第83話 賢者たちは闇で分断する

 まったく冗談じゃなかった。あんな簡単に見捨てろと言い放つ人間を信用なんてする気になれなかった。ほんの数分前のやり取りを思い出すだけでも、怒りや苛立ちが頭の中に渦巻く。今いる場所がどこか分からなくなるほど、賢者は頭に血を昇らせていた。


 もちろん、片方の手はきちんとカナリナを引き連れている。最初は困惑顔を浮かべた彼女も、今はきちんと付いて来てくれていた。


「バリエラさん……」


「なによ?」


 途中でカナリナがすがるような声を放つ。乱れた呼吸の音に気づいたバリエラは我に返って、その場に立ち止まった。照明代わりの光魔法をそっと向けると、くの字に姿勢を曲げたカナリナが荒い息を整えている。


「……腕が痛いです……。バリエラさん、走るの速いから」


「ちょっと急ぎ過ぎたわ、ごめん」


 罪悪感を覚えて、ひとまずカナリナと繋いでいた手を離す。腕を開放された少女は、その場にへたり込むように腰を落として荒い息と咳を零した。喘息のような症状をする彼女に、バリエラは治癒の奇跡をかけるか迷う。


「大丈夫?」


「はぁ、はぁ……。ちょっとだけ苦しいかもです。でも、平気です……」


「…………」


 額にうっすらと汗を浮かべつつ、カナリナが表情を見せる。笑顔で取り繕おうとしているのが丸分かりだった。身体を支えるだけで精一杯なんじゃないの、とバリエラは歯噛みする。今も自分の上半身が頼りなく揺れていることにさえ、カナリナは気づいていないのかもしれない。


 配慮が足りてなかったとバリエラは後悔した。徐々に自分の身体が魔物へと変化していく恐怖と苦しみを、カナリナが感じていないはずがなかった。


「……あ」


「どうしたの? 身体がどこかおかしいとか?」


 唐突に声を出した少女にバリエラは動揺した。一瞬、魔物化の兆候が現れたかと思った。だが、カナリナはそうじゃないと首を横に振る。


「違うんです。ただ、ノルソンさんが言ってたことを思い出して……」


 少しだけ意気消沈としたカナリナに、やっぱり傷付いていたんだとバリエラは顔をしかめる。わざわざ目の前で、見捨てろなんて発言をしたノルソンに腹が立った。そんな酷い言葉を掛けられて、心が傷付かないはずがない。


「あんなの気にしなくていい。聞かなかったことにして、私たちは私たちで進んじゃいましょ」


「そういうわけにもいかないです」


 慰めのつもりで掛けた言葉をカナリナは否定する。そこまで気にしているのか、と思った矢先、彼女は唐突に質問で返してきた。


「バリエラさん、何で教えてくれなかったんですか!? 賢者ってアレですよね? 地方を回って、各地の名産を爆買いしてると噂の凄い魔法士のことですよね!」


「…………」


 それを聞いて、思考がしばらく停止した。一拍おいて、やっと呑みこめたバリエラは思わず苦虫を噛み潰したように渋面する。


「あいつ、何やってんのよ、ほんとに……!」


 元々、この世界には勇者や賢者という職業は存在しない。実を言えば、これらは神たちが勝手なイメージで付けた呼称にすぎなかった。それ故に、勇者や賢者という呼び方は、神たちに召喚された当人たちによって広められている。


 そして、バリエラやルーイッドに与えられた賢者という呼称。当然、この言葉も二人によって広められたのだが、一般の人々に言うと、どちらかといえば、城に篭りがちなバリエラのほうでなく、外回りが多いルーイッドのことを浮かべる人のほうが多い。


 だからこそ、変な誤解を生まないためにも、バリエラは賢者であることを黙っていた。まさか、ここで予期せぬ飛び火を貰うとは思わなかった。


「それならそうと言ってくださいよ。ヨールクの街にも来たんでしたよね。ちょっと商店街が潤ったと聞きました」


「言っとくけど、私じゃないわよ! ヨールクには行ったことあるけどっ!」


「あれ、じゃあ、私の勘違い? うーん、ギルドの人が話題にしてたことがあったので、バリエラさんのこと言ってたんだな、って思ったんですけど……」


「いや、その人たちが言ってたこと自体は間違いじゃないんでしょうけども……本当にややこしい誤解を生んでくれるわね、あいつ……」


 今更ながら、賢者は二人いるというところから説明しなければならなさそうだった。しかも、相手は知識欲の塊といっても過言じゃないカナリナ。根掘り葉掘り聞かれるのは間違いない。


「説明、後にしていい?」


「ダメです!」


「時間を無駄にしてられないのよ……」


「別に移動しながらでもいいじゃないです、…………っ」


 話してる途中でカナリナが急に黙り込む。寒気に身を震わすように体を丸めた彼女を、バリエラは慌てて手で支えた。


「ちょっと、大丈夫なの!?」


「なんか……、急に背中が……っ」


 言われて確認したカナリナの小さな背中に、服越しにこぶのような何かが膨らみかけている。マズいと思って、バリエラは咄嗟にそこへ手をかざした。


「ちょっと我慢してなさい」


 浄化の奇跡を行使する。純白の光を手から零すと、腫れが引くように膨らみは少しだけ小さくなった。だが、それでも完全に消えてはいない。どれだけ降り注いでも、瘤は一定の大きさからは変わらなかった。症状が固定されてしまっている。


 それでも根気強く続ければ、症状が和らいでいくかもしれない。その可能性を信じて、バリエラは注ぎ込む光の量を更に増やした。しかし、治療を遮るようにカナリナが唐突に、丸めていた背中を伸ばして顔を上げる。


「……バリエラさん。ちょっとだけいいですか」


 そう言って、正面を向いた彼女の瞳には涙を抱え込まれていた。少しでも刺激すれば零れ落ちてしまいそうな、痛みに耐える少女の泣き顔だった。


「ノルソンさんと合流してからですけど、なんとなくですけど察してました。バリエラさん、何か大事な仕事があるんですよね。本当なら私なんか無視してもいいくらいの」


「…………………」


 静かにだが、はっきりとカナリナは口に出した。苦痛で瞳の奥は揺れ、呼吸は不規則に乱れている。だが、紡がれた言葉に震えはない。


「私のこと、――」


「カナリナ、その言葉の続きを口にしたら許さないわよ」


「でも、バリエラさん。ノルソンさんが言ったことって本当なんですよね。何かやるべきことがあるんですよね?」


「それはそうなんだけど」


 いったどう説明したらいいか。本気の眼差しに、バリエラは迷って言い淀んだ。切り捨てられる覚悟はできているとカナリナは態度で訴えかけていた。だが、同時に彼女の目には、捨てられる恐怖や痛みも同じように溢れているようにも見えた。


 魔物化への恐怖と苦痛に抗い、自分が辿ることになる残酷な運命を知ってなお、悩み抜いてきたのだろうと悟ったからこそ、バリエラは嘘であっさりと否定することができなかった。


 返す言葉に迷っていると、カナリナは自分自身を両腕で抱えるようにして、ぎゅっと瞳を閉じる。


「ここまで来るまでに魔物化した人たち、見てきたじゃないですか。私も近いうちにきっとそうなるって、もう分かるんです。頭の中でずっと唸り声が聞こえるんです。見たもの全部を壊してしまいたくなりそうになるんです。狂ってしまいそうで。……バリエラさんだって壊してしまいそうになるんです」


「杞憂よ。あなた程度にやられるほど弱くないわ」


 そう言いながら、バリエラは怯えたように震える少女の背中に腕を回し、それから頭を撫でた。本音を言えば、自分だって不安を感じないわけではない。しかし、一番苦しんでいる子の前では、少しでも強くありたかった。


「私だって万能じゃないのは分かってる。でも、諦めるつもりはないわ。私もギリギリまで抗うから、――だから諦めないで」


 限界まで小さくなった背中の膨らみに軽く手を当てる。背中の筋肉に指を滑らすと、根のように張り巡った硬い異物の感触がした。これから、魔物化で変質した部位を順に辿って浄化の奇跡をかけていく。


 絶対に魔物なんかにさせない。決意と共に気力を尽くして、バリエラは治療を続ける。どうにか背中のこぶをもう一回りだけ小さくすることに成功すると、何かの違和感を検知したのかカナリナが少し切迫したように声を出す。


「……バリエラさん、また音が聞こえます」


「例の頭に響く声のこと? それだったら」


「いえ、違います。何かが壊れる感じの音が耳から聞こえてくるんです」


 バリエラも音が聞こえたときには、既に床が揺れていた。また、あのときと同じ地震だと思った。おそらく、ノルソンたちが何かをしたのだろう。だが、ふと合間に入った異音で、バリエラはそうでないと気付く。


「バリエラさん、壁が!?」


「そんなのアリ!?」


 背後の通路から順に、赤褐色の壁が両側から閉じていく。バリエラたちがいる場所も、少しずつ壁が差し迫って狭くなってきていた。


「前に進まないと潰されるってことじゃない!?」


「バリエラさん!」


「悪いけど、また走るわよ、カナリナ!」


 互いに手を繋ぐ。今度は引っ張りすぎないようにバリエラは走った。幸い、動く壁は大した速さではない。全力で駆けなくても、すぐに閉じていく場所から離れることができた


(問題は行き止まりがなければいいってことなんだけど……)


 暗闇で先を見通せないが、賢者の悪い予感は確かに正しかった。出し惜しみなどしていられないと踏んで、強烈な光魔法を照射した先には一枚の壁が立ち塞がっていた。だが、一瞬の逃げ道を得るためなら破壊という手段もある。


 片手間で消滅魔法の準備を行う。空いた手に魔法陣を展開させて、魔力をつぎ込んでおく。


 しかし、賢者は一つだけ忘れていた。


 この建物は魔人が支配する巨大迷宮。そして、間違えた道を選んだ者には罠が待ち構えている。ハズレの道を強引に選ばされたことに、賢者ははまるまで気づけなかった。


 ――ノルソンは忠告していた。この塔には空間が歪曲した場所がいくつも存在する、と。


「――!? カナリナ、手を絶対に離さないで」


 唐突にした何かに吸い込まれるような感覚。それが歪んだ空間であることに気づいて、バリエラは自分が転移する寸前に言い放った。そして、賢者たちは行き止まりの通路で姿を消した。


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