第82話 賢者は塔で襲撃される

 王都での彼女と似た声で、その敵は音声を発していた。他人の空似とは思えなかった。


「……バ、リ、……エ、ラ、サ、……マ」


「…………!」


 片言であるが、確かに名前を呼ばれたことで、賢者の心臓が大きく動悸する。やはり、親衛隊のニャアイコなのかもしれなかった。王都襲撃でも彼女は戦っていた。それで捕まった可能性は否定できない。


「知り合いだったのか?」


「え?」


 前衛としてナイフを手に構えたノルソンが、背を向けたまま質問を投げ掛けていたことに、バリエラは少し経ってから気づいた。とりあえず、返答として『そうよ』と頷いておく。


「そうか、なら俺たち二人で始末をつけたほうがいいな。――メキ、行くぞ」


 了解した魔導人形の勇者が頷く。しかし、バリエラは勝手に話を進めた二人の肩に手を置いた。まだ待ってほしいと懇願した。


 少なくとも、あのニャアイコは名前を呼んでいた。もしかしたら、まだ自我が残っているのかもしれない。それなのに、いきなり排除というのは性急すぎる。


「一度だけでも機会をくれない? ニャアイコの状態を確認したいの」


「難しいな」


 ノルソンが冷ややかな視線を向けてきた。そして、バリエラの言葉を咎める。


「あれは死体と思ったほうがいい。生きた人間なら別だが、死体のために加減はできない。流石に非合理的だ」


「いきなり死体だなんて思えないわよ。レイラ様の時だって、なんとかなったんでしょ? それならニャアイコだって」


「――騒がない。相手、消えた」


 反論の途中で、メキが通路奥を見て欲しいと指で示す。視線を向けると確かにニャアイコの姿がいなくなっていた。あちらこちらに目を配ったが、忽然と消失した彼女の姿は一向に見つからない。


「どこに?」


 前後左右を見渡しても、壁か暗闇があるのみ。黒い人影は一つも見当たらない。だが、何かに気づいたノルソンが急にバリエラを横へ突き飛ばす。


 同時に、金属同士がぶつかる甲高い音が壁に反響しあう。更に、通路を照らしていたはずのライトの光が不意に消え、辺りを一気に暗闇が包みこんだ。


「何が起きたの!?」


「照明をやられた。この暗闇では不利だ。明かりが欲しい!」


「分かったわ」


 闇の中で起き上がったバリエラは光魔法を無詠唱で行使し、照明代わりの光球をその場で打ち上げた。天井から直下した強い光が、激しい明暗で少し目を眩ませる。


「あの、私はどうしたらいいですか?」


 同じく突き飛ばされて、床に尻餅をついていたカナリナが尋ねてきた。その手には、おそらく光魔法で生み出した小さな球体が浮いている。


「とにかく、私の背中に付いてくる! 戦えないでしょ、あなたは」


「は、はい!」


「――来るぞ!」


 ノルソンの叫び声とともに、通路の奥から複数の黒い針が飛来してくるのが見えた。虚空から突然、出現したその攻撃をバリエラは知っていた。ニャアイコの得意戦術だった。


 即座に、全員を守護するように結界を張る。黒い針は障壁によって進路を阻まれ、その場に力尽きて落ちていった。全方位に防壁を張りさえすれば、恐れるような攻撃ではない。


「ニャアイコは投擲した針を自在に操ることができるの。ただの重力魔法の応用だけど、精度は高いわ。でも、この結界を壊すほどの威力は無いはず」


 障壁は次々と飛ばされた針たちを弾き続ける。どの針も傷すら与えていない。堅牢さを見せる結界に、バリエラは暫く大丈夫だと判断した。だが、ノルソンは依然として険しい顔で攻撃の動向を窺っていた。


「そこまで気にしなくても大丈夫よ。私の結界は簡単には壊されないから」


「まぁ、警戒に越したことはないさ。特に相手は魔人による改造を受けている。新たな隠し玉を得ていてもおかしくはない。……それに状況だけを見れば、事実上、俺たちは結界の外に出ることができない。行動を封じられてる分、不利だと思ったほうがいい」


「……。文句が多いわね。それなら動かせばいいでしょ」


 そう言って、バリエラは障壁を自分の動きに沿うように前進させる。結界の一部を押し広げたり縮めたりすることで可能な障壁展開しながらの移動。結界を自在に操れる賢者だからこそできる芸当だった。


 どうよ、とバリエラは少し自慢げに言うと、彼は少し釈然としない様子で答えた。


「……本当に戦場で羨ましくなるような能力をしているな、君は」


「言っとくけど、ただの魔法じゃ、こんなことできないわよ」


「凄すぎですよ、この魔法っ! どうやって操作してるんですか!? この規模の防御魔法で動かせるものって見たことありません!」


 緊急時であっても魔法の話題だからか、カナリナの好奇心に火が付いたようだった。だが、わざわざ応戦中に説明する時間はない。そもそも結界の奇跡の応用なので、実際は魔法ですらなかった。


「ただの魔法じゃないってだけよ。いろいろ研究して生み出した特別な魔法ってこと」


「えっ、じゃあバリエラさんが生み出したってことなんですね!」


「語弊はあるけど、それでいいわよ。そういうことにしといて」


 どうせ扱えるのは私だけなんだし、とバリエラは適当に流すことにした。


「……妙だな」


 何やらノルソンが深刻そうに呟く。小さすぎて声は聞き取れなかったが、その義眼の瞳は解析を行っていた。どうかしたの、と尋ねようとしたとき、バリエラの耳元を小さいものが掠める。音も遅れて聞こえてきた。


「大丈夫か?」


 思わず腰を抜かした賢者にノルソンが声を掛けてきた。バリエラは自分の耳に手を添えながらも、大丈夫と頷く。だが、少し生温かい液体が指先に付着したのを感じていた。


「……前言撤回。さっき、結界に穴が開いた。壊せる程度には強くなってたみたい」


 貫通した針は真っ直ぐに飛来したはずだが、その先にニャアイコの姿はない。彼女ならば、曲がり角からでも自在に角度を変えて、投擲できるから不思議ではなかった。それよりもニャアイコの武器のことで、バリエラは一つ重大なことを思い出す。


(そういえば、自作の針のほうは、まだ見かけていない……)


 その針は特別製で、対象に刺さることで効力を発動する魔法針だった。硬い石材すら貫く加工が施される故に、用意できる本数が少なく、ニャアイコ自身も緊急時や危機でなければ使用することはなかった。しかし、一本でも刺されば、彼女の全身全霊の重力魔法に襲われることになる。


 魔法の解除は可能だが、それには賢者でも時間が必要だった。


「どうやら撃破しか方法がないみたいだな」


「分かってる。無力化はさせないと、ね……」


 ノルソンの意見に今度はもう反論できない。できれば傷つけずに済ませたかったが、バリエラも腹を括った。それから心の中でニャアイコに詫びておく。


「――で、どこにいるか、だが……。――っ!」


 咄嗟に気づいて、青年は仰いで天井に目を向ける。バリエラが打ち上げた光球より高い壁に埋もれるように、濃緑の髪が垂れ下がっていた。そして、天井を透過するように復魔兵の彼女が、隠していた姿を現す。左右に伸ばした両手には、強烈な重力が渦巻いた球体を張りつけていた。


「上からの隠し通路か。それは予想してなかったな」


「冷静に言ってる場合!?」


 ニャアイコは照明代わりの光球を破壊した上で、二つの高重力球を投下する。下方向への激しい斥力に結界が耐え切れない、と賢者は即座に悟った。


「みんな離れてっ!」


 しかし、賢者の呼びかけよりも素早く動く者が一人いた。爆発的な勢いで上へと飛び出したのは、これまで沈黙を貫いていた魔導人形の勇者。獲物を見つけた肉食獣のようなはやさで、天井に現れたニャアイコめがけて跳躍していた。


 落とされた重力球が結界を破壊すると同時に、銀髪の勇者は腕を振るう。一方の手に込められた強制破壊の奇跡が、二つの黒球を強引に消滅させて、反対側の手刀がそのままニャアイコの脇腹にめりこんだ。


「やっとでてきた」


 はたき落とす前に言うべきセリフを、今更になって口にして、メキは黒い服をまとったニャアイコを墜落させる。まともな一撃をもらった彼女は言語にならない苦悶の声を上げ、それから微塵も動かなくなる。骨が数本折れたかもしれない、そんな音が響いていた。


「メキ、問題はないか?」


「針、刺さった。でも大丈夫」


 よくよく見れば、彼女の頭に紫色の魔法針が刺さっていた。しかし、銀髪の勇者は軽々しく引き抜いて片手で握り潰す。完全に効力は失われているようだった。


「それよりどうする? 倒す? 捕まえる? 分からなかったから、とりあえず落としたけど」


たおすんだ。そのほうが早い」


「待って。無力化できたんだから拘束してしまえば……」


「……どっち?」


 意見の対立にノルソンが顔をしかめ、メキは無表情ながらに首を傾げて困った仕草をする。


 だが、バリエラとしてはニャアイコの命を簡単に諦めるわけにはいかなかった。親衛隊はルーイッドが創設した部隊だが、その全員はバリエラにとっても、もはや仲間と言っていい存在だった。


「私だって、治癒や浄化が専門なのは伊達じゃない。どこかに拘束していれば、いずれ助け出す選択ができるようになる。――お願いだから、ニャアイコを殺すなんて真似はやめて。治療する機会が欲しいの」


 これだけは譲れないとばかりに、賢者はノルソンとメキに頭を下げる。仲間だからできることなら救ってあげたい。そのような思いからの行動だったが、ノルソンは哀れみを含んだ目で賢者を見つめるだけだった。


「……勘違いを放置したのは俺のミスだった。今から大事な情報を教えておく、結界の賢者」


「何を?」


 異様な雰囲気にバリエラは思わず声を強張らせた。不意によぎった言い様のない不安が、話の続きを聞くのを拒みかけた。聞く準備ができたと思ったらしいノルソンは淡々とした口調で話を切り出す。


「これは全て確認済みの情報だ。魔人に改造された人間は、。正確には肉体だけなら戻せなくはないが、魂が壊れてしまっている。魂の復元は神たちも不可能と言っていた」


「………………!?」


 硬直するバリエラに対し、ノルソンは倒れたままのニャアイコに対して、静かに指を向けた。


「最初に彼女のことを死体だと思えと言ったのは、本当に言葉通りの意味で伝えた。あれは魂を失った肉の塊にすぎない。動く死体と変わりないんだ」


「それ、本当なの?」


 残酷なことだが、と一言付け加えてノルソンは頷いた。メキも伝えられていたのか、同じように首肯していた。


「あ、あのー、お二人共、さっきから何の話をしているんですか? 魂? 神様? 動く死体? なんだか、ごちゃごちゃ混ざってないですか?」


 喧嘩をしているとでも思ったのか、困惑した顔つきでカナリナが口を挟もうとする。本人としては諫めようとしてるのかもしれない。だが、今回ばかりは良くなかった。


「その子についてもそうだ。君だって魔物化した人間を見てきてるはずだな。魔物化で自我を失った時点で、魂は修復不可能なほどに損壊している。たとえ、一時的に魔物化を止められても、いつまで続けるわけにもいかない。魔王討伐君たちの目的を果たす中で、その子は確実に荷物になる」


「……ちょっと待って。それ、カナリナを始末しろって言ってない? カナリナはまだ正気を失っていない。それなら、まだ救えるってことなんでしょ?」


「えっ、私?」


「ああ、救える可能性はあるが、ほぼ絶望的に近い。この場にいない妖精の協力が必須となるからな。それまでその子は持つと思うかい?」


「――っ! 話にならないじゃない!」


 思わず賢者は叫んでいた。確かに意見としては理に適っている。だが、それでは駄目だった。自分が結界の賢者である以上、目の前の命を切り捨てるなんてできなかった。


「――カナリナ、行くわよ」


 衝動的にカナリナの手を握る。そのまま引き連れて、賢者は通路の奥へと駆けて行った。このままだとカナリナまでも殺されてしまうんじゃないか、という切迫した思いが胸の内で急かしてくる。逃げるように離れていくバリエラたちを、ノルソンたちは追おうとはしなかった。


「ちょっと言い過ぎだと思う」


 唐突に、魔導人形の勇者が呟く。表情は全く動かないが、両手に腰を当てて、青年のほうを見据える姿は、少し怒っているかのようだった。


「ああ、やらかした。だが、いつかはぶつかる壁だった。対立は早めに済ませたほうがいい場合もある」


「あとで謝る?」


「そのつもりだ。だからメキ、処理を頼む。終わればすぐに賢者たちを追い掛けよう」


「分かった」


 静かに指示を受けた魔導人形の勇者は、横たわる復魔兵ニャアイコの前へと立った。それから、強制破壊の奇跡を拳に宿して、その腕をゆっくりと振り上げる。


「すまない。あの世があるなら安らかに」


 ノルソンの小さな祈りが終わると同時に、メキの腕が黒い兵士の頭めがけて振り下ろされた。魂を砕かれていた親衛隊員のニャアイコは、ついに肉体ごと消滅し、この世界での生を完全に終えることになった。

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