第87話 神は喪失に動揺する

「おい、ヤバいぞ、人形。さっきのは、結界の賢者じゃないか?」


「なんか探し続けていたら、壮絶な瞬間だけが映り込んじゃったねぇー。ヤバいねー」


 モニターに映るのは高笑いする魔人と、正体不明の液体で埋められた黒色の巨杯。つい今しがた、賢者が身投げした瞬間が、映像に流れたところであった。


 流石にマズいと先輩神の背中を冷や汗が流れる。人形神も冗談にもならないと首を横に振った。いったい何故、よりによって今なんだ、と尋ねたくなるくらいには間が悪い。


「なんでこんなことになってるんですか? ……先輩たち? 先輩方?」


 その声を聞いて、先輩神は諦めた顔で振り返る。おそらく、ただの偶然なんだろうが、運命を操るのが得意な神が悪戯をしたと勘繰りたくなるくらいには、ひどく出来過ぎたタイミングだった。つい今しがた、調べ物を終えて戻ってきたらしい後輩神が、そこに立っていた。


「……後輩、調査はどうだったんだ?」


「先輩? 先に私が訊いているんですけど?」


 ああ、適当に流されてくれるかと思えば、やはりそうはいかないらしい。答え次第では暴力も辞さない声音に、諦念しか湧いてこない。怒り狂った後輩神が簡単には抑えられないのは既に知っている。いざとなれば、盾になってくれそうな人形神に相談しようとするも、その姿は消えていた。逃げられた。


 バリエラの決断は本人の知らないところで、とてつもない修羅場を生み出していた。



 ◇ ◇ ◇



 時間は少し経過する。依然として神たちはモニターの前で座っていた。機器や装置も変わらず散らかっている。唯一変わったことといえば、先輩神の腫れた頬くらいのものだった。


「なるほど、そうだったんですね。賢者ちゃんの動きを探していたら、あの場面に遭遇したってわけなんですね」


「ああ、その通りだ。あの塔でいきなり転移されたら、いくら解析装置があるといえども、飛んだ先をすぐに追うことはできない。結界の賢者については残念だった」


 説明する最中も腫れた頬が痛み、喋るだけで辛かった。全力で殴りすぎだろと、顔は平静を取り繕いつつも、先輩神は心で泣く。ほぼ確実に痣が残るどころか、顎骨が陥没するレベルで殴られていた。神でなければ即死だった。


「ほんと、不幸な事故だったねー。ドンマイ」


 土壇場で姿を消していた人形神に気安く肩を叩かれ、先輩神は顔をしかめる。よく出てこれたものだ。


「ああ、本当にな。同じ痛みを共有してくれる仲間がいてくれたら良かったんだがな」


「つまり、犠牲は最小限ってことだね。良かったじゃん」


「……おい、人形。お前は私の怒りを買いたいのか?」


 そう言って、人形神の脇腹に拳を突き入れた。どうせ硬い人形神には大したダメージにはならない。後輩の鉄拳すら普通に耐えれるんだから、盾くらいにはなれよと強く思った。


 少し晴れた鬱憤と虚しさを胸に抱きながらも、先輩神はテーブルに手を置いて気持ちを切り替える。今後の対策を話し合わねばならない。


「結界の賢者の反応が消えた今、状況は今まで以上に戦況は厳しくなる。そして一番の懸念は大結界の損失だ。下手すれば魔王討伐より早く、人類が先に滅びるぞ」


「一応、賢者ちゃんに設置させた結び石にはエネルギーがまだ残っていたはずです。何もしなくても一、二か月は消えないとは思いますけど」


「結界を修復できる者がいないのが問題なんだ。今まで何回、壊されたと思うんだ。あの結界」


 灰色の魔人による大損壊の以前も、魔物の群れが押し寄せて破られたケースは何度もあった。正直に言って、賢者召喚時ほどの期待は今の大結界にできない。そして、世界の崩壊が近づいている予兆か、バグの発生がより頻繁になってきている今、いつどこで魔物たちの大量発生が起こるかは分からない。


「魔王との戦いの前に、回復役ができなくなるのも痛いですね」


 結界の賢者が行使していた治癒の奇跡と、その派生である浄化の奇跡。これから厳しい戦いが続くと予想されるだけに、その喪失は辛すぎる。人類の守護にしても魔王討伐にしても、結界の賢者の役割は大きかった。ノルソンにも選別の際には、賢者を対象に入れるなと指示を飛ばすくらいには重要度は大きい。


「詰みかけてるな、状況的に」


「だね」


「否定できませんね」


 少し考えてもすぐに結論に行き当たって、先輩神はテーブルに肘立てて額を抑えた。勇者たちだって、多少は回復手段くらい用意しているだろう。だが、それだけでは絶対に足りないという確信がある。


 敵勢力には無尽蔵に湧く魔物と、魔人という手駒がまだ残っていた。激しい消耗を考慮すれば、治療に特化した賢者はどうしても必要だった。


「やっぱ、新しい賢者を創っちゃうのが効率的だねぇ。さっさと召喚しちゃお?」


「なに言ってるんだ、このバカ!?」


「この人でなし!」


「えぇ……。でも、それしか方法がなくないかなー? 賢者が一人死んだら、賢者一人分の召喚は可能だよね?」


「……む?」


 理に適った指摘をした人形神に、先輩神は思わず困惑する。今回はいつもの暴理論じゃなかった。


「ああ、そうか。確かにリソースが空くから不可能じゃないのか。またヤバいことを言い出したのかと過激に反応して、すまなかった」


「そうだよ、どんどん謝って。あくまで僕は効率的な提案しかしてないからねぇ」


「調子にはのるな」


 一応、釘は刺しておく。だが、受け取った提案は検討の価値があるものだった。


「とりあえず、新たな賢者の創造について、全員で案を出しあうか」


「えぇ、先輩、賛成なんですか? 正直、私は気が進まないんですけど」


 ごねるように首を横に振った後輩神に、先輩神は少し同情する。結界の賢者は後輩神が創造したはずだった。唐突な死に対して、気持ちの整理が付いているはずがない。


「悲しむ気持ちは分からないわけでもない。だが、私たちには創造世界を管理しきる義務がある。だから酷い言い方かもしれないが……」


「あっ、先輩。そういうのじゃないです」


「…………」


 先輩神は口を閉ざす。そこは悲しんでくれよ、とうなるしかなかった。


「そもそもの話、勇者たちに選別を強いた時点で、私たちに悲しむ資格って無くなってますし」


「それはそうかもしれないが……」


 ならば、先ほど鉄拳をくらった意味はなんだったのだろう、と先輩神の心の内で漠然とした虚しさが広がった。


 だが、一応の理由はあるらしい。後輩神はやや憂鬱そうな表情で空間を歪ませると、無から突如、水の球体が現れた。液体の中では少女が膝を抱えて浮かんでいる。どうやら、これが懸念の種であるらしかった。後輩神は表面を優しく撫でながら、その少女について説明を始める。


「えっと、これ、選別で勇者が欠けた場合に新しく召喚する予定だった勇者の肉体です。実は賢者への素体としては想定してなくて、そうなるとちょっと調整が必要です」


「まあ、調整は必要だろうが……、どのくらいかかるんだ?」


「最低でも三週間。もちろん、創造世界側での時間です」


「……やけに掛かるな?」


 今のところの最短は、人形神が創造した魔導人形の勇者で三日間。当然、肉体を創造する時間も含まれている。その他の勇者たちも、一週間あれば召喚ができる程度には創造できていた。


 そのため、単なる調整だけでの三週間は、流石に少し長すぎる気がした。


「実は、最終決戦を想定していたせいで、かなり特殊な人格を与えていたんです。それを正常に矯正しなければならなくて……」


「な、なるほど? いや待て、正常だと? そんなに危ない思想が植え込まれているのか、この素体には」


 掘り下げると、後輩神はすっごく言いづらそうな顔で頷いた。


「端的に言うと、すっごく好戦的で、敵を滅ぼすのに躊躇いがない性格です。当然、協調性は皆無。しかも、戦いに飽きることがないようにしてます」


「――狂戦士じゃないか!?」


 賢者の役割は補助と支援。そのためにも勇者たちと協力的な関係を保たなければならない。どう考えても、賢者に与えるべき性格じゃなかった。


「いくら何でも、それは直さないとマズいな。勇者として召喚しても、かなり面倒なことになるぞ。下手したら第二の炎の勇者が生まれそうなんだが……」


「そ、そこまでですか……?」


 念のために指摘しておくと、驚いたように後輩神は目を丸くした。むしろ何故、それでうまくいくと思ったんだ、と先輩神が訊きたかった。そして思い当たって、人形神のほうにチラリと視線を送る。


「人形。また、お前の入れ知恵か?」


「いやぁー、良い案だと思うんだけどなー。少なくとも水の勇者みたいなことは起きないと思うよ」


「そうだな。水の勇者みたいに逃げることはないな。だが、それは良くないんだ。私が良しとしない。失敗したときのリスクがでかすぎる。これ以上、私の胃を苛める行為はしないでくれ」


「大丈夫。神だから新しい胃袋だって、いつでも創造できるさ」


「そうだな。軽い腹痛くらい、いつでも…………」


 そこまで言って、先輩神は自分の中で何かがぷっつり切れる音が聞こえたような気がした。


「――ふざけてるんじゃないぞ、お前はぁ!!」


 ついに堪忍袋の緒も切れて、先輩神は全力の拳を人形神に叩きつける。だが、相手は流石に硬すぎた。悲しいことに、どれだけ叩いても軽い音しか響かない。それが余計に悔しさだけを蓄積させてくる。


「今日という今日は許さないからな、人形っ!」


「ワー、イタイ、イタイヨー」


「――棒読みで痛がる奴がいるかぁっ!」


 逆にダメージを受けた手の甲を先輩神は撫でまわす。そのとき、追い打ちをかけるように後輩神の声が飛んできた。


「あのー、先輩。今、画面を開いて確認したら賢者ちゃんの分のリソース、戻ってきてないみたいです。もしかして、まだ生きてるんじゃないですか、これ?」


「――殴り損で、殴られ損じゃないか!?」


 結界の賢者が死んだ前提で進んでいた話し合い。それらが無駄となって、先輩神は虚しさから叫んだ。

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