第29話『街の神秘と憂愁』
須之内写真館・29
『街の神秘と憂愁』
霧子の突然の死が伝えられたのは一昨日の夕方だった。
茜色の晴れ着が似合う女の子の写真を合成するために、五年ぶりに高校の制服を着ているときだった。
――ついさっき、霧子が死んだ――
そう伝えてくれたのは、霧子と同じ高校の同窓生の真央だった。
真央を接着剤のようにして、霧子とは友だちでいられた。
霧子は絵の好きな子だった。アニメのような可愛げのある絵ではない。油絵である。一つの対象物を見て、フォルムではなくソウルを見極め、描き上げるのには時間はかけない。迷いなく筆を滑らせ、一気呵成に描き上げる。
出来上がりは様々。写真と見まごうリアルな風景画から、もとのモデルが何か分からないシュールな静物画まで、そのときそのとき霧子の心の印画紙に映ったものを描いていた。
「自分の絵が見つからない」が口癖だった。
多作な霧子は、描いた絵には執着しなかった。友だちにやったり学校の参考作品に残ったり。中には完成と同時にゴミ箱に突っこまれるものもあった。
写真をやっている直美とは合わなかった。霧子にとって写真とは、ただ現実を切り取るだけの技術で、創作という意味での芸術とは認めていなかった。
そんな霧子が、文化祭に出した女の子が自転車のリールを回して遊んでいる写真の前で立ち止まった。むろん直美の作品である。
「よく、こんなの撮れたね。少しだけ写真見なおした」
霧子なりの感動を表すために、絵をくれた。シャレじゃないけどキリコの『街の神秘と憂愁』の模写だった。
模写だけど、霧子なりに翻訳されていて、独立した作品と言っていいものだった。
クラスに溶け込めないという点では、霧子も直美もいい勝負で、ほとんど孤立していた。
そんな二人が、なんとか卒業まで学校に居られたのは、真央のお陰だ。
真央は体操部で新体操をやっていた。とりたてて美人ではないが、新体操の演技中の真央は美しかった。
その美しさを霧子も直美も素直に認め、絵や写真にしていた。
真央は社交的な子で、学校行事や学級活動に混じろうとしない二人をうまくあしらって、気がついたら学校の中で二人の場所を作ってくれていた。
ふた月に一度ほどコンサートや、映画、写真展、絵画展に三人で出かけた。で、誉めたりけなしたり。たいてい真央がお茶にして笑っておしまい。
真央の発表会には、霧子と直美の二人で行った。で、二人でため息をついた。描いたり写したりではなく、自分の身体で美しさを表現できることに、二人は素直に感動できた。
大学に行ってからも、三人の付き合いは、高校の時ほど頻繁ではないが、続いた。
この秋も霧子の小さな個展を真央といっしょに観にいったところだった。
そして、霧子が死んだ。
この寒いのに、霧子は長野まで絵を描きにいっていた。妙高山と対峙して、朝から描いていた。太陽の変化によって、妙高山は霧子を弄ぶように表情を変えた。最初はデッサンでフォルムを掴み、これだと思ってキャンバスに向かったのは二時頃。四時前の表情が良く、霧子は絵の具を塗り重ねていった。
秋の日はつるべ落としだが、四時前に見せた妙高の色彩は、霧子の目に焼き付いた。日が落ち暗くなっても、霧子は筆を休めなかった。ライトの下で描くと色の感覚が狂うものだが、霧子には自信があった。描き上げたら車の中で仮眠し、朝の光の中で、色を確認しようとした。
そして、霧子は凍死してしまった。
葬儀会場には、完成した見事な妙高山の絵が飾られていた。死に顔は満足そうだった。
霊柩車を見送ったあと、真央と二人で、お茶にした。三人がけの席に着き、霧子もいるようなつもりでお茶にしたのだ。霧子は下戸だったので、お茶が似つかわしいと思ったのだ。
その後、昔三人で歩いた美術館への道を、真央と二人で歩いた。
ビルの谷間を歩いた。
年末の休業に入った街は閑散としている。カラカラと自転車のリムを転がす音がした。黄昏れ色のワンピースにマフラーをして、少女がリムを転がして道を横切った。
瞬間、直美は連写した。
「なに撮ったの?」
「え……」
真央には見えていない様子だった。
「人のいないビル街って、めったに撮れないからね」
「なるほどね、直美の発作だ」
発作か奇跡か、帰るまでは再生しないと、直美は決めた。
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