第89話 賢者は塔を襲撃する

 塔の周囲では変わらず激しい水流が渦巻いている。停止中の超弩級爬虫類型マキノスクスが浮島の代わりだった。そこでルーイッドはノルソンに事情を説明する。今、塔を倒壊させてしまうとバリエラの救出が難しくなってしまう。崩壊に巻き込む危険性を考えると、むやみに破壊はできなかった。


「なるほど、救助の為に攻撃を中止してほしいってことか」


「はい。だから、塔を破壊するわけにはいかないんです」


「……そうか。それだけの理由なら、悪いが止められない」


「え?」


 あっさりとした拒否に、ルーイッドは愕然と顔を強張らせる。いったいどういうことなのかと尋ねる前に、超弩級爬虫類型マキノスクスが揺れ出した。激しい駆動音が鳴り響かせて、砲身を兼ねた大顎が一気に口を開く。狙いは紛れもなく塔の壁だった。


「ちょっと待ってください。まだ話は終わってないですよ!」


 あの強大な光線を放たせるわけにはいかない。無理やりでも止めるために拘束魔法を行使しようとすると、傍で控えていた魔導人形の勇者が先に動いていた。上から強く押さえつけられたルーイッドは、息苦しさに思わずあえぐ。だが、それでも叫んだ。


「一方的に話を切らないでください! このままじゃ協力だってできないじゃないですか!?」


「……………………」


 呼びかけが通じたのか、ノルソンは小さく溜息をついた。そして、超弩級爬虫類型マキノスクスが再び大口を閉ざす。それを見て、のしかかっていた魔導人形の勇者も押さえつけるのをやめる。


 まともに息を吸えるようになった賢者は、ひとまず安堵しつつ大きく一呼吸した。


「一応、確認ですけど、このまま塔を攻撃すれば、囚われた人たちが巻き添えをくらうのは分かってますよね」


「ああ、そのうえで撃たせようとした」


「……どうして」


「敵に有利な環境で戦っても勝ち目はないだろう? この拠点を潰さなければ、戦いにすらならないことが分かった。だから、破壊のほうを優先している」


「だからと言って……、いや、とにかく、今は取るべき手段じゃない。あの塔にはバリエラが――」


「知っている。だが、もう遅すぎる」


 淡々と告げられる答えに、ルーイッドは唇を強張らせて口を閉ざす。話しているはずなのに、対話になっている気がしなかった。


 今回の敵がとてつもない脅威なのは分かっている。エベラネクトでの一件を考慮しても、ほぼ確実に街を一つ壊滅させられるほどの戦力は有している。悠長にしていれば敵勢力は更に増大するだろう。だから、討伐を急ぐ意味はルーイッドにも理解できた。

 しかし、それを理由に攫われたバリエラたちを犠牲にするのは間違っている。


「それなら僕にも考えが……」


 この提案が駄目なら、強引な手段もやむを得ないと考え出した矢先、甲高い騒音がルーイッドの耳を貫いた。硬い金属が無理やりきしみを上げている。思わず話を止めて、ルーイッドは音の発生源に目を向けた。


 見れば巨大な水の塊が固形化し、超弩級爬虫類型マキノスクスの大顎を縛り上げている。大人しく話し合いを見守っていた水の勇者の仕業だった。彼女は痺れを切らしたように口を挟む。


「たしか、名前はノルソンでしたか? きちんと話をするのは初めてですね。どのような人なのかと思ってましたが、あまり賢いやり方をする人ではなくて残念です」


「期待に沿えなくて申し訳ないな。だが、いきなり剣で脅しをかけてきた君に言える台詞じゃないと俺は思うんだが」


 いつの間にか勇者の手元には短い水の剣が握られており、刃先が喉笛へ向けられていた。脅迫めいた行動にメキが慌てて飛びかかろうとしたが、やめろとノルソンが視線だけで止める。いつ掻き切られてもおかしくない状況だというのに、彼は平然と落ち着いていた。。


「まず、情報共有を先にしてくれませんか? でないと、不毛な話し合いにしかなりません。あの塔で貴方たちは何を見たのですか? それを教えてもらわない限り、私たちには何も判断ができません」


「それもそうだな」


 再び青年は一度だけ、メキのほうを見やる。彼女が肯定して首を縦に振ったのを見て、今度は顎を拘束された超弩級爬虫類型マキノスクスのほうを見やった。それから視線を賢者たちに戻した彼は口を開いた。


「聞くならば、ある程度の覚悟はして欲しい。君たちが知りたくない情報も、俺は握ってしまっている」


「別に構いません。どのみち、僕たちも知らなければならないことだと思いますし」


「……なら、まず君たちが気にしていそうなことから教えようか」


 険しい表情のままノルソンは口を開く。あまり感情が込められていない声色で、彼は淡々と語った。


「結界の賢者、バリエラのことなんだが、もう死亡している可能性が高い。俺たちの観測から彼女の存在は消失した」


「…………っ」


 あっさりとした重い告白に、ルーイッドは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。水の勇者を含む他の面々も皆、無言だった。ノルソンとメキ以外の全員が伝えられた情報を呑みこむのに時間が掛かっていた。


 次いで、間髪を入れずにノルソンが告げたのは、この塔が何であるかという説明だった。ただの高い建造物というわけではなく、攫った人間をそのまま魔物化させる、文字通りの魔物の量産場。黒い魔物に拉致された人間たちの生還はほぼ不可能で、魔物となった犠牲者には高名な冒険者や魔法士などがおり、その中に親衛隊員のニャアイコも含まれていることが伝えられた。


 さらに支配者である魔人は、姿を自在に変化させることができ、そのうえ捕獲した人間を直接改造して、強力な魔物に変えることも可能だという。この建物自体も魔人の意思によって自在に構造が変化しているらしく、壁の再生や分裂などが可能らしい。


 最後にノルソンは話題をバリエラの件に戻す。ノルソンたちはこの魔窟でバリエラと合流していた。バリエラ自身、囚われていたが、閉じ込められた牢を脱出していたようだった。その合流の際に、ノルソンは極小の装置を彼女に隠して仕掛けていたらしい。装着した当人の生存に反応して、現在地を知らせる発信器を。


「途中で別れて以降、俺たちは彼女の姿を見てはいない。唯一、発信器だけが生存を知る術だったんだが、反応が完全に消えてしまった。無論、故障の可能性もある。だが、ここは死亡したと見なすのが普通だ」


「でも、あくまで可能性の話ですよね。バリエラの死は」


 生存を諦めるのはまだ早いとでも伝えるかのように、水の勇者が小さくこぼす。だが、頼れる事実はノルソンが、その最期を見届けたわけじゃないことのみ。それだけでは、いくら何でもバリエラが生きているという確信は持てない。


「……ノルソンさん。ちなみに塔の破壊は、ここに棲む魔人に対して、有効な手段になるんですか?」


「有効な手段というよりも、それしか打てる手段がない。この塔から奴はエネルギーを補給しているらしい。俺も一度、交戦したがたおしても何度も復活していた。だから、この塔の破壊は必須だ。でなければ、奴は永久に復活することになる」


「そういうことですか」


 あれほどノルソンが塔への攻撃を優先しようとしていた理由が分かって、ルーイッドは奥歯をみしめた。バリエラたちに何かがあったのは間違いない。だが、ただの魔物に彼女がやられるとは思えなかった。となると、反応が消失した原因は魔人にある。


 だが、この塔がある限り、魔人を討伐することはできない。むしろ、塔を攻撃して魔人を少しでも弱らせなければ、彼女を救う可能性が広がらない。


 難しい選択だった。当然、塔の破壊をすれば、バリエラが生存していた場合、ただでは済まない。だけど、破壊しなければ塔の中でルーイッドたちが詰む。


「ノルソンさん、バリエラの反応が消失した位置以外を狙うことってできますか?」


「可能だ。消失した場所の記録は取っている」


「――ルーイッド、本当にそれでいいのですね?」


 厳しめの口調で水の勇者に問われて、思わずルーイッドは気圧されかけた。だが、彼女の視線はとがめるというよりは、意図をただそうという含みのほうが強いように感じられた。


「多分ですけど、まだ生きてるなら、バリエラは魔人やその配下と今も戦ってると思います。なら、僕たちがその手助けをしないと」


「……そうですか。考えた結果、あなたがいいと思うなら、私も力を貸します」


 大顎を縛っていた水の塊が、役目を終えて零れ落ちる。自由を得た超弩級爬虫類型マキノスクスが雄叫びの代わりに、口内の砲身を上へと向ける。その先の場所にはバリエラはいないと踏んでいるようだった。


 ルーイッドは同じように視線を上に向ける。その直後、塔の外壁に歪なくぼみができていることに賢者は気付く。最初に眺めたときには、そのような穴は存在していなかったはずだった。


「……? いつの間に空いたんだ……?」


 というより、少しずつ塔自体が変化してきているようだった。最初に塔を囲んで渦巻いていた水流の壁も、気付けば高さを減らしていた。周りの地形がいつの間にか深く沈下し、巨大な堀を作っていた。超弩級爬虫類型マキノスクスが開けたはずの大穴も、いつの間にか分厚く黒い石壁で修復されている。


「それだけじゃありませんね。何かいます……」


 同じく視線を向けていた水の勇者の声で、壁に開いた数々の窪みから、人影らしき何かが現れていた。四肢は黒い皮膚で覆われて、崩れた顔面には目や鼻がない。だが、所々に見える蒼白な皮膚が、まるで彼らが人間であるかのように錯覚させる。それを確認してノルソンが軽い舌打ちをする。


「……長く話し過ぎたな。あれが魔物化した元人間たちだ。しかも、全員が魔人による改造を受けているというオマケつきのな」


「なるほど、とにかく厄介そうだということは分かりました」


 羽根も翼も持たないのに、黒い集団は空中へ飛翔する。魔力による浮遊だった。そして、彼らの手に、攻撃魔法による光が次々と灯っていく。


 ほぼ一斉に魔力による砲撃の雨が降り注ぐ。超弩級爬虫類型マキノスクスの上では逃げ場がない。


「――任せるのだ!」


 後方からアオの声。すぐさま十字の形に放たれた青い炎が砲撃の雨と衝突する。だが、防ぎきれなかった砲撃が、狭い場所にいる賢者たちに襲いかかった。超弩級爬虫類型マキノスクスの上で爆裂と衝撃波が広がる。


 辛うじてルーイッドは直撃を免れることができた。他の面々も皆、防ぐか躱すかして全員、生きている。だが、足場となった装甲は砲火をまともに浴びて破損したようだった。軽くはない損傷に、ノルソンが目を険しくさせる。


「背中に俺たちがいると流石に動けないか……。仕方ない。超弩級爬虫類型マキノスクス、このまま砲撃用意」


 指令を受けて、砲身を兼ねた鋼鉄の大顎が再び口を開きかける。しかし即座に、強大なエネルギーを察知した黒い集団の魔砲が、超弩級爬虫類型マキノスクスの頭部めがけて次々と着弾した。激しい集中砲火による度重なる衝撃が強引に、鋼鉄の大顎を水面に沈める。


 邪魔はさせないと竜の勇者が飛翔する。物凄い疾さで空中を駆け、上空で砲撃を行う黒い人間たちを容赦なく切り裂き、水面へと墜としていく。だが、それでも敵の増員のほうが圧倒的に早かった。魔力の補助なしには飛べない不完全な翼には、出せる速度にも大幅な制限がかかっているのが痛手だった。


 地上からは水流を操る水の勇者が、水面から矢を形成して上空に向けて掃射している。だが、それでも自在に空中で動く黒い集団たちを撃ち落とすのは、一筋縄にいかない。


(まず、あの壁の窪みから出てきている敵を何とかしないと……)


 ルーイッドは剣を抜いて、風魔法で生み出す暴風刃を飛ばした。だが、壁には軽い傷が付いただけで崩れるには至らない。全く火力が足りていなかった。


「飛べない。歯がゆい……」


「メキ、無理はするな! それより、どこかに掴まっておいてくれ。他の皆もだ!」


 空中戦に無理やり加わろうとしたメキを自重させ、ノルソンは全員に声を掛ける。その瞬間、彼の紅い義眼が燃えるように輝く。


 突如、超弩級爬虫類型マキノスクスが全身を沈ませる。足場だった鋼鉄の背中が水へと呑まれ、ルーイッドたちも流水を浴びた。事前の呼びかけが無ければ、押し流されていたに違いない。


 上空から放たれた魔力の砲弾が水面に着弾して、大きな水柱を上げる。その隙をついて、口を開いた鋼鉄の砲身が水面を突き破って出現する。激しい熱と光を携えた巨砲が、塔の壁へと一撃を向けた。


「攻撃点、補足完了、――撃て」


 ノルソンの声とほぼ同時に、巨大な口から光の濁流が放出される。塔の壁を破砕する衝撃の波は、近くにいる賢者たちの耳も震わせた。あまりの激しい眩しさに、たまらず腕で顔を覆う。だが、それでも砲撃が終わっても暫くは、酩酊めいていしたのかというくらいに五感が麻痺していた。


 それでも戦いは続いている。どうにか目と耳の感覚が戻してから、ルーイッドは閃光が放たれた先を見上げた。


 黒い人間たちが出てきていた無数の窪みの壁。そこには巨大な穴が開いて崩壊していた。内部の赤褐色の部屋や通路が赤裸々となっている。外へと暴き出された魔物たちの狂乱の怒号が、ここまで聞こえてきた。そのとき、賢者は軽く顔をしかめる。


「……?」


 全身がざわつくような奇妙な感覚。自然と視線は穿うがたれた壁の奥側へと吸い込まれた。まるで塔の中に入って来いと誘われているかのように、目が吸い付けられるように離せなくなっていた。


 特に目立つものは何もない。せいぜい塔の魔物たちが騒ぐ姿だけがある。よく見れば、先ほどの黒人間たちもいる。だが、それ以外に変わったものはない。だけど、なぜか気になる。塔の中へ突入しろと何故か感覚が誘っている。


「ルーイッド、その耳にあるものは?」


「……え?」


 水の勇者の一言に、ルーイッドは我に戻される。急いでルーイッドは耳に付けたカフスに触れる。だが、特にどうということは無かった。


「バリエラから貰ったものですけど、どうかしましたか?」


「……。いえ、一瞬だけ光ったような気がしたんですが、どうやら私の気のせいだったみたいですね。それよりもルーイッド、強化を頼みます」


「分かりました」


 塔は表面が壊れただけで損害はまだまだ軽微。さらに悪いことに、壁は自己修復を始めている。それを防ぐためにアオやメキが突入して、壁を破壊し、寄ってくる魔物たちを蹴散らしてくれている。


 ルーイッドはその場で全員に強化の奇跡を行使する。身体能力、反射神経、その他諸々を底上げして、より戦いを有利に進めやすくした。空中からの魔砲はまだあるが、最初より苛烈ではない。少なくとも水の勇者が一人で捌ききれる程度には、空の敵は数を減らしていた。おそらく、あの光線に巻き込まれたのだろう。


「ノルソンさん、次の攻撃は?」


超弩級爬虫類型マキノスクスは冷却を優先させている。あれは連発ができない。すまないが、まだ時間をくれ」


「じゃあ、僕もアオたちの応援へ行きます。準備が終わったら合図を下さい」


 更に脚を強化して、ルーイッドは水流を飛び越えられるだけの跳躍力を手に入れる。顎の先端を踏み台にすれば、そのまま塔への突入は難しくなかった。賢者は自身を集中させる。さっきは謎の感覚に気を取られて動けなかった。今度は、そんなことがないように雑念を削ぎ落とす。


 一気に助走をつけた。あっという間に超弩級爬虫類型マキノスクスの頭部に辿り着き、もうすぐ顎の先端で跳び上がれる場所まで来る。頭上に黒い影が差したと気づいたのは、その瞬間のことだった。


「――!? なっ?」


 急停止して、とっさの判断で超弩級爬虫類型マキノスクスの頭部まで退いた。ルーイッドが息をつく間もなく、は鋼鉄の顎に着弾する。その衝撃で超弩級爬虫類型マキノスクスが前へと傾きかけ、乗っていた全員を大きく揺さぶった。そして、最も手前にいたルーイッドは見た。


「――っ!?」


 即座に反転して、更に背中のほうへ退避する。その直後、賢者がいた場所は無数の黒い植物のつるで覆い尽くされた。


 漆黒の大きな茨たちが次々と伸びて、超弩級爬虫類型マキノスクスの顎と頭に絡みついていく。新たな土地を得た黒い植物たちが鋼鉄に根を伸ばして侵食している。


 鋼鉄の地面に生える植物たち。そして、黒く繁茂する蔓やつたたちの中央で、一人の小柄な少女が真っ直ぐ視線を向けている。特異すぎる光景にルーイッドは思わず目を奪われた。


 樹木に似た肌の二本足で立ち、背中に生やす黒い蔦を全身へ無差別にわせている。そして、その眠たげなまなこは賢者たちをしっかりと捉えていた。か弱くも不気味にも見える蒼白な少女は、敵味方を問わず、周囲にあるもの全てに向けて、動く蔦を一気に伸ばし出す。


「新たな魔物か? いや、あの子か!?」


 後ろのほうでノルソンが驚いた声を出していた。この子のことを知っているのかと尋ねたかったが、それどころじゃない。少女が増殖させた漆黒の茨や蔦が、ルーイッドたちに向かって既に、大波のごとく押し寄せてきていた。


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