第36話『赤いリボンの女の子・2』
須之内写真館・36
『赤いリボンの女の子・2』
少女は、もう一度大きく驚いて顔を上げた。
「オネエサンは?」
「あたしは、これ」
直美は、カメラを上げて見せた。
「カメラマン……ですか?」
「うん、寒くて熱いもの撮りに来たの」
「……なんですか、それ?」
「最初は、感じの良いアベックなんか撮ろうとおもったんだけどね……仕事よ、仕事」
「いまどき、こんなとこにアベックは来ないでしょ」
「でも、寒くて熱いものは見つけたわ。ほら、あそこで絵を描いてるお爺さん。もう何十年も、ここで絵を描いているそうよ」
「……そうなんだ」
「そして、あなたを見つけた」
少女はびっくりしたような顔をした。ちょうど、そのとき船の汽笛が鳴ったので、二人とも驚いて、そして笑った。
「あなたも、なんだか寒そうで熱いみたいね……朝からずっと、ここに座ってるんだって?」
「どうして……?」
「あの、お爺さんから聞いた。人間て、なかなか独りぼっちにはなれないのよ。都会の孤独とかいうけど、誰かが見てるのよね。で、あたしみたいにお節介なのも、たまに居るし……その制服、かもめ女子高校?」
「……はい」
直美は少女の胸のバッジに気が付いた。
「あなた、演劇部ね」
「え……」
少女も胸のバッジに気がついたようで、ゆっくりと頷いた。
「そうよね、演の字が付いてるクラブ……演説部ってのはないだろうから」
少女は制服の襟ごとバッジを握った。
「クラブのことで悩んでるの……かな?」
「学校に行ったら、役を降ろされるんです……」
「どうして……話が見えないなあ」
「来月の横浜芸文祭に……あたし、一人芝居の主役なんです」
「一人芝居?」
「はい、部員三人しかいないんです。一年は、あたし一人。他の二人は三年で、兼業で手伝ってくれる人はいるけど」
「その主役が、なんで降ろされるの?」
「あたし……稽古中に三回も倒れたんです。体の具合が悪くて、他に五回も稽古休んでるし」
「そっか……」
「こないだ倒れたときに、三年の先輩が代わりに入ったんです。音響や照明のキッカケもあるんで稽古は中止できないんです……先輩はほとんど完全に台詞が入ってました。それで、稽古が終わったときに、降りなさいって言われて……」
「でも、降りたくは無いんだよね」
「もう二ヶ月も稽古して、本番まで十日足らず……ここで降りたら負けなんです」
「なにに負けるの?」
「自分に……」
「でも、本番までに……本番で倒れたら芝居そのもの潰しちゃうよ。かもめ高校そのものの傷になる。そうは思わない?」
少女は、黙り込んでしまった。小さいけれど熱い炎が胸で燃えているようだった。
「学校にも、お家の人にも言ってないのね、ここにいること……あたし、電話してもいいかな?」
イヤとは言わないので、直美は電話することにした。
「もしもし、かもめ女子高校ですか……わたし、カメラマンの須之内直美と申します。演劇部の顧問の先生お願いします……」
出てきた顧問の先生と直美は親しげに話した。学校でも心配していたようだ。お母さんも心配して学校まで来ているようで、電話に出たがったが、直美は、自分の判断で断った。
「今回はあなたの健康とか不安だから出せないけど、春の地区発表会には同じ芝居の同じ役で出てもらうって……」
「でも……」
「それでOKです。もうすぐ学校まで送りますから。先生には、その時にでも……失礼します」
「そんな、勝手に決めないで」
少女は、泣き出しそうな顔になった。
「あのお爺さんが描いてる氷川丸ね。本当はシアトル航路の豪華客船だった。それが病院船になったり戦後は引き揚げ船になり、またシアトル航路の船になり、ユースホステルになったこともある。人もいっしょ。その時々に見合った出番があるのよ。さ、行こうか!」
「あ……」
直美は、少女のカバンを持ってさっさと歩き出した。少女は付いて行くしかなかった。
校門をくぐると、案内も無しにどんどん進んで、約束の応接室に入った。
「あたし、この応接室で退学届け渡したんだよ」
「え?」
「たった一年だったけど、あなたの先輩。一回の公演に出られないより、ずっと辛い思いをした生徒もいるのよ」
入ってきたのは演劇部の顧問の他に、校長先生がいた。
「須之内さん、その節は……」
校長が頭を下げた。
「止して下さい。もう、とっくの昔に済んだことですから……それより、この子のことを」
少女は、具体的なことは分からなかった。だが、このカメラマンのオネエサンが大先輩で、大変な苦悩の果てに学校を辞めていったことを察した。
そして、自分のこだわりがひどくちっぽけなものに思えた……。
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