱗ごと覆い尽くしていく。止めることはできない。超弩級爬虫類型マキノスクスの上にいる以上、逃げ場も存在しなかった。


「――力、借ります!」


 最も近くにいたルーイッドは、炎の勇者の剣の柄を強く両手で握り締める。呼応するように剣の表面から赤い炎が筋となってほとばしった。ここで黒い樹海を破らなければ、呑みこまれるしかなくなる。


 一気に剣を大きく振り抜く。真正面から縦に両断するように描かれた剣閃から、爆ぜる炎が噴き荒れた。焼かれる黒い植物たちは苦しそうに、その身を焦がし、臭気と共に灰へと変わっていく。


 だが、こちらの攻勢はそれまでだった。周囲に水があることで、空気に含まれた湿気たちが火の勢いを弱めていく。いつしか炎と黒い植物たちは拮抗し、やがて樹海の増殖のほうが上回った。勢いを止めきれない。


(……! もう一度)


 目と鼻の先にまで迫った茨に、ルーイッドは再び剣を振り上げた。ここでもう一度、焼き払えば、まだまだ巻き込まれずに済むはずだった。


「じゃじゃーん、なんか出番な気がしたからって、うえ゛ぇえええええええええ!?」


「――アルエッタ!? なんで」


 何で出てきたと言いかけたせいで、ルーイッドが剣を振り下ろすタイミングは、ほんの僅かに遅れていた。そのズレが増殖する余裕を黒い植物たちに与えた。


 飛び散らすはずだった爆炎は、即座に土砂のように集まった茨によって鎮火され、ルーイッドへも蔦やつるが襲い掛かる。腕や足、胴に太い蔓が巻きつき、かっちりと賢者の動きを固定していく。


 当然、無造作に伸びる植物たちは、更なる増殖を続けている。もはや、草で編まれた籠の中に閉じ込められたかのようだった。


(くそ、ノルソンさんやレイラ様たちは……っ)


 後ろでは、黒い植物たちの増殖を二人が食い止めているに違いない。だが、捕まったルーイッドには状況を確認することさえ叶わない。


(なんとかして、ここから脱出できる方法は……)


「むがー」


 無我夢中で拘束を解こうと、身体をよじっていると、どこかから妖精の唸り声が聞こえた。目だけで視界を動かすと、上のほうでグルグル巻きに縛られたアルエッタが、つたを無理やり解こうと、じたばたしていた。


「無事だったのか、アルエッタ!」


「むぎゃー、なんか余計きつくなったぁ!」


「それは暴れすぎだよ……、まったく」


 不用意に現れて巻き込まれた妖精に思わず呆れ声が出る。だが、ルーイッドもじっとしているわけにはいかない。新たに絡みつくつたは増えてきている。鼻と口まで塞がれてしまえば窒息死は免れない。炎の剣が手から離れてしまったのが手痛かった。


 炎魔法で焼き切れないこともないが、この植物たちは魔力を察知しているらしい。少しでも魔力を込めるような真似をすれば、つたが集まってきて即座に締め上げてくる。精神の集中さえさせてもらえない。


「ねぇ、アルエッタ。君の力でこの植物たちって何とかできる?」


「無理ぃー」


「だと思ったよ」


 少しは落胆しながらも、それでも諦めるわけにはいかないと奮起する。せめて腕だけでも解いておきたかった。手が自由になれば、できることの幅が広がる。


 そうやって打開策を練っていると、植物たちのうごめきとは異なる別の音が耳に入ってきた。草木を踏みしめるような物音が、少しずつ大きくなってきている。


「…………!」


 ルーイッドは音のほうへ視線を向けた。黒々とした茨が重なってできた絨毯を、四肢に蔓草つるくさを生やした魔物の少女が、ゆったりと近付いてきている。焦点の合わない虚ろな目にもかかわらず、進行方向だけはルーイッドたちを真っ直ぐ捉えていた。


 来たか、とルーイッドは覚悟を決めるように大きく一呼吸する。おそらく、直接トドメを刺すつもりなのだろう。ならば、こちらは作戦を練るどころではない。無茶を力技で通すしかない。


「アルエッタ! ちょっと巻き込むかもしれないけど、ごめん!」


「えええっ!?」


 縛られた手の先で、強引に魔法陣を展開する。すかさず絡まった植物たちが、骨を砕くばかりの力で縛り上げてくるが、こちらも歯を食いしばりながら耐える。ここでやめるわけにはいかない。反動による激痛すら織り込み済みで、ルーイッドは膨大な魔力をつぎ込んだ。


 そして、イメージを形にする。生み出すものは爆炎。この場を焼き尽くすくらいの巨大な炎。どれだけ黒い茨やつたに呑まれようとも、全てを焦がし尽くす終わりなき業火。


「我は真なる炎を信じる者、世界に宿りし力よ、目覚めよ……」


 黒い植物の増殖を止めるためには、あの魔物の少女を一回で焼き払うしかないだろう。アルエッタのいる上方向への延焼だけには気を付ける必要はあるが、可能な限り全力の魔法を放たなければならない。


 だが、ルーイッドの思惑を見越したように少女の背後で、巨大な茨が大きく動く。鋭利な棘を槍先に見立てて、一直線に突き刺すつもりのようだ。極限まで注入した魔法陣を危険と判断されたらしい。


 しかし、それは想定内だった。ここまで溜めた爆炎ならば、接近する茨もろとも少女を焼き尽くせる。


「――大いなる炎よ、顕現せよ。立ちはだかる障害全てを焼却する赤き業火よ」


 つぎ込んだ魔力を全て、肌を焼くほどの灼熱に転換する。強化の奇跡で更に火力が増した、高熱の光球がルーイッドの手に出現した。あとは茨の槍と魔物の少女、この二つが同一線上に来たら放つのみ。


 ついでに引火した炎で腕にまとわりついた蔦を焼き切っておく。両腕が動かせるなら狙いは問題ない。問題ないはずであった。


「今、解き放――」


「ちょ!? ちょ、ちょっとルーイッドっ! あたしの出番を奪うなぁあああああああ」


「――!?」


 唐突なアルエッタの叫びに驚いて、せっかくの集中がぷっつりと途切れた。魔力制御に失敗したルーイッドの手元から魔力が霧散する。


(あ、やばい)


 炎の魔法陣が消えて、身を守る手段も消えた。つまり、残ったものは茨の槍に貫かれる結末のみ。頭から血の気が引いた。


(これ、死んだんじゃないかな……)


 諦観の念がよぎった。だが、その瞬間に茨の槍が急停止する。ほんのささいな揺れで鼻先に触れるような距離に凶悪な棘が見える。ルーイッドは固唾を飲んだ。死のイメージしか湧いてこない。


「と、止まった?」


「せ、セーフ。ルーイッドもギリギリセーフ」


「何がセーフなんだい? 死ぬところだったんだけど? アルエッタ」


「それについては、ごめんねー」


 ぐるぐる巻きにされたままのアルエッタが謝罪する。だが、今回ばかりは聞き入れられるほどの心の余裕はない。


「いったい何を考えたのかな? それと今、どうやって君の羽根を毟り取ってやろうか検討しているんだけど、いいかな?」


「わーわーわー、だ、駄目だぞぉ……。今回はちゃんと考えあってのことなんだからぁ、説明させて、ね? あの子は刺激さえしなければ安全だからぁー、多分」


「…………」


 多分って何だよ、死にかけたんだけど。と、心の中では不平を漏らしながらルーイッドは妖精を軽く睨んだ。だが、説明はしてもらわなければならないので促しておく。


「じ、実はねぇ、あの子からバリエラの気配が、ちょっとだけしてるんだー」


「――? バリエラの?」


 ルーイッドはいぶかしく思いつつ、ゆったりと近付いてくる少女の顔をじっと注視する。黒い植物と同じ髪色。髪質は人のそれではなく、どことなく葉のように平べったかった。手足の肌は樹皮のようだが、顔の周りだけは軽いひび割れみたいな線が入っているだけで人間により近い。だが……。


「いや、違うよ。あれはバリエラじゃない。面影もないし、そもそも背丈が違う」


「レイラの時とは状況が違うのー! そういう意味じゃないんだってばぁー。浄化の奇跡の気配がするって言ってるの」


「浄化の奇跡の? まさか?」


 そのときになって丁度、魔物の少女がルーイッドの前まで立った。どこを見ているのか分からない虚ろな表情で、じっとその場で佇んでいる。本当に攻撃するつもりは無いらしかった。


「……と、とりあえず、こんにちは? 僕たちを解放してくれると嬉しいんだけど」


「………………」


 少女は無言しか返さなかった。どうすればいいんだ、と魔物の少女との対話のやり方にルーイッドは困窮する。


「ルーイッドぉおおお、そこであたしの出番な気がするんじゃー。あたしを解放しろぉー」


 なんだか予測が的中して元気を出した妖精が、何かどうでも良さそうなことを叫んでいる。それよりも話の糸口になりそうなものは無いかと考えなければならない。アルエッタが言っていた浄化の奇跡の気配。もしかして、この少女はバリエラと会っていたのではないだろうか?


「ねえ、君、もしかしてバリエラって名前に心当たりはある?」


「――ァ――――」


 魔物の少女は初めて反応を見せる。か細い声だったが確かに、バリエラの名前に応じたようだった。試しにと思って、ルーイッドは自分の耳飾りを取り外す。バリエラに絶対に身に付けていろと脅されたイヤーカフス。これには結び石と同じ紫色の水晶が嵌め込まれていた。


 耳飾りを外して手元に置くだけで、魔物の少女は目をはっきりと動かす。間違いなく彼女はバリエラの力を感じ取っているみたいだった。うまくすれば、彼女からバリエラの情報が聞きだせるんじゃないかとルーイッドは期待を寄せる。


「どりゃああああ」


 だが、不意な横からの奇襲でルーイッドと少女のやり取りは一旦お預けとなった。アルエッタの飛び蹴りが頬に決まっていた。怒りで紅潮させた顔で、妖精はふんすかと両腕を上下させる。


「なんで拘束を解いてくれなかったのぉおおお! もう暴れまくって、自分で解いちゃったじゃん!」


「なんだ、最初から手を貸す必要は無かったってことだね」


「ぎゃああああ、ルーイッド、やっぱまだ怒ってる? さっき謝ったから許してよぉぉ!」


 怒りからの平謝りへの移行が物凄く早い。なぜ許されていると思ったのか聞きたいくらいだったが、ここまでの変わり身を見せられると呆れ返るしかなかった。


「うるさいな。許すとかそれ以前に、何かしたいから出てきたんだよね? 先にそれをやったらどうなんだい?」


「ああ、質問には完全ノーコメント。ルーイッド、ガチおこだ。分かったよー。分かりましたー。こっから真面目にするから、さっきのことは本気でチャラにして、ね?」


 手を合わせて媚びるように笑顔を見せつける妖精に、冷めた気持ちで視線を返す。睨まれたとでも思ったのか、アルエッタは大慌てで魔物の少女の頭に優しく着地する。そして、透明な四枚羽から、いつか見た虹色の輝きを飛ばし始めた。


「……で、今から何をしようとしてるんだい?」


「この子の中では今、激しい戦いが行われてるの」


 別に冗談を口にしているわけでないらしく、妖精は真面目な顔で答えてくれた。


「魔物の力と浄化の奇跡が、互いを押さえ込もうと必死に争っている。だけど、このままだと浄化の奇跡のほうが負けちゃう。だから、あたしは手助けのために出てきたってわけ」


「――ゥァ――――ァ?」


 魔物の少女の身体がびくりと震える。虹色の輝きが肌に触れた途端に、巻き付いたつたつるが枯れたようにしなびていく。樹木のような肌も少しずつ表面が柔らかくなり、人肌に近くなっていく。だが、一定の変化まで起こったとき少女の様子が急変した。


「ルーイッド! 逃げないように押さえていて!」


「いや、アルエッタ、これは逃げる逃げない以前に……」


 唐突に少女から飛び出した大量の植物たち。茨や蔦だけでなく、木の枝や幹なども少女の背中から伸びていく。少女から離れないように髪をアルエッタが掴む。繁茂する植物たちを掻い潜って、どうにかルーイッドも少女を下から支える。このままでは彼女が潰れて死んでしまう。


「もうちょっと! 踏ん張れ、ルーイッド」


「早くしてくれ! 本当に!」


 身体強化の奇跡で筋力を補助しても限界はある。次々と飛び出る大量の木枝や幹。この小さな少女の体内に、ここまでの力が宿っていたことに驚くしかない。アルエッタの言っていた魔物の力が、徹底した足掻きで少女ごと自身の存在を消そうとしている。


「ァ――ィ、ェ――ァさ、……ん」


「あと少し! あとちょっと! もうちょっと頑張れ、ルーイッドっ!」


「ちょっとは鍛えてるつもりだったけど、ここまでの力仕事は本当に専門外だってっ!」


 次々と増え続ける幹や枝に、魔物の少女ごと押し潰されそうになりながらも賢者は耐え続ける。魔力も奇跡も全力行使して、バリエラと関わりがあるかもしれない、この少女を守り続けた。



 ◇ ◇ ◇



 黒い植物たちの進行を外側から食い止めていたノルソンと水の勇者は、両者とも目を見開く。超弩級爬虫類型マキノスクスの頭にできていた、絡まった茨やつたの山を、いきなり巨大な樹木が突き破ったのだった。


「ルーイッドくん達が何かしたみたいだな」


 紫電を帯びた刃で、近くの蔦を斬り払った青年は静かに呟く。今しがた黒い植物たちの増殖がピタリと停止したところだった。


「貴方は救助に行きますか?」


「おそらく必要ない。彼なら自力で出てこれるだろ」


 その言葉が示すように積み重なった蔦でできた巨大な繭が、一瞬で真っ二つに裂かれる。中から出てきたのはルーイッドとアルエッタ、そして、賢者の背中におぶさった魔物化を残した小さな少女だった。


 超弩級爬虫類型マキノスクスの背中へと降り立ったルーイッドは、開口一番に二人へ言った。


「ノルソンさん、レイラ様、お願いがあります。――僕たちはこの子を連れて、今からバリエラの救出に行ってきます。その間、ここは任せても良いでしょうか?」


 その頼みに、ノルソンとレイラは互いに目配せをした。ルーイッドが何か掴んだらしいことを二人は察知したのだった。

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