第31話『お正月のキャンセル』
須之内写真館・32
『お正月のキャンセル』
今朝早くキャンセルの電話が入った。
正月の家族写真のキャンセルである。昔からのお得意さんで、お子さんの誕生、嫁取り、成人式など三年に一度くらいの割で家族写真を撮りにこられていた斉藤さんだ。今年はお祖父ちゃんが卒寿なので、須之内写真館としても楽しみにしていた。
ところが、元日にお祖父ちゃんの様態が悪くなり、急なキャンセルになった。
「あそこの祖父ちゃんには可愛がってもらったなあ……」
玄蔵ジイチャンがしみじみと言った。
「横須賀鎮守府で、テストパイロットをやっておられたそうでな。むろんオレが知ってるのは戦後の斉藤さんだがな。航空自衛隊の草分けだった」
「へえ、あのお祖父ちゃん自衛隊だったんだ」
「航空自衛隊って、教官はみんなアメリカ人だったんでしょ?」
「ああ、陸と海は旧軍のキャリアがわんさかいたが、空は、いきなりジェット機だったからな」
「スマートな人だったなあ……」
「ああ、まだまだ自衛隊に風当たりの強いころだったけど、家に帰ってくるときもキチンと制服を着ておられた」
「おれは、退官されてからの斉藤さんしかしらないけど、着流しの似合う粋で穏和なお祖父ちゃんだったな」
「……その斉藤さんが、一度だけ荒れたことがあった」
「え……」
思わず父の玄一が、ジイチャンの玄蔵の顔を見た。
「カーチス・ルメイが勲章もらったときさ」
「だれ、それ?」
「航空自衛隊の創設に功績があったアメリカの将軍なんだけどな……東京大空襲の作戦の立案と指揮をした男でもある」
「東京大空襲の!?」
「そんなのが、航空自衛隊創ったんですか?」
「ああ、当時の日本てのは、そんなもんさ。勲章は大勲位菊花大受章って最高のもんで、これは陛下の親授と決まっていたんだがな……」
「シンジュって?」
「直接、陛下がお授けになるんだ……さすがに陛下は親授だけはされなかった」
「そうなんだ」
「なんたって、一晩で十万人の日本人を焼き殺したやつですからね」
「その晩、荒れて……と言っても、ちょっとひっかけて声が大きくなる程度だがな。ここで写真撮ったんだ」
「え、酔っぱらって?」
「酔っていても、姿勢や言葉が崩れることはなかった。ただ、怒りの表情がむき出しだった。あんな斉藤さんは初めてだったな」
スタジオは、しばし追憶の空気に満ちた。
「あ、これで午後の撮影は一件だけになったな」
スタジオ撮影の予約は元日に集中し、今日の午後は斉藤さんが抜けて一件だけになってしまった。
「あたし、出かけてもいいかな?」
直美が聞いた。
「ああ、いいよ。一件だけならオジイチャンと二人でできるから」
「だれか、いい男でもいるのか?」
「ちがうよ」
そう言うと、カメラのバックパックを背負い愛車の折りたたみ自転車ナオに乗ってヒカリプロの会長の家を目指した。
レコード大賞で、クララと八重を庇って美花が怪我をしたと聞いた。今朝のメールで、今日は杏奈と二人で留守番と打ってきていた。
「アケオメ……あら、思ったより元気じゃん」
「ちょっと捻挫しただけです。もう……」
と言いながら、奥に案内する姿は捻挫した足を引きずっていた。
「あの晩は大変だったんですよ。一人でお風呂にも入れないもんで、あたしがいっしょに入って洗ってやったんです。ヘヘ、美花の体隅から隅まで見ちゃった」
「杏奈のも見ちゃったわよ。足の付け根にホクロあるの発見しちゃった」
「あ、そんなとこ見てたの!」
二人っきりということもあって、賑やかなお喋りになった。それから庭に出てファンタと遊び、ファンタが子犬らしく居眠りし始めたころに杏奈が言った。
「そうだ、あのレコ大の怪我の功名で、クララさんと八重さんの衣装もらったんです!」
レコ大や、紅白の衣装は特別で、一回着たら二度袖を通すことはない。
「そうだ、それ着て写真撮ろうよ!」
直美の進言で撮影会になった。馬子にも衣装、着る物を着てポーズを取れば、イッチョマエのアイドルには見える。この子達の巣立ちを予感させてくれた。
賑やかに騒いで家に帰ると、玄蔵と玄一ともに無口だった。
「斉藤さんのお祖父ちゃんが亡くなった……」
巣立っていく者、旅だっていく者、様々な正月だった。
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