第一章6  『思い出』

 おかしな空気が通り過ぎ、夕日が沈んでいく頃。

 僕らは仕事場の整理をしていた。


 さすがに2年も使っていなければ埃も溜まる。


「ねぇ」


 そんな中、本棚の整理をしながら、僕はふと思った疑問を口にする。


「応募する作品のジャンルとかテーマって、もう決めてるの?」


「ううん?」


「……」


「まぁとりあえず、好きなものを描くって方向で」


「……わかった」


 好きなもの、か……。


 あれから2年。

 妹を救えず、絵を失い、停滞した毎日。


 半年前になって、やっとプロット(らしきもの)を書けるまでにはなったけど、本格的に物語ストーリーへと移行したことはない。


 思いついたアイデアを書き溜める程度のことで、あらすじや大体の構成は決めているけど、それでも想像イメージでしかない。


 だから、小説を書くのも今日の美術と一緒で2年ぶり。

 それに、思いついたもの全てが『好きなものか』と聞かれれば、そうでもない。


 確かに、内容的には昔の僕と同等のもの。

 けれど、画力が落ちていたのだ。文章力が落ちていてもおかしくはない。


 灰色の心で、ただなんとなく書いた物語なんて、熱の籠ってない駄作も同然。


 当時は好きなものに理想を重ね、夢を掲げて自分の一部を世界として広げていた。

 独特の感性とその自己投影だけで、上手くやって来れた。



 ――でも、



 今の自分が書くものには、圧倒的に足りないものばかりで、何もかもが欠けている。


 冷めきった心。


 自己投影をするには、明らかに夢がない。

 暗闇ばかりで、光りがない。

 好きなものをと言われても、空っぽになってしまった心には何もない。



 何も――。



「さっきから何を見ているの……?」


 本の整理が終わり、彼女へと目をやると、この部屋の備品であるノートパソコンに彼女は釘付けだった。


 腕を組み、「う~ん」と唸り声を上げながら、画面と睨めっこをしている。



 それ故に、何をしているのか尋ねたのだが――、



「……」


 彼女からの返答はなく、仕方なく背後へと近づき画面を覗き見する。

 そこには、雷鳴文庫の応募要項ページが記載されていた。


「どうかした?」


「え?」


「ずっと、難しい顔してるからさ」


「ああ、うん……ここ」


「……?」


 募集要項の一部、イラスト大賞のページ。

 そこに記載された文章を指差して、彼女は申し訳なさそうに口にする。


「『雷鳴文庫作品を想定したイラスト』って、ところ……」


「これが、どうかしたの?」


「……」


 移される視線。

 ノートパソコンの傍には、一冊のライトノベルが置かれている。


 照れながらも彼女は、それを手に取り見せつける。


「私の、好きな作品……」


 僕はその作品に少し、動揺する。



 だってそれは、僕が手掛けた作品――『Eonian Gait』だったから。



「ダメ、かな……?」


「ダメ、じゃ……ない、けど……」


「けど?」


 複雑な表情。

 自分の作品を好きだと言ってくれる君の言葉は、素直に嬉しい。



 ――雷鳴文庫『イラスト部門』。



 応募要項としてあるのは、雷鳴文庫の作品中からオリジナルのイラストをカラーとモノクロで、それぞれ描くというもの。


「君は本当に、それでいいの?」


 それは完結した作品でも構わない。


 だから、僕の作品を選んでくれた君の想いに、心の中は申し訳なさでいっぱいだった。


「うん……」


 君はまた、僕の支えになろうと言う。

 一人で絵と物語の両方を手掛けた僕の重荷を背負おうと言う。


「君がいいなら、僕も別に構わないけど」


「ほんとに?」


 身を乗り出し、顔を近づける君。

 その見開いた目に、僕は呑み込まれそうになりながらコクリと頷く。


「よっしゃーっ♪」


 途端、君の瞳はキラキラと輝き、表情は満面の笑みで染められる。


 そんなに喜ぶほどのことなのかなと、正直思ってしまうところはあるけれど、嬉しいのはこちらとしても同じだった。



 ――そして、



 はしゃぎ倒す君。

 僕はそこに呆れ気味になりながら、チラリと戻した視線の先、ノートパソコンの画面を凝視する。

 ただなんとなく眺めた画面に目を疑う。


 イラスト部門の上、雷鳴文庫『小説部門』。

 そこに書かれた名前には、見覚えがあった。


「ん?そういえば君は、どんな作品を書くのか決めてるの?」


 なんとなくの問い返し。

 僕はその問いを耳にするも、頭の中では思考を巡らせていた。


「……小説は、賞を取れれば何でもいいんだよね?」


「え?ああ、うん。取れれば、だけど……」


「なら……」


「……?」


 思わぬ出来事に、僕は思わずニヤリと頬を綻ばす。


 その反応に君は、怪しそうにこちらを見つめるが、そんなことは気にせず僕は小説部門のところに目を向ける。


 懐かしき人物。記載されるは審査員の名前。



 これなら――。



「……取れるかもしれないな」


「え……?」


「賞……」


 驚き気味の声。一か八かの賭け。



 あの人なら、きっと――。



「気づいてくれたら、だけど……」


「ん~??」


 疑問符を浮かべ続ける君。ただ一人、呟いた言葉だった。

 だから僕は勘違いをさせぬよう、安堵させるように微笑する。


「なんでもない」


「えー!?」


 夕日が沈みかけたこの部屋で、瞳に映るは照らされ続ける君の姿。


「ここまで来て、それはないでしょー!も~……」


 何とも不服そうに頬を膨らます君に、僕はたまらず笑みを溢す。

 子供のように不貞腐れ、おかしすぎて目尻に涙を浮かべてしまう。


 一人、わかった気でいる僕。

 君は納得がいかないようで、頬は自然と緩んでおり、僕らはまた笑い合う。



 ――そして、



 時計の針は夕方の6時を示し、外はもう暗くなってきていることに気づいた。


「そろそろ帰ろっか」


「そうだね」


 玄関へと向かい、靴を履き終え、灯りを消す。


 外へと足を踏み出そうとした時、ふと背後へと振り返れば、来た時にあった悲しみは少しだけマシになっていた。



 ――何故なら、



 そこに立つユキの影が、困り気味にも嬉しそうに笑っていたから。


 扉が閉まる瞬間に見た光景。

 驚きと複雑な念が入り混じるも、そんな不安はこちらを呼ぶ彼女の声で掻き消される。


 エレベーターへと向かう中、顔を横へ向ける。


 暗闇に沈んでいたはずの街。

 徐々に灯りが目立つようになり、見慣れたはずの景色が違って見える。



 そうやって、僕は不思議な感情に抱かれながら、懐かしの地を後にした――。



 日が沈み、薄暗くも輝く星々の広がる空の下、僕らは帰路を歩く。


 君は嬉しそうに笑顔を放ち、僕も不思議と頬が緩む。


 なぜ笑っているのかはわからない。

 ただ僕には、出逢ったばかりの彼女と歩くこの瞬間が悪くはなくて、愛おしいと思っていた。


 昨日今日で一緒に登下校をする関係を築いて、人生初の寄り道。


 友達としたこともないことを、もう二度と行くはずの無かった場所へ君と行くことになるなんて思いもしなかった。



 朝と同じで――。



「……あれ?」


 ふと気づいた僕。

 僕は何気に、今朝の疑問に辿り着く。


「どうして君は、僕の家を知っていたの?」


 ギクリと反応する君。


「いやー……そのー……」と焦りを浮かべていることに、僕は疑問符を浮かべる。


 頭を抱えてしばらく、君はようやく口を開く。


「……今は内緒♪」


「はあ……」


 謎多き彼女。ミステリアスとはかけ離れたワンパクさ。

 その天真爛漫な笑顔に、僕は何度も魅了される。

 なんともおかしな感情。



 ――けれど、



 君の笑顔を見ているだけで、救われた気持ちになるのは確かだった。


 君は妹じゃないというのに……。


「学校帰りの夜空って、星がいっぱいで、こんなに綺麗なんだね……」


「もう7時近くだしね……。運動部とかは、こういうの当たり前なんだろうけど」


 他愛もない会話。

 僕は勝手に、君に妹の影を重ねている。

 凄く、失礼なことだ。


「親は大丈夫?門限とかない?」


「平気平気。うちの親、優しいから」


「そう。でも一応、送っていくよ」


「ありがと♪」


 複雑な心境。心配とは少し違う。


 ただ君と一緒にいたい。この懐かしさを噛み締めていたい。

 そんな余韻に浸っていたい。不純な動機。



「―――」



 満天の星空。差し掛かる十字路。

 僕は何度も笑みを溢す。


「ふふ」


「どうかした?」


「なんでもなーい」


「……?」


 こちらを何度も眺めながら、意味深にも微笑む君。

 そんなことを気にする間もなく、僕の家が近づいていた。


「じゃあ私、こっちだから」


「え?ああ、うん……」


 家の前の曲がり角。

 送る側のはずが、いつの間にか立場が逆転している。


「……」


 遠のく彼女の後姿を見つめながら、ほんのりとした寂しさに抱かれる。

 塀に手を置き、家へ入ろうとするも僕は未練がましくも彼女を目で追っている。

 すると彼女の足が止まり、すぐそこで左折しようとする。



 その光景に、僕は目を見開いて――、



「近ぁっ!?」


 そう口は叫んでいた。


「……?」


 こちらへと顔を向ける彼女。

 感慨深い笑みを浮かべながら、ゆっくりと唇を動かす。


「いやー、できれば隣に引っ越したかったんだけどねー」


 眉を寄せ、困り気味な表情をする君。

 その言葉の意味がわからなくて、僕は唖然と立ち尽くす。

 そんな僕を見て、君はまた意味深にも口元を緩ませる。


「これからよろしくね?お向かいさん♪」


「……」


 驚きを隠せない僕。



 その言葉を残して、彼女は塀の中へと消えていった――。



「帰るか……」


 そして僕も、ため息交じりの言葉を残して、帰宅した。


 

 自室へと入り、鞄を置くと、暗い部屋の中、彼女が入っていった向かいの家を食い入るように見つめ、棒立ちになる。


「はぁ……」


 まさかの事態。転校生がご近所さん。

 ラノベや漫画で見飽きた展開。現実ではありえないこと。

 それが今、目の前で起きている。


「え……?」


 窓越しから調度、彼女の家の2階に灯りがともる。

 それは僕の家から一番近い手前側の部屋で、そこに映されるは彼女のシルエット。


「なっ……!?」


 こちらへと気づいた彼女。

 見るなり笑顔で、こちらへと軽く手を振っている。

 それに釣られるように、僕も手を振り返す。

 ただそれだけの出来事。



 ――なのに、



 僕にはこの瞬間が、不思議で堪らなかった。



「ただいま……」


 いつも通りの会話。会話と呼ぶかは不確かな語り掛け。

 家族の写真に目を当てながら、案の定の悲しみが込み上げてくる。



 ――けれど、



「あれ……?」


 そこにあるはずの涙が、出なかった。



 日課をやり過ごし、自室へと戻って来た僕。

 部屋に備えたパソコンを立ち上げ、起動中の間に鞄から一冊のノートを取り出す。


 それは今までに書き溜めておいたアイデアの塊。

 そんなプロット擬きを横に置き、ログインすると、ワードを開く。


 久しぶりの伊達眼鏡。執筆から離れていても、パソコンは普段から使用していたためタイピング速度は昔以上。


 カタカタと打ち始め、脳裏には『あの人』の名前が思い浮かぶ。

 頬は二ヤリと綻び、それと同時にあの頃の幸せな思い出が蘇る。


 暖かな記憶。懐かしき過去。

 ずっと、思い出すことを嫌悪していた。



 ――だって、



「……っ」


 幸せすぎればすぎるほど、その後の残酷さに打ちひしがれるから。


「まだ、だ……」


 起こる頭痛。歪む視界。

 ラグが走っているのかと思わされるほど、画面が見えづらくなる。


「ユキ……っ」


 頭を押さえ、悶えるように苦悩する。


 幸せの後に襲う、期待の裏切り。

 そこに全てを賭けていたから、失われた時、自分の一部が欠けたような喪失感があった。



 ――『ごめん、ね……?』



「ぁ……」


 記憶の扉を開いたせいか、溢れ出る後悔のせいか。

 止めどない涙が、ポタポタと零れ落ちる。

 あの時の光景が、鮮明にも思い出される。



 ――待って……待ってっ……!行かないでくれ……っ!



「ぁあ……」


 薬の臭い。先生たちの慌てふためく声。



 ――僕を……一人にしないでくれ……っ。



 あの時の心情。

 届いたはずの手が、振りほどかれた瞬間。

 何を叫んでも、彼女には届かない。



 ――ユキ……。



「……っ」


 記憶が、そこで途絶える。

 気力もぷつりと途切れてしまう。

 いつもの脱力感。



「―――」



 止まった涙。

 何も考えることはできない虚無感。


 果てしない悲しみ。

 開けるんじゃなかったと、今更ながらに後悔する。


 わかっていたこと――。



 そうやって僕は、無気力にも今日を終えた――。


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